息が止まりそう

 

 

 

 

 

 斉木さんは、すぐどこかにさらわれる。
 といって、現実の、物理的な話じゃない。
 テレビドラマとか小説とかの、想像の世界にだ。
 何でも見通す目を持ってるから、斉木さんの日常は平坦で乾燥気味。だから、驚きや興奮をくれるフィクションの世界が大好き、なんだそうだ。
 なるほどねと納得する部分もあるし、悔しいってハンカチ噛みしめたくなる部分もある。
 まあでも確かにオレじゃ驚きはあげられない。単純なオレの行動で驚きとか夢のまた夢だ。
 興奮は、…ある意味あげられるっちゃあげられる、あげまくりだけど、斉木さんが求めてるのとはちょっと違うから、斉木さんはすぐあっちへさらわれてしまう。
 だからオレは、毎日見えないハンカチ噛みしめちゃキーって涙目になってる。

 

 

 

 放課後、オレと斉木さんは駅向こうの商店街にあるとある古本屋に立ち寄った。
 当初の目的は商店街にある安売りスーパーで、そこならではの素敵なコーヒーゼリーを見つけられたらいいなあと、足を延ばしたのだ。
 その途中、通りがかりに古本屋を見つけ、なんとなく気になったので入ろうとなった流れ。
 普段はあまりこちらの商店街に来る事はないので、まだまだ、どんなお店があるのか把握しきれていない。
 見た感じはいかにもな構えの古本屋で、うーんあまり期待できそうにないな、でもまあ一冊でも掘り出し物が見つかればいいか…くらいの気持ちで店内へ。
 店内は薄暗い…いや、明るい、眩しいというわけではないがくっきりと隅々まで見渡せる丁度良い照明具合。
 雑然としているようで、よくよく見るときちんと種類分けがなされていて、いろんなジャンルの本がぎっしり棚に収まっている。
 オレはちょっと、テンションが上がった。なんだろうね、本屋って、妙にウキウキとした気分にさせてくれるんだよね。それが新刊を扱う書店でも、古本屋でも、この、本がぎっしり詰まっている光景って胸にぐっとくる。
 さて、斉木さんは文字ばっかの本がお好み、オレは見目麗しいお姉さんがいっぱいの本がお好み。
 という事で、あとで合流しましょうと入り口で約束して、オレらは二手に別れ探索を開始した。

 それらしいものはないかとあたりをつけて物色していると、なんとなく手に取った美術系の本が意外にもビビっと来た。
 わりといけてるよ、これ。
 様々なポーズのデッサン集、といったところか。
 オレはそっと本を開いた。パラパラと数ページめくってみる。
 はー、なるほどね。
 うんうん、まあまあだね。
 なにこれ、いけるじゃないの。
 人体というものを正確にとらえ描き出す為の指南本なので色気の欠片もないのだが、オレにかかれば変換なんて朝飯前よ。
 いっくらでも、絡みの相手の姿が浮かび上がってくるし、状況だって生み出せちゃう。
 しばらくの間そうやって、内心ではグフグフ妄想していた。
 もちろん、見た目はそれなりに「美術の本を探している学生」を装ってるよ。そこはまあ抜かりないから。

 で、しばらく楽しんでいてある時ふっと、我に返った。なんというか、そういう一定の波があるんだよね、
 あれからどれくらい経ったかと時計を確認してから、斉木さんの様子を見に行った。
 さっきは真後ろの棚にいたが、今は別の棚に移動したようですぐは姿が見つからない。ここ、外見では狭そうだけど、中に入ると結構広いんだよな。
 どこだろうと、オレは手にした美術本を手に軽く探しに出る。すると、一つ向こう側の棚で一冊の小説本にじっくり見入っている姿が目に入った。
 その、美しい佇まいに思わず息が止まる。
 今しがた見ていた本が本なだけに、美しい立像のように思えた。
 頭も、足も、ぴったり固まったようにぴくりとも動かない。ただ、目だけが文を追ってゆっくり動いている。
 想像の世界に捕まった斉木さんは、ため息が出るほど綺麗で、ついついぽーっとなる。
 ああ、この時間がずっと続いたらなぁ。途切れるのが惜しいとつい思ってしまう。
 好きだなあ
 斉木さん、好きだなあ
 このままずっとずっと見ていたい

 やがて首がわずかに動いた。紡がれる文章を追って段々と頭がこちらに傾いて、そこでオレに気付いたのだろう、ぱっと、目がオレに…現実に向いた。
 瞬きで切り替え、斉木さんはオレをしっかと見つめた。
 あ、まずい、顔が熱い。きっと赤くなったなこりゃ。
 とんでもなく恥ずかしいが、オレは笑ってごまかした。
 そんなオレに『キモイ』とテレパシーが飛んでくる。表情も、それに見合ったものになる。
 オレは苦笑いで頭をかきながら歩み寄った。
「まあまあ。それ、面白いっスか?」
 斉木さんは素直に頷いた。
『これは買いだな』
「そりゃよかった」
『お前が来てくれてよかった』
「えっ」
 ドキッとするようなことを。
『家で読む楽しみを台無しにするところだった』
 あ、うんうん、そうね。
「他にも見ますか?」
『いや、今日はこれくらいにしておく』
「じゃー斉木さんちで読書会っすね」
『お前は帰れよ』
「えー、一緒に読書会しましょうよー」
『いやだ。またいかがわしい目で見られたらたまったもんじゃない』
 そ、そんな目で見てないっスよ
『見てただろ、……息が止まりそうだった』
 それまで鋭く睨んでいた斉木さんが、みるみる顔を真っ赤にしていく。
 え、ちょ、何この可愛い人。てかやだ勘弁して、オレまで赤くなっちゃう。また赤くなっちゃう。今度は鼻血出ちゃうかも。

『うるさい、さっさとレジ行くぞ』
 そう言ってかかとを蹴られる。
 ひっどいなもう。
 痛くはないし、照れ隠しの行動だってわかるので、オレはついにやけてしまう。すぐさま『ニヤニヤすんな』って悪態つかれるんだけど。
 オレは何とか顔を引き締め、手を出した。
「じゃあ、オレも欲しいのあるんで、一緒に会計してきますよ」
『際どいやつか』
「いえいえとんでもない、健全な本っスよ」
 ある意味ーとかじゃなく、真面目な美術の本。
 オレは急いで表紙を見せた。ね、ね、全然いかがわしいものじゃないでしょ。
 でも斉木さんは、何でも見通すめちゃくちゃ怖い超能力者、オレの魂胆なんてすぐに見抜いてしまう。
『お前は本当にどうしようもないな』
 斉木さんはやれやれと頭を振った。うぅ…だってぇ、綺麗なお姉さんはみんな大好きなんですよ。
『まあいい。じゃあ頼む』
「了解っス」
 オレは本を受け取ると、レジに向かった。
 がすぐに呼び止められる。
「まだ他に、欲しいのあったスか?」
 尋ねると、そうじゃないと首を振る。
『僕が店を出て、いいと合図したらレジに行け』
「え、あ、はぁ」
 意味が分からず首をひねる。
『ネタバレを食らいたくないんだ。合図とともに僕は隠れた路地裏から瞬間移動で家に帰る』
「え、ちょ……!」
 そりゃないよ斉木さぁん、置いてかないでよ!
 静かな店内で大声出す訳にはいかないので、オレは目線に精一杯の気持ちを込めた。
 すると斉木さんも目線を寄越した。
 ちょっと、笑ってるみたい。
『家で待ってるから、早く来いよ』
 出る間際そう寄越され、それでオレはデレっと顔をたるませるんだからホント単純。

「はい、ありがとうございました」
「あざっス」
 薄茶色の薄い袋に入れて寄越された二冊の本を受け取り、オレは店を後にする。
 さあ、急いで斉木さんちに向かおう!
 勇んで古本屋を出たオレだが、冷たい風にぎゅっと身体が縮こまる。凍えそう、息が止まりそうに冷えるな。
 でも――。
 頬がひんやりと冷えても、心の中はぽっぽと滾っていた。
 斉木さんの横顔を思い出したからだ。
 ずっと見ていたいと思わせたあの美しい横顔が、心をあたたかくさせた。


 斉木さんは、すぐどこかにさらわれる。
 オレの知らない世界に没頭する目が…というか斉木さんを虜にする想像の世界が妬ましかったが、それは一時的なもので、あの人の目は必ずオレを向いてくれるって知ってるから、もやもやもすぐに吹き飛んでしまう。
 どこを向いても、どこへ連れ去られても、必ず戻ってきて、オレに焦点を結んでくれる斉木さん。

 ああまずいまたしても顔が熱くなってきたぞ。
 これじゃ出入り禁止を言い渡されるかもしれないな。

 オレはなるべく平常心を装い、斉木さんちを目指した。
 それは、とても難しいものだった。
 斉木さん、アンタんちに到着したオレがキモくても、家に入れて下さいね。
 オレも、ちゃんとアンタだけ見ますから。

 

目次