小路を行けば

 

 

 

 

 

 米花総合病院からの帰り道、小五郎とコナンは並んで歩いていた。

 珍しい事に、手を繋いでだ。

 言い出したのは小五郎だった。一度は拒否したコナンだが、ならばおぶって行くのとどっちがいいと迫られては、手を繋ぎますと了承するしかなかった。

 

 転んだりしたら余計面倒だからな

 

 もっともだと、飲み込むしかなかった。

 そして病院を出る前からしっかり手を握られ、並んで歩く事となった。

 というのも、左目を覆う大きな眼帯のせいでいささか行動が不自由になってしまったからだ。

 白い清潔な眼帯の下には、実に見事な…見るも無残な青タンがあった。

 事の起こりは昼下がり、小五郎と二人で訪れた依頼人の事務所でとある事件に巻き込まれたのが始まりだった。といっても大層なものではなく、平たく言えば単なるケンカで、依頼人への報告が発端の言い争いから、取っ組み合いに発展したのを収めようと割って入った小五郎そしてコナンは、とんだとばっちりを食う羽目になった。すっかり頭に血がのぼった片方に無碍に振り払われ、小五郎は床に尾てい骨を強かに打ち、コナンは一緒に転げる形で弾き飛ばされ、傍の事務机の足にこめかみをぶつけてしまった。

 

 ……痛っ!

 

 ひっきりなしに飛び交っていた怒声は、ぶつかる音と子供がもらしたその一言でぴたりと止んだ。

 大の大人が、小さな子供を巻き込んでまでするものではないと、そこでようやく双方我に返る。

 コナンは痛みに少し涙を滲ませながらも大丈夫だと笑ってみせるが、薄く弱い目蓋の皮膚は瞬く間に腫れてゆき、見守る大人たちを驚かせた。

 憐れにも、すっかり人相が変わってしまったのだ。

 

 大丈夫だよ

 ちゃんと目は見えてるよ

 

 鏡を見ずとも、コナンは自分の顔がどのように変化したか分かったので、痛みをこらえ平気だと宥めにかかった。

 しかし告げても告げても、大変だと慌てふためく周りを落ち着かせる事は叶わずどころか、言えば言うほど逆効果のようで、いつの間にやら呼ばれた救急車に乗せられコナンと小五郎は米花総合病院へと運ばれた。

 

 本当に申し訳ありませんでした、治療費は全額払いますので、分かったらこちらまで連絡下さい

 

 そう言って平謝りのもう片方から渡された名刺は小五郎の胸ポケットの中だ。帰ったら連絡するかと決めて、帰路をゆっくりゆっくりたどる。

 歩幅はいつもと変わらないが、歩調はいつもに比べかなり遅い。もちろんそれは、片目の見えないコナンに合わせての事だ。

 病院を出てからずっと、二人は口を噤んだままでいた。

 

 痛むか?

 歩くはやさはこれくらいでいいか?

 

 いくつかは小五郎の頭に浮かぶのだが、すっかり気落ちした顔になったコナンの様を見るにつけ安易な言葉は引っ込んでいくのだった。

 といって検査の結果が悪かった訳ではない。眼球にも骨にも異常はなく、視力の低下もなし。頭をぶつけたという事で今日明日は注意が必要だが、吐き気やふらつきも特になし。十日もすれば腫れは引くと告げられた。

 それを聞きコナンもホッとした顔を見せたが、今は随分としょげ返っていた。

 何を気に病んでいるのか、全く分からないほど見ていないわけではない。

 小五郎はちらりと隣を見やると、静かに口を開いた。

 

「結構握れるようになったじゃねえか」 

 

 繋いだ左手を指し、鼻先で軽く笑う。

 

「おじさんや蘭姉ちゃんが、リハビリ手伝ってくれたお陰だよ」 

 

 塞がれた左目の分だけ大きく顔を向けると、コナンは笑って返した。

 しかしにこっとしたのも束の間、落差激しくまたしょんぼりと肩を落とす。

 

「……こんな顔で」

 

 しばし置いて、今にも消えそうな弱々しい声でコナンが言う。

 

「こんな顔で帰ったら……蘭姉ちゃん…びっくりするだろうな」

 

 最後まで聞き終える前に、やっぱりなと小五郎は小さく息を吐いた。今にも死にそうな声につい笑ってしまいそうになるが、いくら相手が子供とてもそこまでは失礼だろうと慌てて飲み込む。本人はいたって真剣なのだ。

 

「ちゃんと検査して、どこも異常なかったろ。蘭には俺からちゃんと説明してやるから、心配するこたねえよ」

「うん……」

「何よりオメーのお陰で騒ぎが収まったんだ、胸張ってもいいくらいだぜ」

「……うん」

 

 それでもまだ、表情は晴れない。すっかり顔は下を向き、声は沈み切って、とぼとぼと帰りにくそうに歩いている。仕方がない。この子供は、とにかく蘭ひとすじなのだ。時に手を焼かすが、絶対的に蘭の味方で、心配かけるのをひどく嫌う…恐れる。

 その癖、とんだイタズラ坊主。

 愛すべき厄介な居候。

 

「……しゃーねーな。おい、オメーあんみつ好きか?」

「へっ……?」

 

 藪から棒の質問に、コナンは素っ頓狂な声で顔を上げた。数秒遅れてようやく飲み込み、おっかなびっくり頷いてみせる。

 

「よし、んじゃあおごってやっから、あんみつ食って帰ろうぜ」

 

 言うが早いか、小五郎は商店街へと足を向ける。

 突然の方向転換にこけつまろびつ、コナンはついていった。

 

「そんで、蘭に何か買ってってやりゃ、あいつも喜ぶだろ」

「あ……じゃ、じゃあボクも半分出すよ」

「あん? ガキがんな気ぃ遣わなくてもいいんだよ」

「え…でも……」

「今は俺がお前の保護者で、今回の事は保護者である俺の責任でもあるからな」

「でもさ、でもさ……」

「オメーは『被害者』なんだから、いいってんだよ」

「だけど、だけどさ……」

「……ったく、わぁったわぁった、じゃあ二人で半々な」

「うん!」

 

 まったく面倒なガキだといささかうんざりするも、いつも見せる元気な顔に少し近付いたのを目にするのは嬉しいものだった。

 すると驚くほどすんなりと言葉が口から出た。

 

「結構、痛かったろ」

「うーん…おじさんのゲンコツに比べたら全然」

「へ、言うじゃねえか」

「……えへへ」

 

 夕暮れ迫る中、親子に似た二人は馴染みの声で笑い合いながら、商店街へと抜ける曲がりくねった小路を進む。

 並ぶ家々の門扉やフェンスには、花の植わった鉢がずらりとかけられ彩り賑やかに通りを飾っていた。

 

「もし家に帰って、蘭が何のかんの言ってきたら、こう言い返してやれ。蘭姉ちゃんも昔は、しょっちゅう泥んこになったり擦り傷こしらえてたりしてたんだってね――てな」

 

 とっておきの切り札だと、伝授する小五郎に小さく口を開け、コナンはぽかんとばかりに見上げた。

 

「そこ、段差気を付けろ」

「……あ、うん」

「蘭のやつもな、小さい頃はしょっちゅう冒険だなんだ遊びに行って、あちこち泥だらけにして帰ってきたもんだ」 

「……へえ…蘭ねえちゃんが」

 

 コナンにとっては『初めて』聞く話、なんとかそれだけ相槌を打つ。

 

「近所に、蘭をいっつも連れ出す悪ガキがいてな…やれ探検だなんだ言っちゃあ、二人であっちだこっちだやってたんだよ」 

 

 悪ガキを強調する口調は憎々しげだが、昔を思い出す父親の顔はどこかおだやかだった。 

 珍しい…と言ってはゲンコツが降ってくるかもしれないが、優しい微笑みにコナンは目を瞬いた。

 

「そんなわけだから、あんまり気に病むこたねえよ。それにオメーだって探偵の端くれ、探偵に怪我はつきものだからな」

 もっともオメーのは、ままごとみてーなもんだがよ

 

 おだやかな笑みから一転小馬鹿にした顔付きになって、小五郎は隣の子供に憎たらしい笑い顔を突き付けた。

 コナンも負けじと、片目ながら精一杯の不満を浮かべて突っ返した。けれどどうしてか、どこからか不思議な嬉しさが込み上げてきて、唇の端がゆるんでしまう。少しむず痒いそれはきっと、自分と蘭と二人…三人が関係しているのだろう。

 大勢の買い物客行き交う商店街に溶け込んで、二人は甘味処を目指した。

 

 オメー、何にする?

 おじさんは?

 そうだなあ…蘭には何を買ってってやろうか

 そうだね、蘭姉ちゃんは何がいいだろ……

 

 二人とも、自分はさておき蘭を優先し、あんみつ、ところてん、豆かん…あれがいいこれがいいと出し合った。

 そしてあんみつに落ち着いた意見だが、いざ甘味処にたどり着くとコナンはまた別の提案を口にした。

 

「やっぱりさ、買って帰って、皆で一緒に食べようよ」

「……そうだな、そうすっか」

 

 小五郎は快諾した。さっきまで、帰りたくなさそうにしていた子供が早く帰ろうと急かしてくるのを、面白そうに見守る。

 

「そうしよう。食べにくるのは、また今度にしようよ。蘭姉ちゃんも誘ってさ」

「よし、じゃああんみつ三個な」

「うん!」

 

 コナンは輝く顔で頷き、財布を取り出した。小五郎にきっちり半分渡し、自分で持って帰ると紙袋を受け取る。

 自分が持って帰ると張り切る子供を静かに見下ろし、小五郎はまた、右手を差し出した。

 コナンは右目で確認すると、左手でしっかり掴んだ。

 大きくて頼もしい、父親の手。

 

「んじゃ帰るか」

「うん!」

 

 足取り軽く嬉しそうに手を引き歩く子供に合わせ、小五郎も家路を急いだ。

 

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