返品不可
壁にくっつけた長テーブルに二人並んで座り、一緒にいただきますと手を合わせる。 今夜の献立はハンバーグ。自家製のポテトサラダは斉木さん作で、これが中々にいける。美味い。これだけでご飯おかわりできちゃうくらいの逸品だ。 なのでメインのハンバーグより先にポテトサラダをもりもり口に運ぶ。自分の作ったハンバーグは後回し、まずは斉木さんの愛情たっぷりポテトサラダ。うーん、今日も美味い。 斉木さんはお手本のように味噌汁、ご飯、おかずとまんべんなく食べている。姿勢も良いし動きもとても綺麗で、ああ本当に自慢の恋人だ。 そんな夕飯のさなか、オレは「明後日の休み、どこ行きます?」と聞いた。 以前から、週半ばの祝日は二人でどこか出かけようと話が出ていたのだが、ではどこに行こうかあれこれ行先は出るのだがどこも行きたいと一ヶ所に絞れず決めかねていた。 そして今朝斉木さんが出がけに、じゃあ夜までに考えておくと言っていたので、再び口に出したというわけだ。 「ああ。ここに行く事にした。もう予約も取った」 斉木さんはスマホを軽く操作すると、オレに見せてきた。 映画、ショッピング、それとも? いくつか思い浮かべながら覗き込んだオレは、行先の意外さに「えぇっ?」と声を上げた。がそれは唐突だったことに驚いたからで、決して抗議の意図はない。 そんなオレに斉木さんはちょっと気まずそうに唇を引き結んで、目線を落とした。 オレは大慌てで挽回する。 「や、いっスよ、ええ。楽しそうじゃないっスか、和菓子作り体験とか」 「うん……ああ」 もごもごと斉木さんは口を動かした。オレはそれがまだ物珍しい。ずっとテレパシーでのやり取りだったから、ずっと閉じてた口が動いて声を発してオレに意思を伝えるっていうのが、まだまだ新鮮に感じる。 そう、斉木さんは今や、元超能力者だ。 高校三年を目前に超能力を封印し、色々とてんやわんやありつつ高校を卒業、大学へ進学。それから今日までずっと、普通の大学生(?)として過ごしている。 超能力を封印するその前後、「もう能力者じゃなくなるから」ってんでオレとの付き合い考えるだのやめるだの変えるだの離れるだの離れないだのすったもんだがあったが、オレはそんなの認めないって突っぱねて、付き合いは続行している。 まあかなり揉めに揉めたんだけどね。斉木さんてば勝手にオレの事決め付けて、どーせ僕から離れてくだの女好きの変態には無理だのどうのこうの喚くから、そんなに言うなら証拠見せてやるって啖呵切って、今、その証拠を見せ中なわけ。 つまり、オレは何があろうと斉木さんと付き合いやめない、斉木さんから離れない、斉木さん一番で生きる、てのを証明する為に全力注ぎ中なのよ。 けどここだけの話、自分でも本当はちょっと不安だった。斉木さんの超能力は、やっぱり、それだけ魅力的だったからさ、それがまったくなくなって、お互いどう転ぶかなんて、その時になってみないとわからないじゃない。 口じゃーなんとでも言えるけど、実際に「普通の人」になった斉木さんがオレの目にどう映るか、怖くもあった。 まあ、なってみたらなんて事はない、ひどいなんてもんじゃないけど、本当になんて事はない、びっくりするほどオレは変わりなかった。 いやむしろ愛情が増した。激増した。保護者というかお母んみたいになったけど、そういう部分もあり、同い年の恋人への愛情もありで、危惧した悪い変化は訪れなかった。 そうやってオレは残りの高校生活を過ごした。斉木さんへの想いは何があっても変わらないというのを見事証明したオレを、斉木さんも少しは信頼してくれたのか、大学進学を機に実家を出るから一緒に暮らすのはどうかと言ってきた。 実はオレも密かにそんな野望を…斉木さんと一緒に暮らしたいと常々切望していたので、オレは大喜びで申し出を受け入れた。 そんな訳でオレたちは、狭すぎず広すぎずの賃貸物件で二人仲良く生活している。 さて、常人になってからの斉木さん、最初こそ全く違う環境に慣れずビビったり怯んだり大忙しだったけど、まもなく高校を卒業するって辺りからガラッと変わった。 どういう事かというと、今まで出来なかった分を取り戻したいからか何なのか、やけにチャレンジ精神旺盛になったのだ。 具体的に言うと、今まで遠ざけていたものに自ら近付いていくようになった。 もうネタバレに怯えうんざりする必要が無くなったから、あれほど嫌っていた映画館へも積極的に行くようになった。人で混み合う場所でも臆せず向かい、逆にこっちがハラハラする始末。 クラスメイトに呼ばれたくらいでビクついてたのに、人混みに突っ込んでくとか何考えてんだか。 不思議だなと首をひねるよ。 超能力があった頃、例の指輪でテレパシーを封じ、疑似的に体験した際は神経過敏になっておどおどしてたのが嘘のようだ。 呼ばれるだけてびっくり、肩ポンされるだけてびっくりが段々収まっていくにつれ、色んな事に挑戦するようになった。 オレは見守る事にした。斉木さんがやりたいって言うんだ、恋人としたら、そっと見守るものだろう。もちろん、転んだ時にすぐ支えられるよういつでも準備はしている。 そうだ、今の斉木さんはいうなれば、ヨチヨチでも自分の足で歩くようになった幼児のようなものだ。 まだ歩き方に慣れてないから足の運びもおぼつかないし、すぐに転んでしまう。けど一度歩けるようになったからには何度でも立ち上がって歩くものだ。 斉木さんはそれをなぞっている状態だ。オレは恋人兼保護者として、いつ転んでしまってもいいように身構えて、転んで泣いたら優しく抱きしめて慰めてあげようって思ってる。 それで、冒頭に戻るのだが、このようにしてヨチヨチ歩きを始めた斉木さんが、今まで出来なかった分を取り戻すべく前のめり気味に色んな体験をしたがるようになって、今回は「和菓子作り体験」なるものに挑戦する事になった。 というわけだ。 あんまり前のめりだから、オレへの報告が事後になってしまい、それでオレは驚き、オレの驚きの声を非難と取った斉木さんが、気まずそうに俯いてしまった。 というわけだ。 実はこうやって事後報告されるのは初めてじゃなかった。これまでも、レザークラフト体験だとかキャンドル作成だとかガラス細工体験といったものに付き合わされている。 何かを体験すること、作り出すことが楽しくてしょうがないようだ。 これでもう三度目四度目になるから、ある意味慣れっこになっているが、また変わったもんに挑戦しますねと毎度驚かされる。 いやいや別に、非難とかこれっぽっちも思ってない、慣れたようで突飛だから驚いちゃって声が出ちゃうけど、大いに推奨してるから、斉木さんには好きなように行動してもらいたい。 オレは「アンタがどうでも変わらない」って宣言したし、実際そう思っているし、そういう日々を送れているし、証明する為に奮闘中だし…まあとにかく、斉木さんの進みたい方へ一緒に向かいたいと思っている。 |
そんな訳で当日になり、俺たちは浅草某所にある甘味処にやってきた。一階が和菓子のお店で、二階がお茶屋さんで、その一角で和菓子作り体験をしているのだそうだ。 午後からの回はオレたちの他に女子大生っぽいペアと、もうちょい年が上の女性二人組と、カップル一組がいた。 作るのは、白あんを使った上生菓子の練り切り。形は菊と梅と手毬の三種。あんを包んで丸く成形したら、それぞれの姿になるよう溝をつけて出来上がりというものだ。 そしてそれと一緒に抹茶を点て、一緒に楽しむという流れだ。 物腰柔らかな講師の先生の話を聞きながら、オレたちは一つひとつ作業をこなしていった。 ちらりと斉木さんの横顔を伺うと、不安そうでもあり、期待に輝いてもおり、とても頼もしく可愛らしかった。ついふふっと笑いがもれてしまう。こういう時、筒抜けになる超能力がなくて良かった…なんて思ってしまう。 でないと今頃オレは目線でぶっ飛ばされてたからな。 集った人らは、連れの相手に「こんな形でどう?」とか、「この色いいよね」とか和気あいあいと言葉を交わしている。 オレも何か話しかけたかったが、斉木さんがとっても真剣に取り組んでいるので邪魔しちゃ悪いと思い、心の中で頑張れと応援して自分の作業に集中した。 どの作業をとっても先生は、何でもないようにほいほいっとこなすから、見てるこっちも同じようにほいほいのほいで簡単に出来上がると錯覚してしまうが、そうじゃない。 やっぱり、慣れてないものはそうそう上手くはいかない。 参加者全員同じだったようで、お姉さんたちも彼女も野郎も、あんこを包むのって意外と難しいとか、綺麗な溝をつけるの難しいとか、都度困った笑いを発していた。 けど実を言うとオレ、ちょっと自信あったんだよね。というのも、しょっちゅうではないけどこういったものを作る事があるので、彼らよりは手の動かし方を知っている。 だから、じっと見つめて作業しないでもまあまあの形に作り上げる事が出来た。先生にも褒められた。講師の先生は三十そこそこの男で、野郎に褒められてもなぁって内心思ったが、悪い気はしない。 そんな感じでオレの方は順調に進んでいるが、斉木さんは正真正銘初めてだから、見るからに肩に力が入っててぎこちなかった。 こうしたいのになってくれないもどかしさに顔が強張っている。 オレはリラックスしてほしくて、小声でそっと話しかけた。 「上手くいってるみたいっスね」 無言でぎろりと睨まれた。 えー、本当に、綺麗に包めてるよ。見てるとほっこりするしあたたかみも感じる。でもこういうのってあれなんだよね、本人が納得してないと周りがいくら言ったところでダメなんだよね。 オレはいいと思うんだけど、難しいな。 抹茶と上生菓子が揃い、みんなでいただきますの時間が来た。 今回集まったメンバーはみな二人組だったのもあり、みんなして相手のに手を伸ばし、とても和やかな雰囲気となった。 オレもその空気に乗じて、斉木さんと取り換えっこをする。 斉木さんは何か言いたげに見やってきたが、何も言わないまま手を合わせオレの練り切りを口に運んだ。 オレはというと結構舞い上がっていた。 斉木さんの作った練り切り、斉木さんのあの指がこしらえた和菓子…美味い、嬉しい、幸せ! ここが体験教室でなかったら、二人きりだったら、間違いなくオレは叫んでいた。 だって愛しい恋人が作った和菓子を味わえるんだよ、嬉しすぎてむせび泣く。 頑張ってちょっと鼻息荒くするのにとどめたけど。 その最中、はっと思い出して斉木さんの様子を伺う。 ほ、良かった…甘いもの食べたことで、機嫌が直ったようだ。 いつものあの愛くるしいお顔で、じっくりと練り切りを味わっている。 はぁ、本当に良かった。 今日も楽しかった。 |
で終わらないのが歯痒いところ。 現在の斉木さんは、帰宅早々布団に潜り込み、毛布を被って丸くなっていらっしゃる。 もうね、帰り道から明らかに元気なかった。大好きな甘いもの食べて上機嫌ではあったけども、いつも以上に口数少なくて、落ち込んでいるのは間違いなかった。 そんな感じでオレらのアパートに帰りついて、さっさと手洗いうがいして、オレが続けてそれらやってる間に部屋に引っ込んで先の通り布団にこもっちゃった。 部屋の戸口から斉木さんを眺め、オレは頭をかいた。 「疲れたからちょっと寝る」 さてどうしたものかと思案していると、そんな声が聞こえてきた。 これまでもそうだった。普通に遊びに行く…スイーツ巡りをしたり買い物とか行く分には平気だけど、物作り体験に行った後は心身共にへとへとになるので、一時的な休息を欲した。 いつもは違うんだ。これまでなら、疲れ切ってはいるけど満足そうなのだ。自分でもこれだけのものが作れたって達成感や喜びが全身からにじみ出ていて、だから帰宅早々布団に潜り込んでも、それほど心配は湧いてこない。 でも今回ばかりは。 オレはそっと息を吐いた。 超能力を封印した斉木さんがそうして何度も物作り体験に挑むのは、斉木さんなりのリハビリでもあるのだ。 強大な超能力を使いこなす為に身体自体が進化していて、それは能力を封印した現在も続いている。そこが、日常生活を送るにあたって一番苦労する点だ。 何かにつけ力加減が大変なのだそうだ。 それを普通に近付ける為に、あえて細かい作業をしているのだ。 オレは、部屋に点在するこれまで斉木さんが作ったもの…革製のキーホルダーとか、ガラス細工の卓上ランプとか、海の景色のアロマキャンドルとかを見回した。 これまではそういった飾るもの使うものだったが、今回は食べられるものを選んだ。 リハビリも出来るし美味しいものも食べられる、一石二鳥と思っての事は、想像に易かった。 そりゃ、つらい事でも好きなものが絡めばより励みになるし。気持ちはわかる。 胸の内に、斉木さんへの気持ちが際限なく湧き上がってくる。 「斉木さん、もう寝ちゃった?」 毛布にくるまり丸くなった斉木さんを、笑いながら抱きしめる。 体験教室に行った後はいつもこうしてる。お疲れ様とか、楽しかったねとか、色んな意味を込めて抱きしめるのだ。 だから今日もそうする。斉木さんの様子はいつもと違うけれども、同じことをいつも通りにするのだ。 「ね、また今度行きましょうよ。今日、すっごく楽しかったっス。オレが今まで食べた中で一番美味しかった和菓子ですよ。 「………」 「体験デート、またやりたいな。駄目っスか? もう二度と作ってくれないんスか…あの味がもう食べられないなんて悲しいっス、あーあ」 「お前は…本当に物好きだな」 「えー、オレはいつだって斉木さん一筋っスよ。絶対手放してやりませんからね」 「ふん……どうせ次も大したものは作れないだろうな。でも、返品不可だからな、覚悟して食べろよ」 「もちろんもちろん、返品なんてそんなご冗談を。誰にも渡しませんよ、オレだけの斉木さんの味っス」 「言い方が変態くさい」 「む……じゃあその変態に、食べられちゃってください。斉木さんの味とか言ったせいか、食べたくってしょうがなくなっちゃって」 「変態じゃないか、やっぱり」 「諦めて。ほら、わかったら顔出して。見せて、斉木さん」 呼びかけ、ぎゅうっと一層強く抱きしめる。 一拍置いて、斉木さんはゆっくり這い出てきた。 「……空気悪くしたな」 斉木さんの口が小さく動いて、白い歯がちらちら見え隠れする。 ああ本当に、この人が声に出して喋っているところ、新鮮だ。眼鏡のない顔も心を鷲掴みにする。 だからついつい、顔全体をじっくりと見てしまう。 斉木さんはそれを、責めてると感じたのだろう、ごくごく小さな声で「すまん」と言ってきた。 オレは大慌てでそれを打ち消した。でも上手い言葉が見つからなかったので、代わりにキスをした。 返品不可、大いに結構。絶対どこにもやったりしませんよ、斉木さん。 だから安心して、オレの側にいて下さい。 |
斉木さんが寝入ったのを見届けたオレは、起こさないようそっと部屋を出て、なるべく静かに家の用事をこなした。 その後は学校の課題に渋々ながら取り組み、合間にスマホを覗いたりと休み休み進めていると、斉木さんからメッセージが届いた。 ――週末、買い物付き合え そんな一文に、オレは勢いよく立ち上がった。全身から汗が噴き出るわ顔が熱くなるわもう大変だ。 というかドア一枚隔ててこっちとあっちとなんだから、起きて来いよ、直接言ってよ、もう可愛いんだから! ひとしきり悶絶して、オレは座り直す。これは、調子に乗って突撃したらダメなやつなんでね、わかってるからね、オレは大人しくあっちとこっちでやり取りしますよ。 はいはい、買い物ね。おっけーおっけー。 ――どこ行くんですか? どこでもお供しますよって気持ちで送ったすぐあとに、返信が来る。 ――合羽橋 目的地を見て、オレは思わずにんまりしてしまった。というのも、ここは「道具街」とも呼ばれ様々な調理道具や厨房用品の店が軒を連ねていて、その中には製菓道具を扱う店もたくさんある。 製菓道具つまり和菓子作りに欠かせない数々の道具を売っている場所に斉木さんは行きたいと言っていて、つまりそれだけ今回の事が悔しかった、から、挽回したく自宅でも和菓子作りに励もうという意味であり、しょぼくれてばかりもいられない、尻尾まいて逃げてなるものかという斉木さんの意思が感じられ…まあとにかく、やる気充分メラメラ燃えてる斉木さんに、オレは嬉しくなった。 だから顔がだらしなくたるんでしまったと、そういうわけだ。 オレはニタニタ笑いながら想像する。 斉木さん作の小さくて可愛らしい和菓子を、渋いお茶と共に楽しんでる自分を思い浮かべると、ニヤニヤが止まらない。 はー、楽しみだ。 ああそうだ、せっかくの斉木さんの和菓子、それなりのお皿でないとな。陶器の皿、木製の皿、いっそ漆塗りいっちゃうか? よし、道具を買いに行ったついでに食器屋も覗こうかな。 あー楽しみだな、嬉しいな。早く週末にならないかな。 好きなだけ妄想を膨らませよだれを垂らさんばかりに浸っていて、ある時ふっとオレは背後に人の気配を感じた。勢いよく振り返ると、部屋の戸口に斉木さんが立っていて「うわぁ……」って目でオレを見ていた。 「――!」 一気に血の気が引いたのは言うまでもない。 慌てて口の端を拭う…もう手遅れだが。 脂汗を滲ませながらオレは呟いた。 「斉木さん、オレも返品不可で……」 「……どうしようかな」 そんな事言わず、どうか、一生のお願い! |