不在の夜の君とボク |
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左手に掴んだ皿をがっちり握り込み、右手のフォークでひと時も休む事無く皿の料理を口に運ぶ…誰が来ようが何が起ころうが、決して離すまいとの勢いでがつがつと貪り食う小五郎の鬼気迫る顔をちらりと見上げ、コナンは呆気とも感心ともつかぬため息を吐いた。
ちょっとお父さん、そんなみっともない食べ方しないでよ
父親を諌める蘭の声が、今にも聞こえてきそうだ。 いつもならこの辺りに立ち、恥ずかしさに顔を赤くし慌てて止めに入る彼女を思い浮かべる。 小五郎のやや後方に目を向け、コナンは目を瞬いた。 残念ながら彼女はいない。 まだ学校で、稽古に励んでいるところだろう。 他校との練習試合が間近に迫った事もあり、ここ数日、帰宅は遅い。 だものだからここ数日の夕食は、もっぱらポアロ頼みになっていた。 今日もそのつもりで、学校にいる間に何を食べるかおおまかに決めていたコナンだが、事務所に帰り着くなり小五郎に急かされ着替えさせられた。 どうしたのかと理由を聞けば、先日解決した事件の謝礼代わりにホテルでの立食パーティーに誘われたのだという。 そういう事かと頷く間にもうタクシーに押し込まれ、ご馳走に胸躍らせる大人に連れられてパーティー会場であるホテルにやってきた。 正直なところ、そろそろ違うものを食べたいと頭をかすめていたので、華やかに飾り付けられたパーティー会場でのご馳走は嬉しいものがあった。 これで彼女が揃っていれば完璧なのだが。 もっと正直に言うならば、どこだろうと何だろうと、彼女と一緒ならば完璧なのだが。 仕方ないと、コナンは皿のクラッカーを一つ摘まんだ。 自分は果たしてどこまで行けるのか、さらなる高みを目指して励む蘭を心中そっと応援する。 「おい、食ってるか?」 と、食べながらもごもごと小五郎が聞いてきた。 コナンは目を上げ、一つ頷いた。 「どんどん取ってきてやるから、遠慮せずじゃんじゃんお代わりしろよ」 実にありがたい気遣いの言葉…しかしながら小五郎の視線は一度もこちらを向かず、目の前の皿とテーブルの上とを行き来している。次は何を取るべきか、食べながら思案しているのだろう。
おっちゃんはもうちょっと遠慮しろよ
見ているだけで満腹になりそうな見事な食べっぷりに眉を寄せ、コナンは肩を落とした。 広い会場内に置かれたテーブルの周りでは、控えめながら華やかに着飾った人々が料理片手に歓談している。皆それぞれお喋りや料理を楽しんでいるが、誰一人として、隣の大人のようにわき目も振らず料理だけ、という者はいない。 この人物だけ、天下の名探偵毛利小五郎だけ。 呆れる子供も気にせずに、小五郎は空いたコナンの皿をさっと奪い取ると目に着く料理を端から盛り付け、有無を言わさず押し付けた。 「うっ……あ、ありがとうおじさん」 取り上げられてほんの五秒で返ってきた皿にコナンは目を白黒させた。右手で受け取り、落とさないよう左手の上に乗せる。まだ満足に動かす事が出来ず、特に皿を扱うのに苦労していた。掴むのはまだ無理だが、乗せるだけならさして苦はない。 落とさない位置に乗せた事を確認し、ようやくコナンは肩の力を抜いた。それからフォークを取り、口に運ぶ。 料理は美味いが、一人分物足りない。 少し寂しくのんびりとたまご料理を味わっていると、ジョッキのビールが空になったからと小五郎が声をかけてきた。 「水か、ジュースか、何がいいんだ?」 ついでに取ってきてやると言うのだ。 見れば自分もすっかり飲み干しており、タイミングの良さにコナンはありがたくオレンジジュースを希望した。 たまご料理は、喉に詰まる。 溶けた氷でようやくひと口分になったオレンジジュースでどうにか喉を潤し、コナンはふうと息をついた。 それでもまだ顔から険しさが取れなかった。 コナンはそっと皿を右手に持ち替えると、小五郎に背を向け歯噛みした。 今日は風の強い一日だった。 昼間はあたたかな陽射しがあったが、日も暮れた今は風の冷たさだけが残り、身を凍えさせた。 会場内は空調が利いてあたたかいが、間もなく冬を迎える季節は間違いなく空気に溶け込んでいた。 「ほれ、あんまり飲み過ぎるなよ」 トイレはしっかり行っとけよ 背後から聞こえてきた茶化す声に半眼で振り返り、コナンは負けじと言い返した。 「おじさんこそ、歩けなくなるほど飲み過ぎないようにね」 蘭姉ちゃんに怒られちゃうよ 二人の間で見えない火花が一瞬散る。 お互いぐうの音も出ない物言いにぎりぎりと歯を噛み合わせ、はっはっは、えっへっへと不穏な笑顔で幕にする。 そしてどちらからともなく今日の料理は美味いと言い出し、そうだと頷く声を繋げた。 |
それから小一時間ほどして、小五郎はお開きを口にした。 頻繁にビールやワインを飲んでいたが、いつもほどは酔ってはいないようで、ホテルから最寄りの駅までの道のり、特にコナンが苦労する出来事は起きなかった。 頻繁に飲んでいたように見えたが、実際はそうでもなかったという事か。 寒風吹きすさぶホームに身を寄せ合い、ほどなくしてやってきた各駅停車に乗り込む。 「ふう、食った食った」 人のまばらな車内、四人掛けの座席に向かい合って座るや、小五郎は満足そうに腹をさすった。 「特にあのローストビーフは、絶品だったな!」 こんなに分厚くてよ 「うん、すごく柔らかくて美味しかったね」 とろける笑顔の小五郎に笑い返し、コナンは相槌を打った。 すっかりほろ酔いを通り越して、陽気な酔っ払いまであと一歩と迫った小五郎の真っ赤な顔に小さく肩を竦め、伸び上がるようにしてコナンは窓の外へと目をやった。 夜闇の中、ビルや家々の明かりが散りばめられ、思いの他綺麗な車窓。 ぼんやりと眺めながら、彼女も来られたらよかったのにと残念がる。 もう家に帰り着いた頃だろうか。 自分も小五郎も全く手を伸ばさなかったが、女性たちの皿にちらほらと、洒落た綺麗なケーキが乗っているのを見かけた。 彼女なら、どれに目を輝かせただろう。 どれにしようとテーブルの前で考えあぐねて、真剣に悩む顔がすぐさま思い浮かんだ。 そんな事を思い浮かべる自分におかしさを抱いた直後、また身体の芯を駆け抜ける。 窓の外を見たまま歯噛みし、コナンは膝に置いた左手を小さく揺すった。 半ば鏡になった窓越しに小五郎をうかがうと、ちょうど大あくびの最中で、よくもまああそこまで口が開けられるものだと感心する。 しばらくして乗り換え駅に到着し、促す小五郎の後についてコナンは電車を降りた。 同じホームで、次に来る急行電車に乗れば、あとは米花駅まで一本だ。 電車が到着するまで五分少々。それまでベンチに腰掛けていようとコナンはまっすぐ目指した。 と、小五郎は左へと折れた。つられて目を向ければ、小五郎の向こうに売店が見えた。いつものように競馬新聞なぞを買うのだろうと合点し、コナンは腰を下ろした。 電車を待つ人たちが行きかう様をぼんやりと眺めていると、視界の端に、戻ってくる小五郎の足が見えた…直後、目の前にぬっと携帯用のカイロが差し出された。 「!…」 突然の事に驚き、コナンは小さく肩を弾ませた。 「え……?」 ぱちぱちと目を瞬き、小五郎が手にする赤いパッケージの袋を凝視する。 平たいそれは、何度見てもカイロだ。 コナンは顔を上げた。 片手に新聞を持ち、もう一方にカイロを持った酔っ払い男。 しかし見ているところは見ている変なオヤジ。 「家に帰るまで、それ握っとけ」 ポケットの中にでも入れてろ もう一度カイロに目を落とし、小五郎を見上げ、それからようやくコナンは頷いた。 「……ありがと」 何ともむず痒い感情がとめどなく湧いてくる。 「寒い時は特に痛むからな」 酒臭い息で少しふらついて、だのに丁寧に袋を開封し中身を持たせてくる。 いつから気付いていたのか、どうして分かったのか。 悔しいような嬉しいような、複雑な思いに唇をひん曲げコナンは小袋を受け取った。 今日は風の強い一日だった。 間もなく冬を迎える空気は容赦なく傷に染みて、あたたかな陽射しがある昼間はまだしも夜はどうしようもなく痛みを疼かせた。 そのせいで空腹さえも塗り潰され、食事を終えるのもひと苦労だったのだ。 「俺も足折ってから、寒い時は靴下二枚はくようにしたくらいだ。オメーも気を付けろよ」 そう言って左隣に座る小五郎に小さく頭を下げ、コナンは照れくさそうに笑った。 ポケットに入れたカイロが、じわじわと熱を帯びていく。それにつれて、じくじくと芯を這っていた痛みは薄れていった。 コナンは半ば無意識に頬を緩めた。 「ヤケドには気を付けろよ」 小五郎が付け足す。 自分も、今それを調整しようとしたところだと、コナンはハンカチ越しにカイロを握った。 そしてもう一度礼を言おうと小五郎を見やれば、がっくりうなだれて眠っていた。 狸寝入りなどではなく本格的な熟睡にコナンはぽっかり口を開いた。 小五郎はいつだって寝付くのが早い。 いつだって、どこであろうと。 しかし今それを発揮されても困ると慌てふためいていると、無情にも電車がやってきた。 「おじさん、おじさん! 起きて起きて!」 ベンチから飛び降り、大慌てでコナンは肩を叩いた。 「はいはい……」 ふにゃふにゃと寝惚ける小五郎を必死に立たせ引っ張ると、コナンは発車ベル鳴り響く中ドアへと急いだ。 乗り込むと同時に閉まったドアにコナンは長い長いため息をついた。今度からはヨーコさんの名前を使わせてもらおうかと、取りとめなく考える。 考えながらコナンは、隣で大あくびの変なオヤジにそっと笑いかけた。 |