差し入れ

 

 

 

 

 

 斉木さんの部屋で、斉木さんと肩を並べて本を読む。
 退屈かと問われれば、とんでもないと即答する。退屈だなんてとんでもない、同じ空間にこうしていられるなんて涙が出るほどありがたいよ。

 ただ、もったいないな…と思ってしまう。一緒にこうしていられるのはとても素敵で贅沢で、うっとりするほど幸せだけど、一緒にいるんだからお喋りしたいしイチャイチャしたいしそっからエッ…な事になだれ込んでもおかしくないのに、こうして別々の本を読んでるだけって、なんだか時間がもったいないなって思ってしまうのだ。
 はあ、そうはいっても、斉木さんは先日買った古本に夢中で、オレの方なんてチラとも見ない。
 いいよ、まあいいんだよ、斉木さんがそうやって熱中出来るものがあるってオレは嬉しく思うんだよ。でもさ、一緒にいるんだからもっとこう、なんか、あってもいいじゃん。
 はあ、せめてもうちょい、構ってほしいな。もうちょっとオレを気にかけてほしい。というのは、オレのわがままだろうか。

『そうだな』
「うっ……あ、聞こえてるんですよね」
『ああ聞こえてる。耳元でずっと喋りかけられてるくらい鬱陶しくて、うるさくて、苛々する』
「くっ、そ、そんなに言わなくたって」
 オレはただ、もうちょっとだけ斉木さんに構ってほしいなって思っただけで。
『僕が、そういうのに不向きだとわかってて言うのか』
「いやその、……って、なにこれ、なにこれ!?」
ハンガーにまとめてかけてあったダウンコートやマフラーが、ひとりでにオレに接近しあれよと言う間に着せられていく。
「さ、斉木さん?」
 斉木さんの超能力によるものなのは間違いない、が、何の意図があってオレを着ぶくれさせるのか。
「……はっ、まさか帰れとか――!」
 それだけは嫌だと慌てて拝む。その手に、コートのポケットに突っ込んでいた手袋がはめられる。
「斉木さぁん!」
 オレは目を潤ませた。これは決して泣き落としじゃない、マジ泣きなの!

『追い出すは追い出すだが、ベランダまでに勘弁してやる』
「へっ?」
『うざくてしつこい変態馬鹿は、これを読み終わるまでベランダに出てろ』
「え、ちょまっ……!」
 斉木さんは手にした単行本を軽く掲げると、人差し指で窓を開け、そこからオレを放り出した。
 抵抗空しくベランダにつまみ出されるオレ。
『こいつは特別サービスだ』
 最後に、耳当てが渡された。
「……あ、ざっす」
 そして、無情にもカラカラと閉められる窓。
「………」
 オレの目の前で、窓は隙間なくぴっちりと閉められた。

 あーそ、あーっそう、もーいっスよ、斉木さんなんか知らねっス!
 窓の向こうのアンテナ超能力者に向かって、オレは思いきり「いーっだ!」をする。
「どわぁっ……!」
 直後カラリと窓が開けられ、大いにビビるオレ。
 ぶん殴られると身構えると、携帯ゲーム機が渡された。
 そしてまた閉められる窓。
『鍵は閉めないでおく。読み終わったら呼ぶから、それまでそこで大人しくゲームでもしてろ』
 渡されたゲーム機を見て、斉木さんを見て、もう一度ゲーム機を見て、斉木さんを見て。
 オレはしばし放心したのち、ハッと我に返った。途端にわなわな震え出す身体。
 ひどい、ひどすぎる…これが恋人にする仕打ちかよっ!
 斉木さんはオレに目もくれず、いつもの椅子に腰かけると、ゆったり寄りかかって本を開いた。
 さ、さ……斉木さんのばーか!

 仕方なく、オレはその場に座り込んだ。今日は、風はないものの空気がキンキンに冷たいので長めのダウンコートを着てきたので、直に座っても尻は冷えなかった。それだけはありがたい。
 モッコモコに着込んで鼻までマフラーでグルグルにおおって、その格好でオレはゲームを始めた。
 つーかテトリス、きつい…ん−でもまあまあ遊べるか。
 そんなわけで興じていると、カラカラと窓が開いた。
「斉木さん!?」
 終わったの?
 と顔を上げると、まず見えたのは湯気立つ白いカップ。その向こうに斉木さん。
『差し入れだ』
 ホットカフェオレが渡された。
「……あざっす」
 閉められる窓。

 カフェオレをちびちび啜りながらゲーム続行。
 テトリス、単純なパズルゲームだけどやっぱ楽しいな。奥が深い、これははまるわ。
 オレは一時的に怒りを忘れ、パズルに没頭した。
 気付けば、カフェオレを飲み切っていた。
 心の中でご馳走様と唱えた直後、カラリと窓が開いた。
「斉木さん!」
 オレはばっと顔を上げた。
 ついに読み終わったようだ。ああほら、オレに手を差し伸べてくる、これは、こっちに来ていいぞって意味だな。んもう、斉木さんてば手を掴んでくれるなんて熱烈だなあ。
「……あいたっ!」
 だからオレも大急ぎで手を伸ばしたら、電光石火のごとく叩き落とされた。
 さすがに傷付く!
「なん、なん……なんすか!」
『カップ』
「……へ?」
『飲み終わったカップを寄越せ』
「へあっ……ああ、ああそう」
 勘違いが恥ずかしいのと叩かれたのが悲しいのと混ぜこぜの感情が、オレの顔を赤くさせる。オレは何かあはあは言いながら斉木さんにカップをお渡しした。
 そして当然のごとく閉められる窓。
 斉木さんはそのまま、カップを手に部屋を出ていった。
 あー、洗いにいくんだな。
 そう思いながら、何気なく机の上を確認する。机の上には、斉木さんの読んでいる小説本があり、しおりがささってるのが見えた。窓に寄り添ってじっくり確認する。しおりの位置は、あれは、後ろの方かな。はぁー、まだまだっスね。
 読み終わるまでって言ってたもんな、斉木さんは有言実行、言ったからには断固やりきるお人だもんな。まだまだ、入れてくれそうにないな。
「はぁ……」
 ため息を吐くと、腹の底から冷えるようだった。

 オレはしばらく、主のいない部屋の中をぼんやりと眺めた。いつもだけど、相変わらず綺麗に整頓されてるね。机の上もピシッと片付いてる。オレの、勉強しないからキレイなのとは大違いだね。本立てに並んでる何冊かの本、どれも分厚くて、たくさん読み込まれてるようで少しよれている。
 端っこの方は教科書かな。こっちは新品みたいに綺麗だけど、ちゃんと開いた後とかは見られるから、授業ではしっかり使ってんだろうな。で、斉木さんの事だから、その時見るだけでしっかり頭に入る、から、綺麗なままなんだろうな。はぁ、ほんとオレとは大違いだ。
 そんな風にして窓から見える範囲を眺めていると斉木さんは戻ってきて、二杯目のカフェオレをくれた。
「……どーも」
 斉木さんの手には、もう一つカップが握られていた。コーヒーとは違った香り、この甘い匂いは。
『ココアだ』
「ココアっスね」
 斉木さんの机に置かれたカップから、その甘い匂いはしていた。深みがあって、うっとりする甘い匂いにオレは自然と笑顔になった。まあすぐに凍り付くんだけど。
『じゃあな』
「あ、ま、まだ読み終わらないっスか?」
 尋ねると閉める手が一旦ピタッと止まる。が、返事もないままカラカラと閉められた。
「はーあ……」
 仕方なくテトリスの続きに興じる。

 少ししたら、二杯も飲んだせいかトイレ行きたくなってきた。
 オレはそっと立ち上がりそっと窓の向こうを伺い、そっと窓をコツコツ叩いた
『なんだ、おかわりか?』
 苦笑いで手を振る。
 違う違う、これ以上飲んだらもらしちゃうから。
『な……お前、人んちのベランダで…そんな趣味があったのか』
「違うから!」
 わかってる癖に、なんだろねこの人はまったく。
 腹が立つのに同時に笑いも込み上げて、腹に力入るから切羽詰まるし大変だよこれ。
「というわけでトイレお借りしてもよろしいでしょうか」
『仕方ない、特別に許してやろう』
「あざーっす」
 たくさん着込んだのを脱いで外して脱いで脱いで、急いでトイレへ。
 てか、なんでオレがこんな目に。

 はーすっきりした。
 戻ると、本に目を向けたまま斉木さんが無言で窓を指差す。オレのコート類も、フワフワ浮かんで準備万端だ。
「えー、まだなの?」
 オレは口を思いきりへの字に曲げた。
「ねーもう邪魔しませんから、ベランダに追放はもう勘弁してほしいっス」
『はぁやれやれ。交渉するなら、それなりのものを出してもらわないとな』
「えー……そんな冷たい事言わずに。てか冷たいのは今日の風だけでいっすから」
 ねえ斉木さん、静かにしてるから。
 けど、無情にもベランダに放り出される。
 そして、五分もしないでお菓子が渡される。
 オレが手土産に買ってきた、お菓子の詰め合わせの一つだけど。

 受け取った個包装をくるくるしながら訪ねる。
「ねえ斉木さん、さっきからこまめに差し入れくれますけど、もしかして寂しいんスか?」
『……違う』
「えー、違わないでしょ」
『………』
「わー閉めないで待って待って!」
『おい、何勝手に入ろうとしてんだ』
「まあまあ斉木さん、ほら、素直になって」
『僕はいつでも素直だ。だからとっととベランダに戻れ』
「そうやって追い出して、寂しくなって、しょっちゅう様子見に来てたんでしょ」
『だから違うと』
「えー、じゃあ、オレが寂しいんで入れて下さい」
『まだ読み終わってない』
「もうベタベタしませんから。静かにしてますから、一緒に」
『やれやれ、そこまで言うんじゃしょうがないな』
「わーい」
 それまでちょっと険しかった斉木さんの顔が、あからさまにホッとする。

 あーめんどくさい
 あーもう大好き!

 オレはモコモコに着ぶくれしたまま斉木さんに抱き着いた。
『おい、ベタベタしないんじゃなかったか?』
「このあとはあっさりにしますから、今だけお願い」
 そうやって頼み込むと、斉木さんはため息つきながらも力を抜いてくれた。
 久しぶりの感触、ぬくもりが嬉しくて、オレは寄せた頬っぺたをぎゅうぎゅう押し付けた。
 精々そのくらいでやめておけばよかったが、ついつい調子に乗って、オレはほっぺにチューしようと顔を寄せた。
 すげぇ形相で睨んで来るのに気付いて、しまったって冷や汗かく事になるんだけど。
 ヤバイまずい、またベランダに追い出されちゃう。
 タコ口から力を抜き、オレは何とも情けない顔で笑った。
『……やれやれ』
 すると斉木さんは、!……笑って、オレの唇にちょんとキスしてくれた。
「――!」
『よし、終わりな』
「……はい」
 そんな軽いキスだけで、オレはぽーっとのぼせてしまった。

 斉木さんが静かにページをめくる。
 その隣でオレは、両手で顔を隠しじっと座り込んでいた。
 なんで顔を隠してるかって、さっきのちょっぴりのキスで顔が真っ赤になってしまったからだ。ゆでだこみたいに真っ赤っかなのが恥ずかしくて隠しているのだ。
 あーヤバイ、あー鼻血出そう。
 こんなにもオレを翻弄するなんて、斉木さんは本当に侮れないお人だよ。
 はー…斉木さんが読み終わるまでに赤面が収まるといいなぁ。
 でないとまたベランダに追い出されて、差し入れ攻撃受ける事になっちゃうからね。

『行きたいなら今すぐ出してやるぞ』
 ぎゅうぎゅう顔面をもみながらそんな事を思っていると、斉木さんからテレパシーが。
 慌てて隣を向くと、斉木さんもオレを見てて、もう一周するかといい笑顔で窓を指差していた。
「いやいや、こっからは二人の甘い時間なんですから、もう二度と離れませんよ、斉木さん!」
『うるさい黙れ。静かにするって言ったろ』
「あ、すんませ……!」
 可愛い…そして憎たらしい笑顔から一転、険しい目付きになって、斉木さんはテーブルに広げたお菓子の一つをオレの口に突進させた。
「むごっ!」
 まさかそうくるとは思ってなかったので、オレは目を白黒させた。
『美味いか?』
「………」
 と言われても、何が口に飛び込んだのか見てないから答えようがない。
 オレは慎重に口を動かし、上あごに突撃した何かをおっかなびっくり味わう。
 えぇと…これは何だろう、甘くてほろ苦いこれは、チョコか。わかった途端ほっとして力が抜けた。
「……美味いっス」
 チョコ美味しいよね、オレも好き。
 答えると、当然だって鼻で笑う斉木さん。
『別に外に追い出さなくても、差し入れくらいは出来るがな』
「……んもー、斉木さん、大好きっ!」
 込み上げる気持ちのままオレは抱き着いてキスをした。
『いい加減静かに本を読ませてくれ』
 まあまあ斉木さん、ほら、オレのチョコ上げますから。オレからの差し入れ、受け取って下さい。
 そう念じながら舌で送ると、チョコだけじゃなくオレごと溶かしてしまうんじゃって熱烈さで、斉木さんはキスを続けた。

 ああダメ斉木さん、この差し入れは強烈すぎる。

 本当に鼻血が出そうだけど、でもキスはやめられなくて、オレは長い事斉木さんと抱き合っていた。

 

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