君を飾ろう

 

 

 

 

 

「そうそうコナン君、その調子。上手いじゃない!」

「……そ、そう?」

「うん、とても初めてとは思えない手つきね」

「……ら、蘭姉ちゃん…ちょっと顔近い」

「あ、ごめんね」

「……あと…あんまりじっと見ないで」

「あ、ケチー。いいじゃない減るもんじゃなし。見せて見せて!」

 

 零れ出る女の軽やかな笑い声に心の中でうなり、コナンは苦い顔で目の前の作業に集中した。

 顔付きが幾分険しいのには二つ理由があった。彼女がこの状況をからかい半分楽しんでいるのに苦々しく思うのと、もう一つは純粋に、手が痛むからだ。

 言いだしっぺは他でもない自分なので手の痛みも女の楽しげな様子も不満などありはしないが、まさか自分がこうして手芸…かぎ針編みに興じるなどとは、せっせと針で糸をすくっている今この瞬間も不思議に思えてならなかった。

 

 

 

 事の起こりは半時間ほど前。

 週末の昼過ぎ、二階の事務所で、小五郎は窓際のデスクで競馬新聞を、蘭は応接ソファでファッション雑誌を、コナンは向かいのソファで漫画雑誌をのんびり読みふけり、三人三様にゆったり過ごしていた時の事。

 蘭が、膝に乗せてめくっていた雑誌をテーブルに置き、軽く伸びをした。分厚く重い雑誌を前屈みで抱えるようにして読んでいたので、少し疲れたのだろう。

 それまで静かだった中に響いたごとんと硬い音に、コナンは半ば反射的に目を向けた。両手をまっすぐ天井に伸ばしうーんと小さくうなる蘭にそっと笑い、それから何気なく、彼女の置いた雑誌に視線を落とす。

 まだ冬半ば、外は連日寒風吹き荒れる厳しい季節の真っただ中だが、紙面を埋め尽くす女性たちの装いはすっかり華やかな春色に染まっていた。

 外出時はマフラーに手袋が欠かせない毎日の中で見るフワフワひらひらした薄手のワンピースや半袖のニット類にコナンは思わず震え上がるが、直後あるものに目が釘付けになった。

 若い女性モデルが長い髪につけている、ふわふわ、くしゃくしゃっとしたアクセサリーがそうだ。

 コナンはじっと視線を注いだ。それからおもむろに蘭へと目を上げ、彼女に似合いそうだ…そんな事を思い浮かべる。

 長い髪を片方に零して、そこにこのアクセサリーをつけたら、可愛いのではないか。

 そんな事を思い浮かべる。

 途端に無性に恥ずかしくなった。自分の頭がそんな事を考えるのがどうにも照れくさく、動揺する心と共にみるみる顔が熱くなっていく。

 

 嗚呼…何やってんだオレ

 

 と、蘭の指がそのアクセサリーをぴたりとさした。

 まるで見透かしたかのような行動に一瞬息が止まる。

 蘭が口を開き、心臓までも止まりそうになる。

 

「これ可愛いね」

「うん、可愛い」

 

 それでいて、素直に答えるのだ。

 コナンの賛同を得て、蘭は嬉しいとにっこり頬を緩めた。

 それから後の事は、断続的にしか思い出せない。

 気付けばソファに並んで座り、かぎ針を手に蘭の手ほどきを受けながら、編み物を始めていた。

 どういう経緯で自分が編み物に取り組まねばならなくなったのか、彼女に手編みの『シュシュ』を贈る事になったのか、全く、さっぱり思い出せない。

 いや、左手のリハビリになるから、というのは覚えている。自分もそれには賛成した。半ば押し切られる形だったようにも感じるが、未だしつこく残る手指の強張りを取り去るには最適の作業だと了承した。

 しかし、自分が編み物とは。

 そんな最後の愚図つきを吹き払ったのは、蘭のひと言だった。

 

 コナン君からの贈り物が欲しいな

 

 途端に、何が何でも作って渡したくなった。どんなに難しい物だろうと意地でも作り上げて、彼女を飾ってやりたくなった。

 こうまで望まれて断るなど誰が出来ようか。

 もらうばかりだった自分を恥じ、コナンは奮い立って取り組んだ。

 すっかり鈍った左手の動きに加え慣れない事もあって始めは少しもたついたが、ぎこちなさはすぐに解けた。

 感心した様子で蘭が褒め言葉を口にする。照れくさかったが、悪い気はしない。

 が、あまりに間近でしげしげと見つめられるのは我慢ならなかった。

 腹が立つというのではない。近付いたせいで彼女の何もかもが間近になり、肩口をくすぐる長い髪や、甘い匂い、息遣いが触れる度、何度でもしつこく心臓が跳ね上がってしまい落ち着かなくなるからだ。

 なのに彼女はお構いなしで身体をくっつけ、分かっていてからかってきて、始末に負えない。

 コナンはこっそり、眉根を寄せて泣きそうな顔になった。

 他の場面でならいくらでも、楽しそうな彼女を見ていたい。

 楽しそうに過ごす彼女を見るのは、大好きだ。

 いつまでも見ていたい。

 しかし今はこの状況は、耐えがたい。

 

「あ、そこからは一つ飛ばしですくってくの」

「……あ、うん」

「そうそう、それでぐるっと一周ね」

「わかった……」

 

 もう一度頷いて、コナンは作業を続けた。

 早く終われ。

 綺麗に作ろう。

 丁寧に編もう。

 もうやめたい。

 彼女に似合うといいな。

 絶対に可愛いはず。

 やってみると結構面白い。

 

 恥ずかしくて死にそうだ……

 

 頭の中で色んな言葉がいっぺんに渦巻き、ごちゃごちゃと絡みあってコナンを苦しめた。

 息を吸えば彼女の優しい匂いがし、息を吐けばまた息を吸わねばならず、目の前では一本の糸が規則正しく複雑に絡み、頭の中では無数の糸がてんでに絡み合う。

 混乱はついに限界に達し、コナンは深呼吸と共に作業の手を止め、ソファにぐったりともたれた。細かな編み目がすっかり焼き付いて、目の奥でまでちらついて見える。

 

「大丈夫? ちょっと休憩にしようか」

 

 言葉と共にいたわりを込めた手が左手を包み込む。コナンはだらしなく開いた口を引き結び、蘭へと目をやった。

 

「あともうちょっとでしょ、ボク頑張るよ」

「うん、あとは縁をぐるっと飾っておしまい。でも結構疲れる作業だから、休み休みやろう」

 

 蘭はそう言って、解けてしまわないよう丁寧にコナンの両手からかぎ針と毛糸を受け取り、そっとテーブルに置いた。そしてすぐに目を戻し、あらためてコナンの左手を取ると、人差し指の付け根辺りを親指でぎゅっと揉んだ。

 

「えっと……この辺でいいんだよね」

「うん……ありがとう」

 

 おっかなびっくり目を見合わせる蘭を見つめ返し、コナンは頷いた。覚えて間もないぎこちない動きで、一生懸命疲れを癒そうとする女に涙が出そうだ。不慣れな作業で疲れた手は彼女の優しい刺激でみるみる間に力を取り戻し、軽やかになっていく。

 

「すごく気持ちいい。ありがとう蘭姉ちゃん」

 

 見守るコナンの視線に気付いた時、おっかなびっくりだった蘭の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

 

「私こそありがとう。出来上がるのがすごく楽しみ」

 

 もう待ちきれないと弾ける笑みを浮かべる唇が、その愛くるしい形が、コナンの胸に熱く迫った。

 

「そうだコナン君、今日も寒いから、あつーいお茶でも入れようか」

「うん!」

「んじゃ俺ビールが……」

 

 と、それまで新聞片手にテレビを見ていた小五郎が声を挟んだ。

 

「ダーメ! 四時に依頼の人来るのに、ビールなんてもってのほか!」

 

 すかさず蘭がぴしゃりと言い放つ。

 駄目で元々と聞いたのか、小五郎は食い下がる事はせずへの字口でしょんぼりと眉尻を下げた。

 いささか沈んだ声音で、今度はコナンに呼び掛ける。

 

「……じゃあコナン、あれ取ってきてくれ」

「アレって?」

「冷蔵庫に入ってる奴でな、こう、このくらいの大きさの缶に入ってる奴でな、白いラベルで文字はグリーンで……」

「お父さん!」

 

 蘭が再び、鋭い声を上げる。

 冷蔵庫に入っている缶飲料で白地にグリーンの文字のもの、それはまさにビールだ。

 説明を全て聞くまでもなく察したコナンは、諦めの悪い親父様に半眼になり乾いた笑いを零した。

 

「まったくもう……!」

 

 蘭が足早にキッチンへと向かう。背後で噴水のごとく数々の言い訳を並べ立てる小五郎を一切無視して、昼下がりのお茶をいれにいく。

 しょぼくれた顔で頬杖ついた小五郎を一旦見やり、コナンは蘭の後ろ姿へと目を移した。

 それから目の前の編みかけのそれへと視線を落とし、むず痒さに笑う。

 これが完成したら次は、違う色で編んでみようか。

 いろんな色を取り入れて作るのも楽しそうだ。

 彼女に似合うのはどんな色だろう。

 どんな色で飾ろうか。

 思いを巡らせ、コナンはまた照れくさそうに笑った。

 

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