遠くの男と近くの女

 

 

 

 

 

 米花町から、電車を乗り継ぎ小一時間ほど。

 次は終点のアナウンスが流れる少し前から、目的地である水族館の大きな白い屋根が車窓の向こうに見え始めた。

 並んで座っていたコナンと蘭は、海と一緒に見える水族館を目にするや零れんばかりの笑顔になった。

 すっきり晴れ渡った空の青さと爽やかな海の青、眩しいほどの陽射しがきらきらっと波を光らせ、水族館の白い建物を彩っている。

 二人は顔を見合わせると、にんまりと肩を竦めまた水族館に目を戻した。

 程なく電車は終点に到着し、二人は人の流れに合わせて駅に降り立った。

 

「すごい、人たくさん…みんな水族館に行くのかな」

 

 長いホームの向こうの端まで埋め尽くす人の群れを振り返り、蘭は歩きながら隣のコナンを見やった。

 はぐれぬようにと繋がれた手に半ば身体を預けるようにしてコナンも振り返り、人々の服装をざっと見渡す。

 

「うん、リニューアルオープンしたばっかりだからね…でも、この駅は別の観光地も有名だし、そっちに行く人も結構いるみたいだよ」

 

 探偵の目が見分けた違いに感心しながら、蘭は水族館のある方へ目を向けた。無意識に手に力がこもる。

 ぎゅっと力強く握ってくる、少し汗ばんだ手に気付いてコナンが顔を上げると、光を放っているのではないかと思えるほど生き生きとした女の顔が目に入った。

 今この瞬間、これから、この先が何もかも嬉しいと輝く眼差しがしみじみと愛おしい。

 数日前、依頼料に添えて渡された割引チケットの送り主に、コナンは心の中で重ねて礼を言う。

 本当にありがたい。

 自分もまた今この瞬間これからこの先が楽しみでならない。

 この喜びを譲ってもらえて本当に嬉しい。

 力強い女の手に負けじと、コナンもしっかり握り返した。

 改札を出ると、人の流れはそれぞれに分かれた。

 何と言っても海の幸、とれ立ての新鮮な魚介類を味わおうと、食べ歩きが目的の流れ。

 海岸線に沿って進んだ先にある観光地が目的の流れ。

 可愛らしい車両が人気の路面電車を乗り継ぎ、観光地巡りが目的の流れ。

 そして水族館を目指す流れ。

 皆一様に今日の『ご馳走』にはしゃぎ顔を輝かせていた。

 

「風が気持ちいいね、コナン君」

「うん!」

 

 真正面からの風は少し強いほどで、潮の香りがむずむずと鼻をくすぐる。そんな些細な事もわくわくすると喜ぶ蘭に合わせ、コナンは大きく頷いた。

 嬉しさに少し赤味がさした頬は、駅から水族館までの五分ほどの道のりの間に更に輝きを増し、入口に到達した時には、今にも本当に光り出すのではないかと思えるまでになった。

 内側で一杯になった喜びで、今にも空に浮きそうだ。

 喜色満面の蘭を面白そうに見つめ、コナンはまた愛おしさを募らせた。

 ゲートを越えてすぐのところで、蘭が言う。

 

「じゃあコナン君、今日は頼りにしてるね」

「え、なに?」

「うん、見てて分からない事があったらコナン君に全部聞くから、よろしくね」

 

 任せたわよ物知りさん…日頃のうんちく披露に少々の皮肉を込めたいたずらっ子の眼差しが、コナンを真正面からとらえる。

 

「……あはは」

 

 些細だが強烈な攻撃にコナンは苦い顔で笑った。

 すぐに気を取り直し頷く。

 

「いいよ、分からない事があったら何でも聞いてね」

 

 効かぬ攻撃、自信たっぷりに煌めく瞳が実に憎たらしいが、それでこそ彼だと、蘭は無性に嬉しくなった。

 どんな時でも二人…三人が揃っている事がたまらなく嬉しい。

 

「そうだ、まずチケット買わないと」

 

 少し急いでと、蘭は少年の手を取り早足になった。

 芸達者で人懐こいイルカとユーモラスな動きのアザラシのショーを見るのも、この水族館に来た目的の一つだった。ショーの中でイルカと握手出来る体験プログラムがあり、先着順に売り出されるチケットを求めて蘭は二階の売店に向かった。

 一日三回行われる触れ合いショーは人気があり、三回目三時半からのをすべり込みでどうにか買う事が出来た。

 

「お昼の後ちょっとゆっくりして、それからだね」

「うん、楽しみだね」

「だね、コナン君」

 

 二人は弾む声を交わしながら、観賞コースをたどり始めた。

 

 

 

「それで、なんでこの魚がこういう口をしているかというとね――」

 

 何でも答えられると一点の曇りもなく答えただけあって、コナンは、蘭が知りたい事を一つとして漏らす事無く説明してみせた。

 いや、質問する前から口を開いていた。

 魚のトゲの謎、身体のつくり、毒の仕組み、中にはいささか物騒な解説もあったが、どれもなるほどと楽しく聞けるものだった。

 何より彼の声が心地良い。子供特有の可愛らしさと、自分だけが知っている特徴が耳からすっと入り込んで、身体中に優しく沁み渡ってゆく。

 その度ふわふわと軽やかな感触を味わうのは、目にする大きな水槽の向こうの魚の群れ、小さいが無限の海を飛ぶようにうねり泳ぐ動きをずっと見続けているせいか。

 水族館独特の照明のせいか。

 周りの程良いざわめきのせいか。

 自分も同じように自在に水を切って進んでいる、そんな錯覚に見舞われる。

 

「ただの推理オタクのクセにぃ……」

 

 不思議な感覚を片隅に、心から感心した後、蘭はくすくす笑いながらそんなひと言を口にした。大きな水槽の前に澄ました顔で立ち、何を目で追っているのか聞かずとも分かって、何を疑問に思うか聞かずとも分かる憎たらしくも愛しい人。

 

「すごいでしょ」

「んー、まーまーってとこかな」

 

 聞いている最中、始終目をキラキラさせていたというのに今はこうしてわざと憎たらしい事を言ってくる女が無性に可愛くて、コナンは穏やかに目尻を下げた。

 

「もー、蘭姉ちゃんはすぐそうやって言うんだから」

「えー、だってホントにまあまあだもん」

 

 わざと天の邪鬼に振るっても優しく受け止めてくれるコナンに甘えて、蘭はより一層おどけた顔付きで笑ってみせた。

 もちろんコナンも一緒に笑う。

 二人で声に出して笑うと、その弾みで互いの腹が昼時だとぐうと音を立てた。

 それぞれ自分にしか聞こえないくらいの小さな音だったが、同時に『あっ!』と腹を見る仕草で互いに理解し、ぴったり重なったタイミングにまた笑いが零れた。

 

「そろそろお昼にしようか」

「そうだね」

 

 さあ何を食べに行こうかと、二人は手にしたパンフレットをぱらぱらとめくった。

 

「あのね、私気になるところがあるんだけど――」

「いいよ、カメのメロンパンでしょ」

「!…なんで分かるの?」

 

 顔も上げずさらりと当ててみせた少年に蘭は目を丸くした。

 素っ頓狂な蘭の声もものともせず、コナンはパンフレットから探しだしたページを開いて見せた。

 

「これでしょ、蘭姉ちゃんのお目当て」

 

 そこには、水族館一番人気のメニューとして、大きく『カメのメロンパン』が載っていた。メロンパンに頭と手足をくっつけ亀の形にした単純な物だが、女性に人気があるのも頷ける可愛らしい菓子パンだ。

 

「さっきここ見て『あ!』って言ってたじゃない」

「え…見てたの?」

「ううん、ページは見てないけど、蘭姉ちゃんが『あ!』って言うならここかなって思って」

 その後すぐ、お店探してキョロキョロしてたし

 

 蘭は複雑な顔で口をへの字に曲げた。通じている部分に喜ぶのと、また見抜かれたという小憎らしさとがぐるぐるせめぎ合う。

 

「ストラップと迷ったんだけど、蘭姉ちゃん…食いしん坊だからね!」

「もお、コナン君!」

「あ、ボクね、そのお店のシラスカレーが食べたいな」

 

 恥ずかしさにむくれる女をさらりと笑顔でかわし、コナンは繋いだ手を引いて歩き出した。

 

「……ねー、私そんなに食いしん坊?」

「そんな事ないよ」

 

 心配そうな顔で付いてくる蘭を振り返り、コナンは優しく笑った。

 よかったと、蘭が繋いだ手を軽く揺する。

 コナンも応えて小さく揺すり返した。

 総合案内のすぐ前に、蘭がお目当てとする『カメのメロンパン』を売るカフェはあった。そこはまたフレッシュジュースや各種カレーも揃っており、そろそろ昼時を迎える事もあって注文カウンターには人が並び始めていた。

 

「注文しておくから、コナン君は席見付けておいてくれる?」

「わかった。じゃあ、あっちの窓際にいるね」

「うん、お願いね」

 

 コナンは一足先に店内に入ると、カップルや家族連れが楽しく食事する席の間を通り抜け、窓際の空いている二人掛けに腰かけた。

 大きな窓からは海が臨めた。二階からの眺めという事もあって、海に浮かんでいるようにも感じられた。丁度いい席が見つかった、彼女もきっと喜ぶだろうと振り返ると、今まさにこちらに向かってくる喜色満面の蘭と目があった。

 コナンは小さく吹き出した。視線が、自分と海とを忙しなく行き来している。よほど嬉しいのだろう、唇は優しくゆるみ、今にも朗らかな笑い声を零しそうだ。

 

「お待たせ。いいお天気でよかったね」

「うん」

 

 応えながらコナンがテーブルに置かれたトレイを見る。そこには自分用のカレーと、ジュースが一杯、そして彼女が熱望したカメのメロンパンとカレーとジュースと夏ミカン色のソフトクリームが、所狭しと乗っていた。

 

「うわあ……」

「……何も言わないで、コナン君」

 

 思わず絶句すると、斜め上からやや低い声が発言禁止を伝えてきた。

 素直に従い、コナンは黙ったまま蘭を見上げた。

 

「……だって。すごく美味しそうだったんだもの」

 

 強気の顔で弁解するも、座ると同時に蘭は心もとない表情になって縮こまり、コナンを上目遣いに見やった。

 

「……やっぱり食いしん坊だね」

 

 今にも泣きそうな声を耳にした途端、コナンは我慢しきれないとばかりに腹を抱えて笑い出した。

 たちまち女は恥ずかしさから顔を真っ赤にし、正面のコナンを睨み付けた。

 

「やっぱり、蘭姉ちゃんはこうでなくちゃ」

「……もーう、それ以上笑うとシラス全部食べちゃうから」

 

 遠慮なく笑った仕返しだと、蘭はカレーの上にたっぷり乗ったシラスを実際にスプーン一杯分奪い取り自分のカレーに乗せた。

 

「あ、あ…ゴメンなさい」

 

 コナンは慌てて謝り、これ以上は勘弁してくれと手で覆い隠した。

 

「しーらない。頂きます」

 

 あたふたと身ぶり手ぶりのコナンに知らんぷりを決め込んで、蘭はさっさと食べ始めた。

 

「ね、蘭ねえちゃ……」

 

 どうやって機嫌を直してもらおうかとコナンが思案するまでもなく、蘭はたったのひと口でぱっと気持ちが切り替わった。

 

「……美味しい!」

 

 美味い物はそれだけで人を幸せにする。

 

「すっごく美味しいよ、コナン君も食べてみて!」

 

 感激に目を見開き、蘭は促した。

 この流れに便乗しようと、コナンはいただきますとスプーンを手にとり調子を合わせた。作り笑顔はすぐさま本物の笑顔に取って代わる。

 

「……ホントだ、これすっごい美味しいね蘭姉ちゃん!」

「ね、でしょう!」

 

 無造作にどさっとかけられた山盛りのシラス、ただそれだけのもの。しかしとれたてだからこそ、本物の笑顔に繋がる。

 そして、大好きな人が幸せそうにしているのを目にする事が、更なる幸せに繋がる。

 二人は、お互いの輝く笑顔が一番のご馳走だとじっくり噛みしめながら、美味い美味いと食事を進めた。

 

 

 

 混んできた店内にいつまでも居座るのは心苦しいと、二人は食事が終わるとすぐにカフェを後にし、ほど近い場所にある休憩スペースに一旦落ち着いた。

 壁に沿って長椅子が置かれたそこでは、同じように休憩するグループが数組腰を落ち着け、パンフレットを手にあっちだこっちだとお喋りし合っていた。

 

「さて、どうしようかコナン君」

「そうだね。イルカとアザラシのショーが始まるまであと……」

 

 ショーが始まるまでの時間今度はどこを見ようか、コナンと蘭は午前中の感想を言い合いながら楽しく意見を交わした。

 

「あ、三回目」

 

 と、蘭が短く言った。

 

「え?」

「コナン君があくびした回数。今ので三回目」

 

 指摘され、コナンはたちまち気まずそうに顔をしかめた。気付かれぬよう噛みしめてこらえていたが、やはり見られていたのだ。

 

「朝早かったからね、ちょっと眠いよね」

「え、いやべつに、ボクはべつに」

「それに、沢山解説してくれたから、疲れたでしょ」

 ごめんね、ありがとう

 

 慈しむ笑顔がコナンにまっすぐ降り注ぐ。

 

「大丈夫だよ」

「ご飯食べたばっかりだし、ちょっと休憩しようか」

 

 言って蘭は、左隣に座る少年の肩を抱き自分に寄りかからせた。

 

「あの…ホントに大丈夫だから」

 

 抱かれた姿勢のまま、コナンはぼそぼそと言った。気のせいでなく顔が熱い。きっと赤くなっているだろう。ここで無碍に振りほどくのは失礼にあたるし、かといって素直に身を預けるのは気恥ずかしい。彼女の気遣いは嬉しいのだが、とにかく恥ずかしい…情けない。

 悔しいが、彼女のいう事は当たっている。いつもよりやや早い起床、歩き回った事に加え、腹が膨れた事で眠気がもうそこまで来ているのだ。

 このまま寄りかかっていたら、本当に眠ってしまうだろう。すでに半分、意識がぼんやりし始めている。

 

「いいからいいから。私も甘えたいもん」

 

 蘭はにこにこと甘い声を零した。

 心をくすぐる響きに身体の芯がかっと熱くなる。

 

「いや、でもこれ…違うし」

 

 上手く言葉が継げない。

 

 いやホント…これ違うし

 

 コナンは硬直したまましきりに瞬きを繰り返した。

 

「今しか出来ない事…しようよ」

 

 女が密やかに耳打ちする。

 そのひと言にコナンははたと息を飲んだ。

 直前まで、これではお姉ちゃんに甘える眠そうな弟にしか見えないと、だらしない、情けない、みっともないと自嘲めいた気持ばかりが渦巻いていたが、秘密を共有する彼女からの指令が呆気なくそれらを崩していく。

 人の気も知らないで、ノー天気な事言いやがって…心の中でぼやくが頬がにやけて仕方ない。

 いつでもこうして、二人分をしっかり受け止めてくれる蘭の前では無駄な抵抗。そう割り切ると、幸福感が湧いてくる。全身が満たされる。肩を抱く手の熱さが嬉しい。身体を預けられるぬくもりが何より心地良い。

 耳を澄ますと、彼女の鼓動がとくとくと伝わってきた。

 嗚呼、彼女は自分の命だ。

 つまり心臓?

 これがなくては生きられないし。

 いや、脳かもしれない。

 あるいは心。

 そんな事をつらつらと考えながら、コナンは目を閉じた。

 周りの雑踏が途切れる事無く耳を騒がすが、返って気持ちをリラックスさせた。聞き分けるには多過ぎる話し声が眠りを誘う。何よりの子守唄は、静かに刻まれる蘭の鼓動。

 コナンは静かにため息をついた。

 それから数分。

 蘭はにんまりと微笑んだ。

 左側からの熱が、重みを増したからだ。

 コナンが眠ったのだ。

 蘭はそろそろと首を曲げ、コナンの寝顔を覗き込んだ。すっかり力の抜けた寝顔。ほんの小さく開いた口からは、くうくうとささやかに寝息が聞こえてくる。

 嬉しい、ああ嬉しい。

 遠慮して離れるかもしれないと思っていたから、こんな風に甘えさせてくれる事がたまらなく嬉しい。

 きっと今、だらしない顔で笑っているだろうな…そう思って引き締めようと思うのだが、どうしてもにやにやとゆるんでしまう。

 構うものかと開き直り、蘭は心行くまでコナンの寝顔を見つめていた。

 構うものか。

 並んで座る自分たちがどう映ろうとも、私は真実を知っている。

 知らないけれど知っている。

 遠くに行ってしまった男がどこにいるかを。

 それで充分。

 そう、今しか出来ない事をするんだ。

 蘭は静かにため息をついた。

 

 

 

 ふと目を覚ますと、一人だった。

 一人で椅子に座っていた。

 隣には誰もいない。

 並んで座っていたはずなのに。

 周りにも誰もいない。

 あれだけ人でごった返し騒がしかったのに。

 あるのは並ぶ水槽だけ、中で泳ぐ魚だけ。

 立ち上がって水槽に駆け寄る。

 しかしまさか魚に聞くわけにいかず、クラゲの水槽に行っても同じだろう。

 人を探して館内をうろつく。

 一階も二階も、隅まで探したが人っ子一人見当たらない。

 そうだ。

 きっと、イルカとアザラシのショーを見る為に移動したのかもしれない。

 そうして探しに探すが人っ子一人見当たらない。

 案内所もカラ、カフェもカラ、オープンデッキもカラ。

 そこではたと思い至る。

 これは夢だ、違いない。

 だから、あれだけいた人が一人残らずいなくなってしまったのだ。

 なんだ、そっか。

 いいや駄目だと首を振る。

 一人なんて駄目だ、おかしいではないか。

 せめてあの人だけでも見つけなければ。

 一人なんておかしい、駄目だ。

 こんなのは嫌だ、こんなのは無理。

 なんでいないの?

 どこにいるの?

 もう探す場所は残っていない。

 途方に暮れて立ち尽くした時、名前が呼ばれた。

 

 

 

「蘭姉ちゃん」

 

 呼ばれて、蘭ははっと目を覚ました。

 意識の覚醒に伴い、うなだれていた首がしゃんと持ち上がる。

 そして視界に、まっすぐ見つめるコナンの顔が映し出される。

 

「あ、コナン君…あれ!」

 

 蘭は素っ頓狂な声を上げ、忙しく辺りを見回した。

 親子連れ、カップル、仲の良い友達グループ。沢山の人でごったがえす賑やかな休憩スペース。

 長椅子に並んで座る自分とコナン。

 

「朝早かったから、蘭姉ちゃんも寝ちゃったね」

 

 自分も今目を覚ましたところだと、コナンは目をこすりこすり笑った。

 

「!…イルカショー!」

 

 一気に目が覚める。

 

「うん、あと二十分くらいかな」

 

 コナンの言葉で、立ち上がりかけた腰を一旦降ろす。

 ようやく周りを理解し納得し、蘭は手を合わせた。

 

「ごめーん、一緒に寝ちゃったのね」

「うん、蘭姉ちゃん、すっごい寄りかかってきてたよ。お陰でボク、蘭姉ちゃんに押しつぶされる夢見ちゃったよ」

「え、ウソ…やだゴメンね!」

「ウソだよ」

 

 引っかかったとコナンが笑う。

 

「……もー」

 

 このいたずら坊主めと、蘭は合わせて軽く笑った。

 そこではたと、夢のことを思い出す。一人で水族館の中を歩き回り、彼を探していた場面を思い出す。

 同時に言葉が口から零れ出る。

 ほぼ無意識に。

 

「私も見た……」

「え?」

 

 よく聞こえなかったと、コナンは顔を見上げた。そこには、幾分恐ろしげに歪む女の顔があった。

 

「探したの…誰もいなくなっちゃって、探してたの」

 あなたのこと

 

 思い出しながら蘭が呟く。

 余りに悲痛な声音に、コナンは詫びの言葉を口にした。

 

「ゴメンね」

 

 そしてしっかと蘭の手を握る。

 

「約束したのに…探させてゴメン」

「ちょ、やだコナン君、夢の話よ」

「でもゴメン」

 

 コナンは苦しげに繰り返した。

 それはきっと彼女の深部に居着く不安。

 今の自分では、どんなに約束を交わしても誓っても、決して埋める事が出来ない強い傷。

 楽しく賑やかな雰囲気から切り取られた二人…三人が戸惑いながら視線をぶつけあう。

 やや置いて蘭は握り返した。もう片方の手も添えてコナンの手を包み込む。

 そしてふっと笑った。

 

「探しに行く必要なんてなかったのにね。いつでもこうして、隣にいてくれるんだもの」

「……蘭」

「もー、バカみたいだね。一人で大騒ぎして」

 ゴメンね、約束したのに

 

 情けないねと詫びる女にコナンは何度も首を振った。

 

「平気。うん、平気よコナン君! 絶対、今日の事も良い思い出になるんだから」

 してくれるでしょ?

 

 ねえコナン君、蘭が期待を込めて呼びかける。

 

「……もちろん」

 

 真剣な眼差しで何度も頷き、コナンは応えた。

 

「じゃあ大丈夫。コナン君が言うなら絶対、安心ね」

 

 晴れやかな顔で蘭が立ち上がる。

 

「うん、まかせて!」

 

 コナンは元気に声を張り上げた。いささか無理に絞り出したが、言ってみると力が漲ってくるのが感じられた。

 ああ、やっぱりこの女は、自分の命だ。

 心臓で、脳で、心。

 彼女がいてこそ生きられる。

 生きる力が湧いてくる。

 

「さあ、イルカショー見に行こう!」

 

 蘭のはつらつとした声が響く。

 

「うん!」

 

 コナンも元気よく頷く。

 

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