意地っ張りな君とボク

 

 

 

 

 

 日曜日に、キャンプに出かけた先でちょっとしたアクシデントに遭い、コナンが右手を捻挫し熱を出してしまってから、数日が過ぎた。

 病院で処方してもらった薬よりも、誰かさんの献身的な看病のお陰で熱はすぐに下がり、右手も大分回復して、いつも通り使えるまでになった。

 そうなるまで、別の理由で熱は上がったり下がったりだったけれど。

 そして木曜日。

 

 

 

「あら、コナン君。その服じゃ、ちょっと寒くない?」

 昨日と打って変わって薄ら寒い朝に、半袖のパーカーを着て食卓についたコナンに、蘭は心配そうに小首を傾げた。

「また風邪がぶり返しても、知らねーぞ」

 たっぷりの嫌味を込めて意地悪く笑う小五郎にひと睨みくれて、蘭は視線を戻した。

「午後から、雨が降るって言ってたし……」

「平気だよ」

「そう?」

 明るく応えるコナンに、それじゃあと念を押す。

「傘は忘れないでね」

「はーい」

 心配性の彼女を安心させる為、とびきりの声で返事をする。

 実は、少々肌寒く感じてはいたが、これくらいなら平気だろうと軽く考えていた。

 子ども扱いされる事も、気に食わない…本当は違うと頭で分かってはいるが、それでもどこかで、そんなにやわじゃないと意地を張ってもいた。

 

 

 

 雨は、ちょうど給食が始まった頃にぽつぽつと降り出し、すぐに本降りとなった。

 昼休み、閉めた窓に降りかかる強い雨と風に、素直に言う事を聞いて着替えておけばよかったと、今更ながら後悔する。

 心なしか、身体が熱い。

 慌てて首振る。

 これでもし本当に風邪がぶり返してしまったら、嫌味の塊のような小五郎に何を言われるか。

 それに、またしても蘭に心配をかけてしまう事になる。それだけは、避けなければ。

 要らぬ意地を張り、体調をごまかして、コナンは教室の掃除を始めた。

 帰る頃には、雨はすっかり小降りになっていた。

 けれど空気は重く湿っぽく身体に纏わりついてきて、いよいよ本格的にまずい事になったと、コナンは内心舌打ちした。

 ――まいった

 頭を抱える。

 この際、小五郎の嫌味はどうでもいい。慣れている。けれど…

 じわじわと染み込んでくる肌寒さに腕をこすりながら、そぼ降る雨を見上げる。

 要らぬ意地を張ったから、あの眩しい陽射しは厚い雲の向こうに隠れてしまったんだ。

 せっかく三人でいるのに、自分はなんて馬鹿なんだろう。

 手にした傘に目をやり、また空を見上げる。

 明日は、晴れるだろうか。

 雲一つない空に眩しく、陽射しは輝くだろうか。

「コナンくーん、帰ろう!」

「……ああ」

 呼びかける歩美に応えて、ばさりと傘を開く。

 真っ青な傘にぽつぽつと降りかかる雨の音を聞きながら、次々と下校していく児童に混じって、コナンは歩き出した。

 

 

 

 事務所に戻り、いつものようにソファにごろ寝して漫画雑誌をぱらぱらと読みふけっていると、やがて蘭が帰ってきた。

「お帰り、蘭姉ちゃん」

「ただいま……あれ、お父さんは?」

「煙草が切れたからって、今さっき買いに行ったよ。すぐ戻るって」

「そう。もう、またテレビつけっぱなし」

 今はいない人物に文句を言うと、蘭はコートを脱ぐなり慌しく歩き回って、テレビを消し、散らかった机の上を片付け、煙草の灰を掃除した。てきぱきと動く彼女の姿を何気なく目で追いながら、元気だよなあと感心する。

「ところでコナン君、熱は出てない?」

 振り向き様の一言に、思わずどきりとする。

「え? うん、ぜんぜん平気だよ」

「一応、熱測っとこうか?」

 そう言って戸棚から救急箱を取り出そうとする蘭を、慌てて引き止める。

「い、いいって」

 一言うんと言えばいいだけなのに、何を自分はこんなにむきになっているのだろう。

「でも……」

 心配そうな蘭の眼差しに、しまったと内心舌打ちする。そこへ、タイミングがいいのか悪いのか、小五郎が戻ってきた。

 帰ってきた挨拶もそこそこに小言を言い始めた蘭と、言い訳する小五郎に紛れて、三階の自宅へ避難する。

 自分の演技が下手なのか、蘭が鋭いのか。

 多分…いや紛れもなく後者だ。

 まったく、女には敵わない。

 小さくため息をついて、リビングにごろ寝する。

 夕飯まで、寝ていよう。そうすればこのろくでもない熱も下がるだろう。

 心の中で小さくごめんと謝って、目を閉じる。

 

 

 

 夕飯の支度をする物音で、ゆっくりと目が覚める。

 薄く目を開けると、窓にはカーテンが引かれており、隙間から見える外はもう真っ暗だった。

 大きなあくびを一つつきながら起き上がると、テレビの正面、いつもの場所に座った小五郎が、缶ビール片手に野球を見ているのが目に入った。

 蘭を探し見回すと、ちょうど、出来上がった夕食をテーブルに運びやってくるところだった。

 そこでコナンは、自分が毛布をかけている事に気付いた。きっと、蘭がかけてくれたのだろう。

「あ、起きたね、コナン君」

「蘭姉ちゃん、これ…ありがと……」

 少し照れたように、コナンは毛布を持ち上げた。

「ちょっと寒そうだったからね。実はそれ……」

「おい蘭、ビール持ってきてくれ」

 言いかける蘭に、小五郎が割って入った。

「もー、これからご飯なんだから、ちょっとは我慢してよ」

 すると蘭も、毛布の説明をするより飲みすぎの父親を心配する方に頭がいってしまい、少しきつい口調でたしなめ出した。

「いいじゃねえか、飯もちゃんと食うからよ」

 そんな二人のやり取りにコナンは肩を竦め、何を言いかけたのだろうかと頭の片隅で思った。

「んもー、しょうがないんだから……」

 何だかんだ言いながら、冷蔵庫のビールを運ぶ蘭に、密かに同情する。

 いつか、絶対肝臓壊すぞ…このおっちゃん

「さあ、ご飯にしよ」

 蘭の声を合図に、三人はテーブルについた。

 

 

 

 小五郎の応援するチームは、今日はあまり調子がよくないのか、缶ビール片手に罵声を飛ばしたり懇願したりと、一時も声が止む暇がない。

 いつもの光景だと、すっかり慣れた様子で二人は食事を進めた。

 ところが。

「今日の肉じゃが、あまり美味しくなかった……?」

 普段とどこか違う箸の進みを気にして、蘭がさりげなく尋ねてくる。コナンは思わずどきりとなった。

 さすが、探偵の娘

 細かい事にもよく気が付くことで……

「ううん、今日もすっごく美味しいよ」

 出来るだけ自然に言い返し、本当はあまり食欲のない身体を騙し騙し夕食を続ける。

 朝の自分が恨めしくなる。

 あの時着替えていれば、蘭ご自慢の肉じゃが…中まで味の染みたほくほくのジャガイモも、絶妙の味付けも、心から味わえたのに。

 ほんのり甘くしんなり柔らかい玉ねぎを口に運び、自分にやれやれとため息をつく。

「お父さん、それで何本目?」

「なんだよ…まだ二本目だぞ」

「うそばっかり!」

「わかったわかった……」

 その隣では、これまたいつもの光景が繰り広げられていた。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 何とか食べ終わり、箸を置く。

「じゃあコナン君、先お風呂入っちゃって」

 てきぱきと食器を重ねながら促す蘭に、わかったと応える。

 着替えを取りに部屋に向かう。そんなコナンを。

「……ちょっと待て」

 それまで、ずっとテレビに釘付けになり缶ビールを煽っていた小五郎が、ぼそりと引き止めた。

「……え?」

 振り返ると、よっこらせと立ち上がり近づいてくる姿が目に入った。

 間近で、半眼になり見下ろす小五郎を、恐る恐る見上げる。

「お、おじさん……?」

「ちょっと…お父さん?」

 蘭が心配げに声をかけると同時に、小五郎の手がコナンの頭に伸びた。

「!…」

 条件反射で咄嗟に目を瞑った直後、額に手が押し当てられる。

「ちょっと熱があるじゃねえか。今日は風呂は無理だな。早く寝ちまえ。まったく、だから朝蘭が言ったとおりに、着替えてりゃよかったんだ、よ!」

「いてっ!」

 言葉と同時に額を指で弾かれ、コナンはびっくりした顔で小五郎を見やった。

 そんなコナンに『ふん』とふてぶてしく鼻を鳴らし、小五郎は元の場所に腰をおろした。

 コナンは呆気に取られ、額を押さえたまま蘭を振り返った。

 蘭は小さく笑っていた。

 蘭に促されパジャマに着替えたコナンは、今度は大人しく体温計を受け取った。

 夕方に少し寝たのが幸いしたのか、熱はそんなに高くはない。

 渡された市販の風邪薬を飲み、布団に入る。

「ゴメンね…コナン君。気付かなくて。でもお父さんにはびっくりしたわ」

 少し考えてから、コナンは言った。

「そりゃあ、ずっと一人で蘭姉ちゃんの面倒見てきたんだもん。やっぱり、違うよ」

 ――とはいえ、オレも驚いたけどな

 口を開けば嫌味ばかりの癖に、見るところはちゃんと見ているなんて。

 変なオヤジ

 小さく笑う。

「それに…意地張ったボクが悪いんだから……」

「そうね!」

 布団の中から見上げるコナンに、蘭はわざと強い口調で言った。

「………」

 ――そんなにはっきり言わなくても

 思わず瞬きを繰り返す。

 少し膨れっ面でそっぽを向き、唇を尖らせて言う。

「ホント、そんな所新一にそっくり」

 膨れっ面はわざとで、いたずらっ子のように横目でちらりと目配せする蘭に、ただただ苦笑い。

「でも、新一は素直に認めたりしないから、コナン君の方がずーっと素敵だけどね」

「……ニャロ」

 今度は、コナンが唇を尖らせる番だった。

 むすっとした顔で、楽しそうにニコニコ笑う蘭を見やる。

「そうそう、さっきの毛布ね、実は……お父さんが言い出したものなの」

「え……!」

 それは…驚きだ。言葉が出ない。

「でもね、その言いようがまたおかしいのよ。私が夕飯の支度に取り掛かろうとしたら、おい、こんな所で寝てられたら目障りだから、毛布か何かで隠しとけ、だって! 笑っちゃうでしょ」

「………」

「ホント、素直じゃないんだから。そんなだからお母さんに愛想つかされちゃうのよ」

「………」

「コナン君は素直だからいいけど、新一はお父さんとそっくりなところあるから、将来お父さんみたいにならないといいけど……」

「………おい」

「なーんてね!」

 ぱっと顔をほころばせ、ふてくされるコナンの鼻をちょんと小突く。

 不意打ちに、目を丸くする。

 

 ――こんな表情も、好きだ

 

「じゃあね。ゆっくり寝れば、明日には元気になるよ」

「う、うん」

「お休み、コナン君」

「お休み……蘭姉ちゃん」

 ばいばいと手を振って、蘭は部屋を出て行った。

 扉が閉まって少ししてから、蘭の指が触れた鼻先をそっと押さえてみる。

 ほんのりあたたかい気がした。

「どうせ、オレは意地っ張りだよ……」

 頬を緩ませ、密かに呟く。

 でも……

 

 蘭に感謝する。

 そして、おっちゃんにも

 

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