Secret Knight |
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街灯の感覚がやけにあいた暗い夜道を、コナンと蘭の二人は歩いていた。 先を行くのはコナン、そのすぐ後に蘭がついていた。 空に月はなく、街灯だけが頼りの一本道。進む先にひっそり横たわるまっすぐな道にはぽつんぽつんと灯りがともり、それがどこまでも続いていた。左右に並ぶ家々は皆もう眠りについたようで、ただぼんやりとだけ存在していた。 次の灯りにたどり着くまでの間、背後の蘭はしきりにびくびくと辺りをうかがい、しっかり握り込んだコナンの服の襟もとを時折引っ張っては、怖いよ、怖いよと足取りを鈍らせた。 その度にコナンは振り返って大丈夫、大丈夫と宥めた。 少し歩いたところで一際強く襟が引っ張られる。
ひゃっ……あれ何の音?
うぐ、と絞まる首元に息を詰まらせ、コナンは振り返る。
カラスだよ、蘭姉ちゃん…遠くでカラスが鳴いたんだ あ…そう
納得したのを確認してコナンは正面に顔を戻し、また歩き出す。蘭も渋々、歩き出す。 少し行ったところで、またしても強く襟を引っ張られる。
きゃっ……今何か目の前を飛んでったわ!
ぐえ、と声もなく息を詰まらせ、コナンは振り返る。
多分、虫か何かだよ…蘭姉ちゃん あ…そう
納得したのを確認してコナンは正面に顔を戻し、また歩き出す。蘭も渋々、歩き出す。 次の灯りまで、まだ随分先だ。その間何度襟を引っ張られるだろう。 怖がりな彼女に内心やれやれと肩を竦めるが、か弱い女性を護るナイトよろしく盾になる。 か弱いというのはいささか語弊がある…今はほとんどの状況において自分が守られる側で、彼女の助けがなければとっくに死んでいただろうから軽々しく護るなどと言えない立場だが、この状況では自分が護衛役だ。 彼女が最も嫌うものから、護るのが役目だ。 だから何度首を絞められようと、彼女を見捨てないし呆れないし嫌にならない。 嫌いになどなるものか。 ポケットに手を入れた恰好で、コナンは歩き出した。 しかしいくらも進まない内に、またも襟を引っ張られる。 今度はやけに苦しい。 しかもどうした事か動けない。 そうこうする内にどんどん背中が熱くなっていった。 動けないもどかしさと戦いながら、コナンは必死に振り返ろうともがいた。 もがいてもがいて、ぱっと目を覚ます。 |
暗がりの中、横向きに寝転がっていた。 何度か目を瞬きながら、ここはどこだとコナンは頭を動かした。 「あ…ごめんね」 直後、すぐ後ろから今にも泣きそうな声が聞こえてきた。途端に首筋がかっと熱くなる。ここはどこだ、何故彼女…蘭の声がするんだと、コナンはうろたえながら肩越しに振り返った。 「蘭…姉ちゃん?」 「……うん」 どうしたというのか、蘭はしっかりとコナンの服、パジャマにしがみつき、小さく震えていた。 訳が分からず、内心取り乱す、が、徐々に頭がはっきりするにつれ、ここが彼女の部屋である事、一緒に寝ている理由が思い出されてきた。 コナンはほっとして一旦頭を枕に乗せ、あらためて蘭を振り返った。 が、まだ彼女に掴まれているせいで、身動きが取れない。まるで、一か所でも隙間があるのが恐ろしいと言わんばかりの縋りようだ。背中に腰にぴったり寄り添われ、熱がこもり、実に悩ましい。 「蘭姉ちゃん、あの――」 手を離してほしいと言うより早く、蘭が切羽詰まった声で、囁くような悲鳴で、トイレに行きたいと訴えてきた。 「我慢しないで早く……」 早く行ってこい…呆れ半分言いかけて、今の彼女に一人で行く勇気はないだろう事に思い至る。 気を取り直し、コナンは、しがみつく手をどうにかこうにか離させると、しっかり握って、ベッドから引っ張り出した。 手を繋いだまま先導する形でトイレまで連れて行き、泣きそうな顔で何か言いかける蘭に大丈夫と渡して扉の向こうに押し込む。 かちりと鍵の閉まる音をきっかけにさりげなくトイレから離れ、コナンは、しょぼつく目を瞬かせながらあくびを一つついた。
確かに昨日のは、蘭にはちょっと怖かったかもな……
昨夜二人で一緒に見た…付き合ったとも付き合わされたとも言える洋画鑑賞を思い出し、コナンはもう一度だらしなくあくびをついた。 起こされてすぐは驚いたのもあり目が開いたが、時刻を見れば夜中の二時。確認した途端眠気に襲われ、立ったまま、今にも眠ってしまいそうだった。
……ようやく寝付いたところを起こされたしな
怖がりの癖に怖いものを完全に無視出来ない厄介な幼馴染にため息を零し、今度こそ眠れないだろうとコナンは肩を落とした。 昨夜も、無理やりベッドに引きずり込まれ…拝み倒されたのではそれ以上無碍にも出来ない、聞いてくれると頼って甘えられては応えないでは男がすたる、結局蘭に白旗を上げて、同じ布団で寝る事を承諾した。 が、案の定隣の何かが気になって気になっていつまでも眠れず、一緒だからと安心しきって早々に眠りについた横の寝顔を憎たらしく否愛しく眺めながら、うとうとしていてようやく眠った。 その矢先、こうして起こされた。
ま……寝る前に見た物に影響されてヘンな夢見た点に関しちゃ、オレも人の事言えねーけどな……
今となっては夢の内容もおぼろげで、どこか暗いところでひたすら蘭が怖がっていた…という事しか覚えていないが。 コナンは、今日学校で居眠りしてしまわないかに心配を巡らせた、ただでさえ苦行に近い授業内容、そこに来て寝不足とあっては、起きていられる自信はない。たしかに普段あまり授業態度がいいとは言えないが、居眠りだけは何としても避けたい。担任の小林を侮辱する行為に思えてならないからだ。 気合いで眠ろう、閉じかけた目をこすりこすりそんな事を考えていると、流水音に続いて蘭がトイレから出てきた。 「……ごめんね」 案の定、泣きそうな顔をしていた。 「大丈夫だよ蘭姉ちゃん、はい、手を洗って」 気にしなくていいと、洗面所に連れていく。完全に目を覚まさないよう、動きも声も最小に抑える。 「……洗った? じゃあ戻ろう」 「……うん」 素直に大人しくついてくる蘭を従え部屋に戻り、ベッドに寝かせ、しっかり毛布をかけてやる。 当り前の顔をして隣に寝るのは少々居心地が悪かったが、不安げにじっと見つめてこられては一人置いて出るわけにもいかず、大丈夫だと、小さな子供にするように布団の上から軽く叩いて宥めてやる。 「じゃあね、お休み……」 これなら何とか眠れそうだと、コナンは目を閉じた。 直後、蘭はコナンの方へ身体を向け、肩にしがみついた。 「!…」 身体の右半分に覆いかぶさる彼女の熱に、コナンは泣きそうな顔で目を開けた。 「ごめんねコナン君…ごめんね」 潤んだ声で繰り返し、蘭は謝った。怖い夢を見たせいで夜中に起こした事、トイレに付き合わせた事、見なければいいのに映画を見てしまった事全部含めて、ごめんなさいと繰り返した。 「ただの夢だよ、蘭姉ちゃん」 昨日怖い映画見たせいだよ 「……うん」 蘭は喉の奥で小さく頷いた。分かってはいるが、夢を見ている間、本当に怖い思いをした。 「そんなに怖かったの?」 コナンは顔を蘭の方へ向け、聞いてみた。 「……うん」 蘭はもう一度、小さく頭を動かした。 枕に半分顔を埋め、今にも泣きそうに眉根を寄せている。 少し考え、コナンは口を開いた。 「知ってる? 怖い夢を見た時はね、起きて最初に喋った人に話すといいんだよ」 何がいいやら…とんだ出まかせだが、怖がりの彼女に安眠を約束するには、こういった方法が最適だろう。 嘘がもれ出てしまわないよう、コナンは自信たっぷりに蘭を見やった。 「え……そうなんだ」 俯いていた顔をコナンへと持ち上げ、蘭は目を輝かせた。暗い中ぼんやり見える眼鏡越しの眼差しは何より頼もしく、ほっと肩の力が抜ける。 全面的に信頼している人物の言葉だからと、蘭は疑いもせず納得した。少しばかり心苦しくもあったが、こんな時くらい利用させてもらってもばちは当たらないだろう。 「そうだよ。話してみて」 「……うん、あのね――」 蘭はぽつりぽつりと語り始めた。 朝、いつも通り学校に行って、クラスの皆に会う…ただそれだけの内容だが、蘭は『どこかずれた感じがして、とにかく怖かった』と繰り返した。 見知った顔に違いないのだけれどどこかうすら寒い、色のおかしい空気が漂っていて、とにかく怖かった。 眉根を寄せた険しい顔付きで、蘭は夢の内容を話して聞かせた。 「それから?」 続きを促す。 「その後――」 皆と一緒にいるのが怖かったので、教室を飛び出した。 校舎の中を走り回って、どこかの物陰に隠れた。そうしたら誰かが近付いてきて、私の手を掴んだの。 コナン君だった。 「それまでずっとずうっと怖かったから、コナン君に会えて本当にほっとしたわ」 険しかった表情が一気に緩み、安堵の微笑が浮かぶ。 「それでね――」 それで、コナン君は私を連れて…どこか分からないけど、とにかく安全な場所に案内してくれたの。 そこにいたの。 「……誰が?」 尋ねられ、蘭は口を閉じたままコナンをそっと指差した。 「コナン君が連れてってくれたの」 新一がいるところまで コナンは目を見開いた。 彼女の夢の中でも、自分がその役割を担っていた事に密かに喜ぶ。 「ほっとしてしがみついたところで目が覚めたの……」 蘭は説明を終えた。 コナンは合点がいった。だからあの時、しがみついてきたのだ。自分が見た夢の中で、背中が急に熱くなったわけはそうだったのだ。 蘭はふうと肩で息をついた。起きて最初に言葉を交わした人に全部話した。これでもう安心だと、深くため息をつく。 「変な夢で起こしちゃって…ごめんね」 「いいよ。ボクも……変な夢見る事あるし」 「あ……そうだ。あの時はコナン君が私を起こしたのよね」 「う……うん」 そこまで掘り返さなくとも…コナンは目を逸らした。 蘭は控えめにくすくすと笑った。 「じゃあ…おあいこだね」 「……そうだね」 「じゃあ今度は、私が、コナン君の変な夢聞いてあげる番だね」 だからもし今度ヘンな夢を見た時は、ちゃんと聞くから、ちゃんと教えてね…任せてと語る愛くるしい微笑が、胸に強く迫る。 「うん……」 少し赤い顔で見惚れたまま、コナンは頷いた。 大変な約束をしてしまったとは、これっぽっちも思っていない。 「朝まで時間あるから、もうひと眠りするね」 「そうするといいよ」 「ごめんねコナン君…ありがとう、おやすみ」 「いいよ、おやすみ」 見守る先で蘭が目を閉じる。 その、安心しきった無防備な顔が、庇護欲を強くかき立てた。 「蘭姉ちゃん……よく眠れるように、おまじないしてあげる」 そんなお粗末な言い訳をくっつけて、コナンは顔を近付けた。 「え?」 「目を閉じてて」 目を開けようと身じろぐ蘭にそう囁き、コナンは目蓋にそっと唇を押し当てた。右と、左と、等しく。 何が触れたのだろうと目を閉じたまま思案していた蘭だが、すぐに理解し、途端くすぐったい笑みを浮かべてふふと肩を竦めた。 「ありがとう」 甘える仕草で、蘭は身体をすり寄せた。 女のぬくもりと甘い匂いとが少年に襲いかかる。 「!…」 今にも抱きしめたい衝動を何とか飲み込み、コナンはお休みと無理やりに目を閉じた。 恐らく、自分はもう眠れないだろう。 構わない。 彼女を護れるならば、ひと晩でもふた晩でもどうという事はない。 ただ、ため息の一つくらいは、許してほしい。 |