まったくそうは思わない

 

 

 

 

 

 休日の今日、駅前の書店へと出向いた僕は、そこで運命的な出会いを果たす事となる。
 目的の棚に向かおうと、入り口からレジ前を横切りまっすぐ進もう…とした時、とある雑誌が僕の目と心を引っ張った。
 普段は旅行雑誌など目にも留めない僕だが、今回は別だ。特別だ。
 まあもうお察しだろうが、そう、表紙に「コーヒーゼリー」の単語があったのだ。
 京都で食べる…云々と文句が続いているが、コーヒーゼリーの為なら京都だろうが大阪だろうが地球の裏側だろうが僕には等しく一瞬だから、ついつい笑ってしまった。恥ずかしい奴だな僕は。
 よし、こいつは迷うことなく即購入だ。
 家に帰ってゆっくり読むとしよう。レジで受け取り、僕は大満足で出口に向かった。
 実は今日は、以前から追ってる某漫画本の最新刊の発売日で、それ目的でこうして街に繰り出したのだが、思わぬ掘り出し物に出会えて最高だ。いや実に良い買い物をした。
 もちろんコミックもちゃんと買った。楽しみが増えて何よりだ。

 自動ドアをくぐって、さあ家に帰るかと歩き出そうとしたまさにその瞬間、聞きなれた声に呼び止められた。
「あ、斉木さんじゃないっスか! 休日にまで会うなんて運命っスかへへ」
 最初の「あ」の時点で誰だかわかり、僕の頭は瞬時に「無視して帰る」を選択したが、どういうわけか身体が反乱を起こして足を止める事態になった。
 そもそもテレパシーでわかるだろうと思うのだが、実は京都のコーヒーゼリーに浮かれてしまい情けないことに意識が散漫としていたのだ。
 僕としたことが、とんだ失態だ。
 聞こえない振りしてさっさと歩き去り、角を曲がったところで瞬間移動でまいてしまえばよかったのに…なんで立ち止まったりしたんだ。
 お陰で、うるさい野郎につかまってしまった。
「斉木さんも本屋にご用で? オレは、あー、ちょっと立ち読みをね、へへへ。ところで何買ったんです? エッチ…な本は斉木さん読まないし、また文字ばっかの小難しい推理本っスか? あでも袋おっきいっスね、じゃあやっぱりエッ――!?」
 本当にうるさいな。
 あんまりうるさいので、不適切な単語が続く前にちょいっと超能力で黙らせる。
 突然舌が凝り固まった事で鳥束はびっくり仰天して目をむき、僕の仕業とすぐに気付いて抗議の目付きをぶつけてきた。
 喋ってなくてもうるさいな。
 ほっといて帰ろう。

 いや、待てよ…上手くしたら京都のコーヒーゼリーこいつに奢らせることが出来るんじゃ、と企みが頭に浮かぶ、が、さすがにそれは図々しいのではないかと反論も上がる。
 いやいやこれくらい軽いもんだろ。いつもコイツに迷惑かけられてるんだし、何だかんだ尻拭いしてやってるし、詫び賃としては些細な方じゃないか?
 僕の中で僕同士せめぎ合う。

「………っ!」
 斉木さん、そろそろ勘弁してー!
「――っ!」
 斉木さん、これどーにかしてくださいよ!

 思案する僕の横で鳥束が自分の口を指差し、出ない声で唸りながら両手を合わせてきた。
 やれやれ仕方ないな。
 余計なお喋りはやめろよ、と目線で念を押し、僕は凝固を解除してやった。
「うっ……はぁ!」
 殊更大きな口を開けて息を吐き出した後、鳥束はんむっと口を噤みその中で舌を丸めて復活を喜んだ。
「んんーもう……なんなんスか急にっ」
『ベラベラうるさいから、つい』
「ついであんな……! もおー、相変わらずオレには雑っスよね」
『お詫びに一杯奢ってやるからそう怒るな』
「えぇ、いやいっスよそこまでは。でも、自分で出すんでちょっと何か飲んでいきましょうよ。ね、丁度そこにファミレスありますし」
 鳥束は、書店から二軒ほど先の二階にあるファミレスの看板を指差した。そして心の中で、まだ帰らないで、休みに偶然会えて嬉しい、出来れば長くいたいと、繰り返し祈っていた。
 僕の方も実を言えば足が止まってしまうくらいはこの偶然を疎んではいないから、そんなに必死にならなくても行ってやると少し笑いたくなった。
『そうだな』
 まあ、やるだけやってみるか。それで罪悪感が湧いたらやめ、何ともなければ続行だ。

 という成り行きで、二人でファミレスを訪れた。
 ひと通りメニューを眺めた後、僕はスペシャルコーヒーゼリー、鳥束はクリームソーダを注文する。

『珍しいもの頼んだな』
「え?」
『いつものカフェオレじゃないのか』
「ああ、ええ。メニューにあったの見たら、猛烈に飲みたくなっちゃって」
 鳥束は、テーブル端に片付けたメニューブックを今一度手に取ると、見やすいよう僕に向けて広げた。
「えへへ、なんでか聞きたいです?」
 いや別に。
 僕はさっと手をかざした。
 ほとんど興味がないな。僕は顔全体、身体全体でそう主張するが、一度始まった回想はそうそう簡単には止まらなかった。
 鳥束の脳内で記憶が鮮やかに花開いていく。
 ほとんど興味はないが、まったくないわけじゃない。鳥束ほどじゃないが、僕にだって、悪からず思う相手の事をもっと知りたいという欲求はある。
 だから、さっきみたいに超能力で強引に遮断する事はせず、優しく流れ込んでくる思い出を静かに見つめた。

 

 

 

 年に一回、誕生日の時、好きなものなんでも食べていいと両親はデパートに連れて行ってくれた。
 そこでオレが選ぶのはいつも、お子様ランチとクリームソーダ。
 お子様ランチもすごく思い出深いけど、クリームソーダが特にお気に入りだった。
 記憶に残る一つの特別な何か。誰にでもあるもので、オレはこれ。
 あとそれに付随して、食堂の雰囲気。音とか。
 店内はザワザワしてて、向こうの厨房からカチャカチャと食器やコップを整える音とかして…そういうの含めて全部が、深く記憶に刻まれている。

 鳥束が鮮明に思い返すものだから、僕は一時的に鳥束になり記憶をなぞった。
 大勢の客の話し声がさざ波のように僕を包み、大食堂特有のどこかわくわくとした空気にどこまでも喜びが広がっていく。
 やがて待ちわびたお子様ランチとクリームソーダが運ばれてきて、喜びは絶頂を迎える。
 鳥束…僕は、大きなグラスを満たす緑のメロンソーダと、真っ白なバニラアイスと、ちょこんと添えられた赤いさくらんぼの組み合わせに、なんて完璧なんだろうと感動しうっとりと見惚れた。

 

 

 

『悪くない思い出だな』
「あ、記憶視ました?…へへ、中々いいでしょ。普段はすっげぇ厳しい親父もお袋も、この日は一日ニコニコで、オレもニコニコで、幽霊たちもお祝いしてくれて。本当に特別な、大切な思い出なんスよ」
 そこへ、店員が僕らの注文を運んで来た。
「わーこれこれ、いただきます」
『いただきます』
 鳥束は早速スプーンを手に取った。
 すらりとした柄のスプーンにバニラアイスをすくい上げ、鳥束は口に運んだ。
「今はこうやってね、何でもない日にも自由にいつでも飲めますけど、やっぱり特別っス。今日は特に美味い気がする。斉木さんと一緒だからかな」
 なんつって
 と茶化したが、本気なのは、僕にはわかる。
 アイスを崩すようにして静かにソーダをかきまわし、一口飲んだあと、鳥束は僕の脇に置かれた本の袋を指差した。
「さっきはごまかされちゃいましたけど、ねえ、何の本買ったか教えて下さいよ」
『別に、ごく普通の旅行雑誌だ』
 言葉だけじゃまだ疑うだろうと、僕は実際に取り出しテーブルに置いた。
「へえ珍し……ああ、これっスね!」
 鳥束は、まるで間違い探しの正答を見つけたかのように顔を輝かせ、コーヒーゼリーの文字を指差した。
『さすがだな、伊達に僕に付き纏ってない』
「付き纏うとかまた、そういう言い方勘弁っスよ」
『嘘は言ってないぞ』
「もおー、オレら付き合ってんスから、一緒に行動するのはなんもおかしくないでしょー」
『さてどうだったかな』
「斉木さぁん、はぁもう、参ったなあ」
 などと茶番を繰り広げる。言葉程参ってないのは、顔を見れば一目瞭然だった。だから僕は、にやにやだらしなく緩む鳥束にふんと鼻を鳴らした。

「ああでも、京都かー、いっスよね」
 表紙をでかでかと飾る「京都」の文字に食い付き、鳥束は「二人で京都に行けたらどんなにいいだろう」と夢を膨らませた。
 あんまりキラキラの顔で語るから、好きなのかと聞いてみた。
「うーんいや、どこでも、斉木さんと一緒なら楽しいですよ」
 これは、もしかしたら上手くいくかもしれない。
 僕は内心ニヤリと笑った。

「もし行くんなら、オレ、このコーヒーゼリーご馳走しますよ」
 願ったりかなったり。
 向こうから言い出してくれたなら、余計な罪悪感を抱かずに済むな。
『本当か?』
 嬉しさに緩みそうになるのを懸命に食い止め、僕はさも申し訳なさそうに尋ねた。
「本当っスよってか遠慮なんて斉木さんらしくないっスね」
 なんだと、僕はそんなに図々しい人間じゃないぞ。
「そーでしたっけ。ははは、でも本当に、コーヒーゼリーはご馳走します」
 そろそろ我慢も限界だ、素直にもろ手を挙げて喜ぼうじゃないか。
「ただし」
 そう思った矢先、鳥束は人差し指を立てた。何を言うつもりだお前、という思案の間に、奴の思考が流れ込んでくる。
「ご馳走する代わりに、向こうで一緒に着物着てほしいっス。楠子ちゃんで」
 なるほど、そうきたか、

 絶対譲れない交換条件だと強い顔で突き付けてきた割に、鳥束の内心は、まあ十中八九駄目だろうなと諦めに大きく傾いていた。
 鳥束は細いスプーンでアイスをすくい口に運んだ。溶け始めたアイスを美味そうに含む口。ぺろりと口の端を舐めたのは、無意識か。
 僕はしばし目を奪われた。

 斉木さんと京都散策、いい思い出になるだろうけど…ま、そういう想像だけで我慢するとしますか。
 でも叶ったら嬉しいな。
 楠子ちゃんにはどんな柄の着物が似合うだろう。
 季節も考慮しないとだな。
 あんな柄…こんな柄…寺生まれだから今まで少なくない数の和服見てきたけど、うーん、楠子ちゃんには果たしてどんなのが似合うだろうな。
 楠子ちゃんの可憐さをより引き立てる着物、きもの……。

 そんな風に考える鳥束を、僕はじっと見つめる。
 ソーダのアイス攻略に夢中になっていた鳥束も、やがて僕の視線に気付き目を合わせた。
「あ、あの、調子乗り過ぎました? 怒ってます?」
 どぎまぎしながら聞いてくる鳥束に、小さく首を振る。
『考えているんだ』
 旅行に興味なんてないけれど、お前と思い出を残すのは、どうだろう。
 僕にとってどうなんだろう。
 そんな事を考えている。
「考えるって事はやりたいってことでもあるんじゃないっスか?」
「………」
「だから、やってみましょうよ、一緒に着物着て京都観光。ね、斉木さん」

 僕は考え続ける。
 鳥束はそれを見守り続ける。
 グラスの中で、バニラアイスがじわじわと溶けていく。
 アイスだけを味わうのも美味しいし、溶けたのをソーダと混ぜて飲むのも美味いんだよな。
 いつしか僕はそっちの方に気を取られ、そればかり考えに耽っていた。
 だって、もう、気持ちは固まっていたからな。
 変身に使う二時間が面倒だけど、コイツと一緒に出掛けて考えも及ばないような出来事に遭遇するのはきっと、とてつもなく楽しいだろう。
 鳥束は脳内でお気楽に、僕と…いや楠子と一緒に着物姿で古都を散策する夢を見ている。
 一緒に肩を並べて歩いて、同じ景色を見て、同じ感想を抱いて。
 どんなに楽しい事が起きて、どんなに思い出深い出来事に遭遇するか夢見て、期待を膨らませている。
 絶対に楽しいに違いない、一生忘れられない記憶になるに違いない、そう信じて疑わない。

 やれやれ…僕はまったくそうは思わない。
 災難な目に遭うのは想像に難くない――けど、それ以上に喜びがあるのは間違いない。
 コイツと過ごした今までを思えば、うん…僕は楽しみにするのが正しい。
 さっき僕が奴自身になって見た記憶のように、いつか年を取って振り返った時にきっと、僕らの特別になるだろうから。

 だから行こう。今度の週末にでも、一緒に。
 ソーダのグラスから目を上げると、ずっと僕を見ていた鳥束の視線とかち合った。
 返事を繰り出すまでの数秒、僕たちは見つめ合っていた。

 

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