お菓子の長靴-特製カフェオレ-

 

 

 

 

 

 火にかけた小さな片手鍋、加熱している牛乳の様子を片目で確かめながら、コナンは正面に置いたコーヒーサーバーにゆっくり湯を注いだ。
 少し濃いめに調節したコーヒーが、ぽつりぽつりと空のサーバーに溜まっていく。瞬く間にキッチン全体がコーヒー独特のふくよかな薫りで満たされ、溢れた分がリビングの方まで漂っていく。
 キッチン…コナンに背を向けるようにしてコタツに座っている蘭にも、コーヒーの香りが届けられる。
 いつもなら「いい香りね!」と快活な声が弾けるところだが、今日はそれがなかった。
 寒さのせいか、蘭は小さく身を縮めて座っていた。
 リビングは暖房が利いて充分にあたたかい。もっとゆったりリラックスしてもいいはずだが、今の蘭にはそれが出来なかった。
 表情もひどく強張り、ともすれば今にも泣き出しそうに落ち沈んでいた。ここでこうして座っているのがつらいと言わんばかりの落ち込みようは、十五分ほど前、彼女がしてしまった失態に原因があった。
 十五分ほど前、昼まで小一時間ばかりの頃。
 昼食は何にしようかとコナンと二人で楽しく言葉を交わしていた時に、ごく自然な流れで、互いに身体を求めあった。
 場所は蘭の部屋。
 唇にキスをしたりほっぺたを舐めたりくすくす笑ってじゃれながら少しずつ熱を昂らせ、コナンは蘭を、蘭はコナンの身体をまさぐった。
 コナンの小さな手が蘭の乳房を撫で、背中を撫で、焦らし焦らし下腹にたどり着いた時、それは起きた。
 自然にもれる喘ぎを蘭が零したと同時に、別の場所で、可愛らしい一音がもれてしまったのだ。
 隣り合った器官が刺激され、内部に留まっていたものが押されてもれ出た…本人がしようと思ってしたものではないのだから、ごめんねとひと言で済ませられる程度の些細なもののはずだが、これから始めようという雰囲気を台無しにしてしまった事が蘭にはショックだったのだ。

 窓開けて…早く窓開けて!

 混乱して泣き叫ぶ蘭の悲鳴を思い出し、コナンは小さく眉を寄せた。言われた通りすぐさま窓を開け、宥めようと振り返るが、その暇もなく取り乱す蘭に部屋から追い出されてしまった。
 目の前で扉を閉められては、それ以上かける言葉はない。
 今までいくつも、今起きた以上に恥ずかしい姿を見せているのに…しかし本人がそれを一番恥ずかしい、何よりいたたまれないと思うなら、他人がどうこう言う事は出来ない。
 大丈夫と言えば言うほど、逆効果だ。
 コナンは閉ざされた扉の前でしばし考え、どうしたら彼女の心を落ち着かせる事が出来るか頭を巡らせた。
 必死に考えて思い付いたのが、以前彼女が好きだと言ってくれたカフェオレを振る舞う事だった。
 濃いめに入れたコーヒーとミルクを半分ずつカップに注ぎ、蘭の好む甘さに仕上げる。
 出来上がった白いカップを手に、コナンはゆっくり蘭のもとに向かった。

「はい、どうぞ」

 目の前に置かれたカップをちらりと見やり、蘭は顔を伏せたまま頷いた。ありがとうと声を出したかったが、まだどうにも恥ずかしく、顔を見る事さえ出来ない。
 本当はまだ、部屋に閉じこもっていたかった。

 蘭姉ちゃん…コーヒーいれるけど
 ……蘭姉ちゃん、一人だとつまらないから、一緒に飲もうよ

 けれど彼のそんな寂しそうな声を扉越しに聞いては、出ないわけにはいかなかった。頭に思い浮かべてしまう。誰もいないリビングで、一人ぽつんと座ってコーヒーを飲む彼。
 途端に胸がきゅうっと締め付けられた。それは嫌だと蘭は扉を開いた。出来るだけ顔を見ないようにして、促すコタツに入り込む。

「……いただきます」

 今度は、どうにか声が出せた。蘭はカップを取ると、口に運んだ。
 まだ気持ちは落ち着いていない。美味しいと言えるか分からない。けれど、こんなに優しい彼にせめてお世辞でも応えたい。
 うっすらと白い湯気立つカフェオレをひと口飲み込む。

「……美味しい!」

 言葉は、自然に口から飛び出した。

「よかった……!」

 心底嬉しそうな言葉につられて、蘭は顔を上げた。
 満面の笑みをたたえる彼の顔がそこにあった。
 本当に美味しいと、蘭は目を潤ませた。程良い甘さが身体に沁み込み、強張っていた肩からみるみる力が抜けていく。

「……ごめんね」

 湯気を揺らして、蘭は詫びた。
 微かな声しかし聞こえたはずだが、コナンは何も言わなかった。
 答える分だけ動きを止め、それからゆっくり自分のカップに口を付ける。
 何も言わないでいてくれる彼に蘭は心から感謝した。

「これね、新一兄ちゃん直伝なんだ」
 美味しいでしょ

 あたたかいカフェオレによく似合うあたたかい言葉を嬉しく受け取り、蘭は小さく頷いた。

「……うん、美味しい。さすが新一、私の好みばっちり分かってるね」

 ようやく目を見て笑ってくれた蘭にほっと頬をゆるめ、コナンはくすぐったそうに目尻を下げた。

「そうだコナン君、お昼はサンドイッチにしようか」
「うん、賛成!」

 返ってきた元気な声に蘭はにっこり笑った。

 

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