雲と俳句とホットチョコ

 

 

 

 

 

 下宿先の寺を出てすぐの塀にはつるっぱげのおじいちゃんの霊がいて、オレに挨拶してくる。
 少し行ったところにあるガーデニングが大好きな家の庭先には、いつも花に見惚れてるおっちゃんの霊がいるのでオレから挨拶する。
 遊歩道の立派な桜の木の辺りでお喋りしてるおばちゃんたちの霊は、いつも揃って賑やかにオレに声をかけてくる。
 通学路には他にもたくさん幽霊たちがいて、そのほとんどとオレは顔見知りだ。
 ――が。
 今日は、その誰とも挨拶を交わせなかった。

 一体残らず消えてしまったというわけではない。彼らはいつもと変わらずその場所にいて、のんびりとした存在らしく、オレに声をかけてくる。
 しかしオレの方に全くといっていいほど余裕がないので、挨拶を返せなかったのだ。
 というのも、宿題で出された俳句の提出日を勘違いしていたのが原因だ。
 オレは、提出日を明後日までだと思い込んでいた。しかし実際は今日までだったのを何と今朝唐突に思い出し(何気なく開いたノートに赤ペンで書いてあった)一瞬絶望するも授業までに出来上がればいいのだと持ち直して、一句ひねり出すために全力で集中しているせいで、彼らに挨拶が出来なかったのだ。
 そんな訳で、オレは今必死に頭の中をかき回している。
 学校にたどり着くまでに目に入った何かで思い付かないかと、あっち見ちゃブツブツ、こっち見ちゃブツブツ。
 しかし焦りのせいか全然まとまってくれない。
 くっそ〜日本語め、難しすぎるんだよ!

「あ……!」
 やった、これぞまさに渡りに船!
 オレは飛び上がらんばかりに喜んだ。道の先に、見慣れた濃桃色の生徒を見つけたのだ。
 ああ、神はオレを見捨てなかった、これも日ごろの行いがいいからだね。
「はよーっス斉木さん、早速ですけど――」
『断る。あとお前は悪行三昧だふざけんな』
「ふぉわっ!」
 オレは全速力で駆け寄り協力を仰ぐが、すげなく断られた。
 その上心の声にもきっちりツッコミ入れられた。ぐぐぐ。
「そこをなんとか! コーヒーゼリー奢りますから!」
 しかし、それくらいでめげるオレじゃない。いつもの切り札を全力で繰り出し、再度協力を申し出る。
「どうかお願いします、国語の宿題手伝って下さい!」
 すると斉木さんはふうとため息のあと、一句寄越してくれた。
『やれやれ……うまそうな 雪がふわふわ 降ってきた』
「え、お、……うん、いい感じ」
 とても素直で、可愛らしい句に、オレは素直に笑った。
 でも意外、毎度コーヒーゼリーでつられるかと…いやつられるけど…バッサリ斬り捨てられると思ってたのに。
 すると斉木さんはニヤリと笑みを寄越した。
 あ、嫌な予感。
『超有名な俳人のパクリだがな』
「!…お、いっ!」
 そりゃいくらなんでもマズイっス!
 予感的中だった。
『お前のレベルに合わせてやっただけだ。お前、平気でパクリそうだしな』
「そそそ、そんなことは!」
『コーヒーゼリー忘れるなよ』
「んもおー……オレ、真面目に困ってて…斉木さん頼んますよ、一生のお願い」
『っち……冬の日は 寒くて布団 出られません』
 んっふふ、それも悪くないっちゃ悪くないですけど……うーん。
『これでコーヒーゼリー二個な』
「ええー……」
『何がええーだ、わがままな奴め』
「いやえっと……」
 えー、これオレが悪いの?

 考えてみりゃオレが悪かった。国語の宿題、出された当日にさっさと片付けていればこんな事に放ってなかったしな。とはいえ、当日中に片付けるとかそんなのオレには無理だよ。今日の明日っていうならなんとか頑張ってもみるけど、数日先とか来週までとか言われるとついつい先延ばしにしちゃうしさ。
 その結果が今日の、う今のオレ。
 がっくりと肩を落とし、参ったなあとてくてく歩いた。
 橋に差し掛かり、それまで建物で遮られていた冬の寒風が直撃、容赦なく身体から熱を奪っていく。
「うわさみー……」
 寒いのには強い方だけど、今日は困り果ててるせいかやたらに身に染みて寒い。
 ああ参る。
 寒さに縮こまりながら、オレは一生懸命頭を捻った。
 冬の風…冬の空…冬の朝…冬の雲――あーだめだわからん!
 最初、もしくは最後の五文字は浮かぶのだが、その他の五と七がさっぱりなのだ。全然埋まらない。
「うぅー……」
 どうしようか、いっそもう諦めていつもの叱られコースを選ぶべきか。
 諦め半分、オレはしぶとく言葉を探した。てかオレ日本人だよな、このままじゃ寺生まれの名が廃る。

 その時、ふと、一歩先を行く斉木さんの顔が目に映った。
 空に目を向け、ほんのりと笑っているようだった。自分も同じく空を眺めた。
 何か面白いものでもあったのか、何を思ってるんだろうか。
 いかにも冬の空って感じに青く澄み渡って、独特の形の雲がさぁーっと伸びている。
 尋ねてみようかと思ったまさにその時、なあ鳥束、と呼びかけられた。
『冬はやっぱり、ホットチョコレートだよな』
「え、あ、はぁ、そっスね」
 冬はあったかい飲み物がいいよね。身体の芯から温まるし、身も心も緩んで和むよね。
 まあオレならあつーい日本茶ってとこだけど、ホットチョコなんて斉木さんらしい甘々具合に、オレはちょっと笑った。
「でもなんで――」
『だってほら、見てみろあの雲』
 まっすぐで細長くて、まるであれみたいじゃないか。
 ん−?
 あれってなんだろ。斉木さん、冬の雲見てなに連想してるんだろ。
『本場のスペインでは甘くないんだ、それ自体は。だから、ホットチョコにつけて食べるんだそうだ』
 へえー。で、なにを?
 色々ヒントを言ってくれるのだがオレは何が何やら――。
「……ああっ! ぶはっ!」
 わかった途端、思いきり噴き出してしまった。

 なるほどね、細くて長くてまっすぐで、確かに、チュロスみたいですね。
 で、本場ではホットチョコにつけて食べるからそう言ったってわけなんですね。
 あーもう斉木さん可愛いっスね。
「まったく!」
 オレは感心した。

『笑ったから、お前の奢りな』
「え、……えっ! なんスかそれ、随分と無茶苦茶な理論じゃないっスかそれ」
『今日の放課後楽しみにしてる。コーヒーゼリー二個も忘れるなよ』
「いや。ちょ……!」
 斉木さんは一方的に話を打ち切り、ささーっと正門をくぐって校舎へと歩き進んだ。
 え、ちょっと…あやっべ、俳句全然だわ。
 ホットチョコ奢るとかコーヒーゼリーとかは構わないけど、宿題が片付いてない事にオレは青ざめた。
 うっわどうしよう、さっきもらったのを少し変えて提出するか?
 斉木さんを追って小走りで玄関を目指した。けれどすでに姿はなく、がっくりと肩を落とし絶望する。

 どんより沈んだ気持ちで教室に入り、自分の席にどさっと腰かける。
 登校してきたタケルらが声をかけてくるが、オレは力ない苦笑いで応えるのが精一杯だった。
 タカユキに、もしや宿題やってないとか、と的確に言い当てられ、オレは肯定の代わりに頭をかきむしった。
 彼らはそれなりにこなしたらしく、自慢げにノートを見せつけてきた。くっそー。しかも、シンヤにまでドヤ顔されてオレはもうズタボロだった。
 机に突っ伏して泣き濡れる。いいよいいよ、放課後居残りなんて慣れてるしさ、ははは。
「まあそう腐るなよ、俺らのボツ案くっつけたら何か出来上がるかもしれないだろ、ほら、まだホームルームまで時間あるし、粘れって」
 と、三人が揃ってノートを見せてくれた。
 オレは別の意味で泣けてきた。有難いなあ。
「今度お礼に、お宝本持ってくるっスね」
「いいけど、お前のってちょっとマニアックなんだよな」とタケル。
「えー、僕は結構好みだけどな」とタカユキ。
 シンヤは、ニヤリと笑うとオレの肩を叩いてきた。はいはい、待ってるって事ね、おっけーおっけー、ちゃんと持ってくるからさ。

 皆のをミックスして写し、オレは何とか宿題を仕上げる事が出来た。
 そして丁度そのタイミングで予鈴が鳴り、オレは大きなため息とともに胸を撫で下ろした。
「お礼、忘れんなよ」
「まかせとけって」
 それぞれの席に散らばる三人に調子よく手を上げて応え、オレは一旦ノートをしまった。
 ふう、これで、居残りは免れたな。

 宿題を完成させるという一仕事を終えたことで、オレはもう今日が終わった気になっていた。実際は今から一日が始まるのだが、絶望の淵から這い上がり九死に一生を得た気分なので身も心もすっかり緩んでしまい、一時間目の半ばだというのにもう眠くなってきた。
 まずいな〜、これじゃ宿題提出したらもっと眠くなるな。
 オレは何気なく窓の外を見やった。
 ああ、いい天気だ、そう、この天気がいいのがいけない。低い日差しが教室に入り込んで、ただでさえ暖房で暖かいのにお日様の暖かさでより眠気がくる。
 ああそれにしても本当にいい天気だな。雲一つない空もいいけど、今日みたいに青空に雲がかかっているのもいい。
 そういや斉木さん、なんだっけ…そうそうチュロスな、あれ可愛かったなぁ。
 もー、あの可愛さを見せてくれたお礼に、コーヒーゼリーたくさんご馳走しちゃうか?
 などと、眠気覚ましに朝の斉木さんを思い出しニヤニヤしてて、オレは唐突に閃いた。
 すぐさまノートを開き…今までノートも教科書も出しただけだった…ひと息に書き付けた。

 ――なに思い あなたは笑う 冬の雲

 殴り書きのひどいガタガタの字だったが、そこに込めた気持ちのせいか、オレにはぱあっと光り輝いて見えた。そして、文字を追う程に胸がじんわりと熱くなっていくのを感じた。なんか…涙まで出そうだ。
 どうしたんだろオレ。
 斉木さんが、空に広がる雲を見渡して嬉しそうにしてたのを思い出すにつけ、胸はどんどん熱くなっていく。
 なんとも言えない不思議な心持ちだった。こんな感覚は今までで初めて。熱くて痛くて、とんでもなく嬉しくなる。
 斉木さんの事を思うと、なにか、言葉に出来ない塊が大きくなって、全身から溢れそうになるのだ。
 なにか、……なりふり構わず叫び出したくなるなにかをオレは何度も飲み込んで堪え、一文字ずつ丁寧に清書していった。

 気持ちはもう、放課後に飛んでいた。
 早く斉木さんに美味しいものご馳走したいな。
 コーヒーゼリーに、ホットチョコに、それから。
 それからなんだろうな、食べたいっていうものなんでも、何でも奢りますよ。
『いいから、ちゃんと授業受けろ』
「っ!」
(うわあーびっくりした、はーびっくりした、急に何すか斉木さん)
『お前こそなんだ、人の名前を何度も何度も。うるさいぞ、迷惑だ』
(迷惑って、そんなぁ。ね、今日の放課後、楽しみですね)
『いいから授業に集中しろ』
(そんなつれなくしないで…斉木さん)
 呼びかけても、もう返事はない。
 あああ、やっちまったか。ちょっと、かなり調子にのってしまった自覚があるので、オレは大いに反省する。
 でも、でもねさい…おっと名前はやめとこう、これ以上迷惑かけたくない。
 でもだからこれだけはわかってほしい。今日最大の悩みが解消して、嬉しくて舞い上がっちゃったんです。
 そのお礼がしたくて、暴走しちゃったんです。
 わかってください。
 真剣に念じるが、やっぱり返事はない。
 そりゃそうか……後で謝りに行こう。
 そう思った時だ。

『やれやれ……期待しないで待ってる』
「――!」
 危うく立ち上がるとこだった。一気に跳ね上がった心臓を必死に抑え、オレは深呼吸を繰り返した。
 もう、斉木さんてば。本当にあの人はお茶目なんだから。
 さっきより重症のニヤニヤを咳払いでごまかし、懸命に教科書に向かうフリをする。
 なにか、……斉木さんを大切にしたいという気持ちが、オレをこれ以上ないくらい幸せにさせた。


 オレはそっと空と雲を見上げて、ほんの小さく息を吐いた。

 

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