花と団子とひと眠り

 

 

 

 

 

「お花見団子のお重と、あつーいお茶のポット、えーとあとはおしぼりに……」
 広げた風呂敷にせっせとのせてひとまとめにくくると、鳥束はそれをリュックに詰めた。
 僕はそれを、あくびを噛み殺しながら寝惚け眼で見守る。
 今の時刻は朝の四時。つい先ほど鳥束に起こされ、半分寝たまま着替えを済ませたところだ。
 一方の鳥束はすっかり目覚めて、しゃきしゃき動いで準備を進めている。立ったり座ったり、あっちへこっちへきびきびと。一方僕はあくびを噛み殺しながら目で追っていた。
 なんの準備かと言うと、これから二人で隣町公園に花見に出かける為の準備だ。
「ふぁ……あぁ」
 堪えきれなくなりとうとうあくびが出た。
 何故こんな、まだ暗い内から張り切っているのか。花見団子と言うからにはもちろん花見の為だが、桜の花見ならば早起きもわかるが今は二月、つまり梅の花を見に行こうとしている。
 もちろん梅の花見もとても人気があるが、桜ほど早起きでの場所取りに腐心しなくてもいい。だというのに何故こんなに早起きしたのか。
 数日前の事だ。
 梅の花見に行きましょうと、鳥束が誘ったのがすべての発端だ。

 

 

 

 放課後、僕は鳥束と共に商店街の一角にあるとあるカフェに訪れていた。冬ならではの温かいスイーツが評判だと鳥束が幽霊情報を得たので、それは耳寄りだと聞いたその日に向かったのだ。
 鳥束は寒さに強い方。僕も、パイロキネシスのお陰で楽に寒さをしのげる。とはいえやはり冬の寒さは厳しくつらいものだ。
 そんな時に熱々のスイーツをいただく…これほどの幸せがあるだろうか。
 この店一押しのフルーツグラタンがテーブルに運ばれてきた時、僕はそれを骨身に染みて実感した。
 見た目がまず素晴らしい。ひまわりのように優しいクリーム色のソースに、色とりどりのフルーツが浮かんでいる。白い湯気を立ち上らせ、それと共に甘い匂いも揺らめいて、そこでもう顔が緩んでしまった。
 いくら超能力者といったって、体温を自在にコントロール出来るといったって、冬は寒く、つらいものだ。顔だって自然としかめっつらになる。あと、期待と不安で緊張していたのもあって、余計、落差を自覚するほど顔がたるんだ。
 向かいで変態坊主が嬉しそうにニコニコと見てくるのがわかったので引き締めたかったが、甘いもの温かいものを前にいつまでも仏頂面ではいられない。
 スプーンを口に運んだら、もうおしまいだ。
 気が付くと綺麗に食べ終わっていて、その事実にしばし呆然とした。食べている最中の記憶が曖昧だった。
 ただただ、幸せだった。幸せだったのは間違いないのだが、どんな食感とかどんな味とかいった詳しい部分がはっきりと思い出せない。
 まあ…幸せだったのならいいか。また今度来て、その時に記憶に刻むとしよう。そうだ、また来よう。
「ね、また今度来ましょうよ」
 そんな誓いを心密かに立てていると、鳥束までもがそんな事を言ってきた。そいつは嬉しい誘いだが、心の声がいただけない。
 食べてる最中の斉木さん可愛かった――はまだしも、エロかっただのグッときただの、今すぐ存在ごと地上から抹消したくなるような事を思っている。
 くっそ、一生の不覚だ。なんで僕はコイツと来てしまったのだろう。情報だけもらって、一人で来るべきだった。
 後悔先に立たずを身をもって実感しながら、さっさと席を立つ。
「ここのミルクココア、オレ好みですっげえ美味かったんですよ」
 いいもの見たし自分も美味しかったし、是非また来たいと無邪気に誘ってくるから、僕も不機嫌を和らげた。
『そういやお前、いつもの無糖カフェオレじゃなかったな』
 傍に立った鳥束から、ふわっとココアの良い匂いが漂ってきた。
「ああ、ええ、寒い時はオレもさすがに、甘いもの欲しくなるんで。でもあんまり甘いの強いのはダメなんスよね。そこいくとこの店のはばっちりだったんスよ」
 美味かったっス〜
 そんな嬉しげに報告されたら、そんな顔を見たら、お前とはもう二度と来ない…なんて言えない。
 やれやれ、しょうがないな自分も。

 そんなこんなで概ねいい気分の帰り道、駅の前を通りかかった時、鳥束がとある掲示板の前でふっと足を止めた。様々な告知のポスターが貼られており、交通安全を呼びかけるものだったり、どこそこでこの期間セール中とかだったり、まあ大抵は気にも留めず横目に通り過ぎるものばかりなのだが、さて一体何が鳥束の気を引いたのだろう。僕も改めて目を向ける。
「斉木さん、隣町公園で今度の土日、梅まつりが開催されるんですって」
 へえ…それだけか。
 ちょっと、拍子抜けした。
 お前好みの可愛い子がライブをするとか、そんなものかと思ったのだが、梅まつりとはあまりに意外だ。何だか狐につままれた気分で僕も掲示板の前に立つ。
 春の青空をバックに咲き乱れる紅白の梅がまず目に入った。梅の花ってどんな香りだったっけと記憶も曖昧で遠いのに、ふっと、鼻先をくすぐられた。
 告知のポスターなので、日時と場所がしっかり記載されていて、さらに「お楽しみ企画!」とやらもあった。
「抽選会に…先着順の豚汁無料券配布と……おお、餅つき大会もやるんですって!」
 しかも屋台も各種勢ぞろいだって!
「おでんにフランクフルトに焼き鳥、焼きそば、じゃがバター……うわうわ、全部美味そう、斉木さん好みのお汁粉とか甘酒とか綿あめとかもありますよ、ほらほら」
 これはぜひ行くべきだと、鳥束は満面の笑みで振り返った。
 梅まつり。祭りか。
 あの、散々な目に遭った夏祭りが頭を過り、それに伴い自然と顔も引き攣った。
 それを見て、鳥束は悟る。
「やっぱ、人多いとこは嫌っスかね」
 たった今咲き誇った大輪の華が、急速にしぼんでいく。それを見ては、そうだなと思いはしても告げるのは躊躇われた。参ったな、鳥束ごときに気を遣うなんて癪に障るのだが、といって追い打ちをかけるのもな。
 複雑な面持ちで沈黙を守っていると、少し持ち直した顔付きで鳥束は提案してきた。
「あ、じゃあじゃあ斉木さん、朝早くの日の出すぐくらいの、まだ誰もいない時間ならどっスか?」
 いやいや、待て待て。
『お前はそれでいいのか? 賑やかな花見客を物色したいんじゃないのか?』
「いやまあ、ははは……まあ、それはそれとして、斉木さんと行きたいのが一番なんで、一緒に行けるならそれらは二の次っス」
『お前がそれでいいというなら、行ってやらんこともないが』
 そう告げると鳥束は「何を言われたのかわからない」と言わんばかりにポカンとして、口を半開きにした。
 おいなんだ、そんなに僕の快諾が信じられないっていうのか。
 まあその通りで、遅れてじわじわと喜びを実感した鳥束の顔はみるみる緩んでいった。
「え、あ、い……いんすか? い、行きましか?」
 行きましかって…嬉しさのあまり噛んでやんの
 つい、ぐっと息が詰まった。
 自分でも恥ずかしかったのだろう、緩んだ顔が見る間に真っ赤に染まっていく。だものだからよけい腹がよじれた。
「えと、あの……えと、あの!」
『落ち着け』
 笑って悪かった。今にも泣きそうな鳥束の肩を叩いて宥める。
『花見の団子作ってくれるなら、行ってもいいぞ』
「あ、はい、作る作る、作ります! あの、大したものじゃないですけど、心を込めて作ります」
『じゃあ行く』
「行きましょう!」
 悲しくて泣きそうだった顔が、ぱっと嬉し泣きに変わる。やれやれ手間のかかる奴だ。まったく、お前はそうやって笑ってる方が似合ってるよ。

 

 

 

 といった約束を経て、僕たちは隣町公園まではるばるやってきた。
 こんな、ようやく空が白んできたような時間、犬の散歩に出る人間すらいない。
 そんな、誰もいない公園で二人、梅の花を独占する。
 公園内の、東西に伸びる通りにはすでに屋台が連なっており、昼間となれば歩くのも大変なほどの人で賑わう事だろう。だが今は人っ子一人見当たらず、近隣の住民も未だ夢の中にいるのだろう、ほとんど心の声は拾う事がなかった。僕としてはとても、快適な環境。
 鳥束はといえば、少々寒がってはいるが特に惜しむ何もなく、どこにシートを陣取れば梅を見るのに最適か、そういった事に頭を悩ませていた。そして同時に、明けたばかりの不思議な色の空を背景に見る紅白梅は、何とも幻想的で不思議な心地になる…と感動を覚えていた。
 ふうん、お前でもそうやって純粋に花を愛でる事もあるのだな。
「あ、ありますよぉ。寺生まれ、舐めないでほしいっスね」
 ちょっと得意げに構えるところがムカつく。

 ので、僕は力の限り花より団子を実践してやった。
 団子うまーいと全身で表現する。
「美味いっスか、はー、よかったっスー」
 しかしこれは、鳥束がそこで悔しがってくれないと成功ではないので、今みたいに団子の出来に安堵するとか褒められて嬉しがるとかたんと召し上がれとかされては駄目なのだ。僕が悔しがることになる。
 まあ、嫌がらせは空振りに終わって『っちやれやれ』だが、団子が本当に美味いのでそれでよしとする。

「はー、贅沢っスね、これ」
 魔法瓶に入れてきた温かいお茶をすすりながら、鳥束は白いため息を吐き出した。
 僕も同じくお茶をすすり、やれやれとため息を吐く。
「二人でこんだけの梅の花を見放題…すっごく贅沢」
『ふん、お前は、花見見物の美女と会えなくて残念だろ』
「な! まったく斉木さんてばすく意地悪を……はっ! 嫉妬すか?」
『馬鹿か』
「ですよねー」
 わかってますと、鳥束は苦い顔で笑った。
 下唇をちょっと突き出した鳥束を横目に、僕は三色団子に手を伸ばした。
 空気はきりりと張り詰めて凍るように冷たく、薄青の空とあいまってさらに寒さを感じさせたが、そんな中でも梅の花は凛と咲き誇って、鳥束を感心させた。
 僕はそんな奴の横顔をそっと見つめ続けた。

 

 

 

 二人きりのお花見を楽しみ、いつも起きる頃の時間に戻って来た。
「いやー、楽しかったっス。ありがとう斉木さん」
 玄関の引き戸を締め切ったところで、鳥束は晴れ晴れと言ってきた。
 うん、僕の方こそ大満足だ。早朝という事もあって外は寒かったけど、身体の内側はぽかぽかで暑いくらいだ。こんな心持ち、初めてだ。
 ……ん?
「……あれ?」
 その時、何か楚々とした香りがふわっと鼻先をついた。
 鳥束も似たように考えているようだ。
 この匂いなんだろう、どこからだろうとふんふん鼻を鳴らしている。
 僕はいち早く行動し、奴の身体に鼻先を近付けた。
「なっ……なに?」
 どぎまぎする奴に口の端で笑う。
 梅の花の匂いが移ったかと思ったけど、勘違いだったようだ
 告げると、鳥束は真っ赤になってちょっと笑った。
「えー、斉木さん、えーへへ……」
 何か、茶化す事を言おうと頭の中でグルグル考えているが、上手く言葉にならないようだ。
 ちなみに考えているのは、オレの人間性の高さが匂いとして滲み出ててーだの、真面目人間だから匂いも真面目ーだの…煩悩の塊の癖に、何ほざいてやがる。
 あと正直に言うと、線香くさい。ものすごくというわけではなく、ほんの微かにする程度。でもはっきりそれとわかる匂い。そして僕はそれが、嫌いじゃない。
 全然嫌いじゃない。梅のあの楚々とした早春の香りからは遠いけれど、僕は再び顔を埋めた。
「さささ斉木さん、もー…ちょっと、あの、まいりました」
『なんだよまいりましたって』
 変だな、なにもおかしい事なんてないのになんだか笑えて仕方ない。

 ついさっき、コイツと二人で梅の花を見に行った。誰もいない静かな公園をぶらついて、梅の香りをいっぱいに吸い込んで、見事なものだなって笑い合って――とても幸せだった。
 ああ、いい気分だな。
 早起きしたからちょっと眠たくて、でも良いもの見た後だから興奮もしていて、まるで夢を見ているみたいにふわふわとしていい心地だ。
 嫌いじゃない匂いに包まれ、僕はゆっくり目を閉じた。

 いつもこうなんだよな。
 コイツの調子に引っ張られ、最後はこうして悪くないなんて思ってしまう。
 だからきっと、人がわんさといて騒がしい中を屋台を見ながらそぞろ歩きするというのも、後から振り返れば悪くないって思うんだろうな。
 今までは全然興味なんてなくて、むしろ嫌いなものに入ってたのに、コイツに関わるといつもこうだ。
 どんどん、僕が塗り替えられていく。
 コイツをはじめとして、バカやアホやあの子にあいつら。
 災難に振り回されてクタクタになるけれども、結局最後は悪くないなって記憶が残るのだ。
 そして僕は今、それらが自分の手に残るのが満更でもないと思っている。
 いらない、必要ない、どうせ手に入らないって見向きもしないでいたものが、こうしてはっきりと残るようになった。
 僕も人の子だから、それなりに欲がある。いくら弁えようったって、そんなに我慢は続かない。
 そして鳥束は、そんな僕のわがままを叶えてくれる。何だかんだ文句を言いつつも欲しいものをくれるのだ。僕が想像した以上のとんでもない代物を、いつも寄越してくるのだ。
 超能力者の僕でさえ想像出来ない世界を、次から次へ見せてくるのだ。
 全部が全部好ましいものじゃないけれども、それでも僕は、お前がくれるものはなんでも嬉しい。

『なあ鳥束、ひと眠りしたらもう一度花見に行くか』
「えっ……!」
『僕のわがままを聞いてもらったからな。今度はお前のわがままを聞く番だ』
「えー、斉木さん……ええー」
『お前がどんだけ鼻の下伸ばすか、今から楽しみだ』
 ふんと鼻先で笑ってやると、少しくすぐったそうに微笑しながら鳥束は見つめてきた。
「やだなぁもう、斉木さん見た時が一番伸びちゃうんスから、オレ」
 そりゃカワイ子ちゃんも好きですけど、斉木さんは唯一無二っスからね
『……ふん、調子いい事を言う』
「いや、ほんとですってー」

 ああ、わかってるよ。他の誰をごまかせても、僕だけはごまかせないからな。
 ロクでもない嘘をつくけど嘘吐きじゃないお前の本心、ちゃんと見てるよ。

「今度はじゃあ、屋台の食べ歩きしましょうか」
『うん、悪くないな』
「ねー、オレあれじゃがバター食べたいっス。んけど、一個全部食べ切るの結構大変なんスよねアレ。他のも食べたいのに、あれで腹いっぱいになっちゃうの」
『しょうがないな、半分もらってやるよ』
「わーやった、お礼に綿あめおごりますね」
『ふっ、悪くない取引だな』
「でしょでしょ、んで、ひと口下さい」
『はあ?』
「いやね、見る度結構心惹かれるんスよあれ、でもアレこそ全部は無理だから、ひと口」
『図に乗るな。僕の食べる分がひと口も減るとか許されないだろ』
「ええー、ほんとちょっと、ひとつまみでいいっスから、ね」
『やれやれしょうがない、じゃあ甘酒もつけろよ』
「はいはい、つけるつけるー! んでそれも――」
『絶対やだ』
「えー、斉木さぁん、ひと口!」
 なんて他愛ないやり取りをしながら、玄関先でクスクス笑い合う。
 それから二人して部屋に引っ込み、笑いの余韻に浸りながら眠りについた。

 

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