Help Me!

 

 

 

 

 

 夕食後、下げた食器を並んで洗っていた時の事。

 隣に立つ蘭が、合間にこんな事を尋ねてきた。

「ねえコナン君、クレヨンって、今あるかな」

 それとも学校?

 藪から棒の質問に一瞬面食らい、すぐに気を取り直してコナンは頷いた。

「あ、うん、教室のロッカーに入れてあるんだ……必要なら、明日持って帰ってくるよ」

「ゴメンね、お願い出来る?」

「うん、いいよ。何描くの?」

 気軽な質問に気軽に答えた延長で、コナンは興味津津と蘭を見やった。

「うん、……内緒。ふふ、じゃあ明日お願いね」

 しかし蘭はくすぐったい笑みでうやむやに溶かし、最後の一枚をすすぐやさっさと流し台から離れた。コナンの視線が追っているのも気にせずに、明日の準備に冷蔵庫を覗く。

「え……うん、分かった」

 釈然としないままコナンはひとまず頷いた。

「じゃあコナン君、先お風呂入っちゃって」

「……はあい」

 気の抜けた声で応え、コナンは椅子からおりた。

 はてさて、彼女は何を描くのだろう。

 

 

 

 翌朝、コナンはいつもより大分早く学校に到着した。

 理由はもちろん、約束のクレヨンの為だけに。そしてその日は、転入一日目から思い出しても一番に数えられるほど、下校までが長く感じられた。

 理由はもちろん、クレヨンの為だけ。

 授業態度は決して悪くないがまじめとも言い難い姿勢で、コナンは一日中それの考えに耽っていた。

 水彩絵の具、色鉛筆、カラーマーカー少々…ならば持っているが、蘭はクレヨンを指定してきた。描きたいものがそれでないと駄目なのだろう。何より気になるのはあの表情。

 隠しても押し込めてもすぐに溶け出してくる喜びに頬を緩め、早く種明かししたいけれどそれは後のお楽しみと、ほんのり頬を染める愛くるしい仕草。

 よく知っている。見覚えがある。

 いつかの夕暮れ時、ちょっと怨念がこもってそうなマフラーを編んでいた日の事を思い出す。

 また何か、びっくりするような贈り物を思い付いたのだろうか。

 彼女だけが作り上げる事の出来る、甘くて優しくて強烈に心揺さぶる想いを。

 そうだとするならば…自然緩んでしまう頬をごまかす為、コナンは授業中何度も奥歯を噛みしめた。

 教壇に立つ小林には、それがいささか奇異に映った。

 授業態度は決して悪くはないが、まじめとも言い難い姿勢の彼が、今日に限って真剣に教科書を覗き込んでいる。

 雨が降る程度で済めばいいが。

 

 

 

 彼女の心配は杞憂に終わった。

 下校時、昇降口から七月後半のまさに『夏空』を眩しく見上げた歩美は、横に並んだ探偵団の面々…元太、光彦、コナン、灰原を見回し、堤無津川沿いのいつもの広場で野球をしようと提案した。

「いいですね!」

「おーし、早く行こうぜ!」

 賛同の声を聞きながら、コナンは申し訳なさそうに片手を上げ今日は参加出来ない旨を告げた。

 付き合い悪いぞ、じゃあサッカーにしましょうか…当然上がる不満の声にもう一度謝り、小走りに駆け出す。

「……そういえば、昨日発売日でしたね」

「探偵佐文字シリーズ……だっけ?」

 光彦の言葉を受け、歩美が続けた。

「じゃあ…しょうがねーか」

 下校してゆく児童らの合間を縫って校庭を横切り、軽快に駆けていく背中を見送りながら、元太は渋々納得の声を上げた。

 コナンがこよなく愛するもの、こればかりは邪魔出来ないと肩を竦め、残った四人は堤無津川へと歩き出した。

 

 

 

「ただいまー!」

 明るく弾む蘭の声が毛利探偵事務所に響いたのは、午後四時を少し回ったところだった。

 それより数時間早く帰宅していたコナンは、光彦たちが推測していた推理小説の二度読み…こよなく愛するものの一つにも関わらず全く手もつけないで、彼女の帰宅を今か今かと待ち続けていた。

 小学一年生の帰宅時間が早いのは当たり前、高校生の帰宅時間がそれよりずっと遅いのも当然で、分かり切っていた事だが、それでも、一秒でも早く帰りたくてしょうがなかった。

 理由はもちろん、約束していたクレヨンの為。

 渡した瞬間の彼女のほころぶ顔を何度も想像しながら、コナンは事務所で大人しく、焦れながら、帰りを待っていた。

 そしてついに彼女は帰宅した。

 階段を上ってくる足音にいち早く気付き、居ても立ってもいられずソファから飛び降りる。しかしそれほど待ち構えていたと悟られぬようぐっと踏みとどまり、ドアを開けて入ってきた彼女をお帰りと迎える。

 それからゆったり、応接テーブルの上で出番を待ち構えていた箱入りのクレヨンを差し出す。

「はいこれ、約束してたクレヨン」

「うわあ、ありがとうコナン君!」

 咲きこぼれた笑顔を、コナンは小さく口を開けたまま見上げていた。瞬きなど忘れて見惚れる。自分は今まで彼女のどこを見ていたのかと頭を殴りたくなるほど、実際の笑顔は華やかであたたかく、安らぎに満ちていた。

 これが自分だけに向けられるとは、何と贅沢なんだろう。

「じゃあさっそく今夜、使わせてもらうね」

 ふふともれる愛くるしい微笑が耳をくすぐる。それだけで耳たぶが熱くなった。

「あ…そういえばお父さんは?」

「……え?」

「お父さん。タバコでも買いにいっちゃった?」

 繰り返し質問され、ようやく言葉が頭に入った。そんな自分にややうろたえながら、コナンは答えた。

「あ…ああ、三時ごろ浮気調査の依頼が来て、出かけたよ。遅くなるようなら電話するって言ってた」

「そう、じゃあ上に行ってようか」

 三階を指差す蘭に頷き、コナンはランドセルを手に取った。

 

 

 

 今夜は茄子とピーマンを使った炒め物という事で、それぞれの下準備を任されたコナンは張り切って作業に取り掛かった。

 始めていくらもしない内に、半ば予想していた小五郎からの電話が、ぴったり予想通りの内容でかかってきた。

 背後で、何度も何本も釘をさす蘭に小さく笑い、茄子とピーマンを『二人前』だけにとどめておいて正解だったと頷く。

「まったくもう! なーにが『いやー、長谷ちゃんがどーしてもって言うもんだからさー!』よ!」

 電話を切るや小五郎の口調を真似て刺々しく零し、蘭は腕組みした。

「長谷川さんのせいにしちゃって…後でお説教してやるんだから!」

 距離があるにもかかわらず、蘭の放つ揺らめく怒気がひやりと頬を撫でた。

 もしこれがウソじゃなかったら…長谷川さんヤベーなこりゃ……

 キッチンに戻ってくる蘭を恐々と見やり、コナンは愛想笑いを浮かべた。

「わあすごい、さすがコナン君。丁寧ね」

 横に並ぶ頃にはすっかり彼女の気持ちも切り替わっていたが、怒れる蘭の恐ろしさがどれほどのものか骨身に沁みて分かっているコナンは、感心する彼女の言葉を素直に受け取れずにいた。

 もちろん、それがあっさり伝わってしまうようなヘマなどしないが。

「後は炒めるだけね。じゃあ、それまでゆっくりしてよっか」

「うん……!」

 喉に絡む返事を何とか押し出し、コナンは出来るだけいつも通りの顔で頷いた。

 

 

 

 夕食までの小一時間、とうとう待ちに待った瞬間がやってきた。

 いつ使うか今使うかと横目でさりげなくうかがっていたコナンは、この小一時間をそれにあて作業を始めた蘭に、動きを止めて見入った。

 すぐに気付いた蘭は、居間の座卓に画用紙とクレヨンを置いたところで顔を上げてにっこり笑うと、小五郎の寝室を指差した。

「コナン君、推理小説の二度読み、大好きだったよね」

「う、うん……」

 続きを聞かずとも、その一言で理解する。

 やっぱ見るのはナシか……

「出来上がるまで、隅の方で読書してて」

「……はーい」

 コナンはよそに目をやって渋々頷くと、昨日買ったばかりの単行本を取りに向かった。言い付け通り窓際に座り、しきりにちらちら気にしながら形ばかりの読書に挑む。

 もちろん、一ページどころか一行どころか一文字だって頭に入ってきやしない。

 クレヨン片手に楽しげにキラキラと顔を輝かせ、時折ふふと笑みを零す蘭が気になって気になって読書どころではない。

 いつもならば心躍る二度目の読みなおしも、蘭という真実の前には見えなくなってしまうなんて。

 ため息とともに頭をかく。

 

 完成させるまではどこで切り取っても楽しげだった蘭だが、クレヨンをしまい描き上げた絵を見渡した途端、急に眉根を寄せ、端からくしゃりと丸め始めた。

「あ、あ、ちょっ……!」

 出来上がりと声をかけられるのを今か今かと待っていたコナンは、思い掛けない蘭の行動に素っ頓狂な声を上げ慌てて止めに入った。

 投げるように本を置いて傍に駆け寄る。

 見ていいと許可が出ていないので出来るだけ絵の方に視線は向けず、おずおずと蘭の顔を覗き込む。

「えと…失敗、しちゃった……?」

 問いかけるが、蘭は絵を見つめたまま口を噤んでいた。その顔は何とももどかしそうで、困っているとも怒っているとも見て取れた。

「あのね……」

 ややあって蘭は切り出した。

 コナンは静かに頷いて先を促した。

「昨日思い浮かべた時は……、面白いって思ったんだけど、実際描いてみたら…ぜんぜん……」

 わずかに顔をしかめ、蘭は画用紙をコナンの方へ向けた。

 ようやく下りた許可に従い、コナンは視線を向けた。

「……ひどいの」

 弱々しい蘭の声を聞きながら、一枚の画用紙に描かれた場面を見る。

 

 蘭が描いたのは絵本調の一枚絵。

 青く広がる草原、高くそびえる塔。

 塔のてっぺんに閉じ込められた『新一』が、両手を天に掲げて「HELP!HELP!」と助けを求めている。

 それを助け出すは、駿馬にまたがった勇ましい『蘭』とお供の『コナン君』

 剣を振り上げ塔に向かう『蘭』は気迫に満ちて、どんな困難さえも切り抜けられる活力が感じられた。

 

 切り抜かれた一場面を見渡し、コナンは半ば無意識にため息をもらした。

 彼女の心に湧いた風景を、素直に愉快だと受け止める。

 なるほど、彼女にはこう映っているのか。

 高い塔のてっぺんで助けを求める新一には苦笑いがもれるが、中々どうして、悪くない。

 

「でも…新一そんな弱くない。なんか……馬鹿にしてるみたい」

 ゴメンね

 ぽつりと零れた声は少し涙に滲んで聞こえ、コナンは弾かれたように見やった。

「蘭…姉ちゃん……」

 何かを云いかけ口を噤む。

 彼女の言わんとしているものが分かる。

 懸命にただ一心に何かを与えたい、力になりたいと湧き立つ想いが、この絵にこめられているのだ。彼女の真実がこの絵に表されている。それが分かって、コナンは込み上げる気持ちのまま口を開いた。

「でも新一兄ちゃん、あれで結構よわっちいとこあるの、ボク知ってるよ」

 本人が内緒にしている秘密をこっそりバラすいたずらっ子の声で続ける。

「特に蘭姉ちゃんに――」

 甘ったれてる…言いかけてコナンは口を噤んだ。あまりに不自然に言葉が途切れてしまったが、いくら『コナン』とはいえ、それはさすがに恥ずかしくて口に出来ない。

 ほおずきにも負けぬほど赤い顔でよそに目をやるコナンに事情を察した…続く言葉をおぼろげにも掴んだ蘭は、控えめながら楽しげに笑った。

「赤くなっちゃって…ヘンなの、コナン君てば」

「う……」

 ごまかそうにもごまかし切れず、コナンは俯いたままもごもごと口を動かした。何と未熟者かと思い知らされ、ため息をひとつ。

 と、自然向いた視線の先にある蘭の描いた絵を、もう一度じっくり見渡す。

 ここにいていない誰かを命に代えても守ろうと、毎日を力いっぱい生きる蘭が描いた絵。

 自分は彼女のこの心を、命に代えても守りたい。

 自分は本当に、この女がいなければ駄目なんだ。

 彼女のこの心が無ければ、一日だって生きていられない。

 彼女が在るから、ここにコナンが有るんだ。

 そう思うと少しばかり目の奥が熱くなった。

「この絵……」

 衝き動かされるままにコナンは端のしわを伸ばし始めた。

「蘭姉ちゃんの絵……とても素敵だと思う」

 少し折れ曲がった部分は慎重に折り返し、左右の指で丸みを直して、まっすぐに伸ばす。

「ちっとも、ひどくなんかないよ」

 心を込めてコナンは告げた。

 見上げると、少し驚いた蘭の顔。

 不安そうに疑るように見つめている。

 そのまっすぐな視線が気恥ずかしくて、つい逸らしてしまいそうになるのを何とか堪え、コナンは続けた。

「新一兄ちゃん…ひねくれ者だから素直に褒めないかもしれないけど、きっとすごく嬉しがると思う」

 挫けそうになる気持ちを奮い立たせ、もう一声。

「ら、蘭姉ちゃんがこんなに想ってくれてるって知ったら、きっと絶対、泣いて喜ぶよ」

「!…」

 蘭は目を見開いた。歓喜がみるみる身体を満たす。

 なんて沁みる言葉だろう…がどうにも我慢出来なくて、蘭は小さくふきだした。

 頭に思い浮かべたのが悪かった。恥ずかしげもなく号泣しながら自分に感謝する工藤新一なぞを。

 やだ、ふふふ

 「………」

 彼女が笑った理由を遠からず理解し、さすがに変な事を言ったとコナンは再び赤面した。泣くほどにただありがたいのは本当なものだから、恥ずかしくともひたすら耐えるしかない。

「……私の思うようにやればいいって…言ってたもんね」

 少し元気を取り戻した蘭が、言葉の終わりに大切に『新一』を綴って、にこりと笑う。

 まだ残る恥ずかしさをこらえちらちらと彼女をかすめ見ながら、コナンはそうだと頷いた。

「それに、蘭ねえちゃんが思い付いたなら、これ…絶対必要なものなんだと思う」

 駿馬にまたがり勇ましく駆ける『蘭』を指差し、コナンは曖昧ながら確信をもって言った。

「そう…かなあ」

 蘭は半信半疑で、しかしコナンが言う事なら間違いないと納得する。あのカッコつけしいが人に助けを求めるなど想像もつかない。自分が、彼に、何が手助け出来るのかと思い付くものはない。

 けれど、言った。

 大した自分にも、出来る事があると、彼は求めた。

 それに応えたい。

 自分の思うようにやればいいと言ってくれた人の助けになりたい。

「あのさ…蘭姉ちゃん……」

 絵の向こうに想いを馳せる蘭の耳に、コナンの遠慮がちな声が届いた。

「あ…なあに?」

 軽く目を瞬いて見やると、すっかり綺麗に伸ばされた絵を手にコナンがこちらを見つめていた。

「これ、もらっても…いいかな……?」

 恐る恐るコナンは尋ねた。

 これほどの力作を軽々しく欲しいと口にするのは非常に気が引けたが、どうしても手元に置いておきたかった。自分の物として、毎日に眺め、力を得たかった。

 

「……新一に見せないなら、いいよ」

「えー…こんなに綺麗に描けたのに。新一兄ちゃんにも見てもらおうよ!」

 

「ダメダメ! 新一に見せるならあげない!」

「ええー? じゃ、じゃあ見せないから……」

 

「絶対よ? 見せたら罰金だからね!」

「ま、また……ちなみにいくら?」

 

「コナン君小学生だから、一万円」

「……えっ?」

「いちまんえん。……なーんてね!」

 

 ぱっと顔をほころばせ、むくれるコナンに向けて蘭は軽やかに笑った。

「ちぇ…蘭姉ちゃんはすぐこれだ――!」

 ふてくされた声で零した直後、抱きしめられ、何かの間違いかとコナンはポカンと口を開けたまま天井を見やった。状況に頭が全くついていかない。

 これはどうした。

 何事だ。

「ありがとう……、コナン…君」

 少し間を空けて二人に呼びかける蘭に全身がかっと熱くなる。

 泣きそうになった自分をごまかす為と、はちきれんばかりの感謝を表す為、蘭は動く身体に任せてコナンを抱きしめた。

 そうと知る由もないコナンは、突然の抱擁に翻弄され意識が遠退くのを感じていた。

 はたと我に返り、男ならばここは抱き返すべきかと逡巡する間に腕はほどかれ、安堵しつつ未練がましく身体を離す。

 けれど喜ぶ彼女の顔を見ただけで笑みが浮かんできて、しようもなく嬉しくなって、こればっかりは仕方ないと自分に笑う。

「……どういたしまして」

 コナンは応え、あらためて画用紙を手に取った。

 嗚呼、本当に泣きそうだ

 彼女の選んだ色、描き方、三人の顔に浮かぶ生き生きとした表情。どれをとっても、優しく胸に沁みてくる。

 いつか来る真っ黒な闇を遠からず感じ取っているだろうに、彼女はこうして鮮やかに色を並べ、恐れを追い払うのだ。

 弱くも、こんなに強い人。

 コナンは、画用紙からゆっくり蘭へと視線を移した。

 それより少し前からコナンを見つめていた蘭は、優しく向けられる眼差しを恥ずかしそうに嬉しそうに受け取り微笑んだ。

 自然と向き合う姿勢になり、二人、どちらからともなく前へと乗り出す。

 座卓の縁にかけられたコナンの小さな手を視界の端に見ながら、蘭は喉の奥で微かにうめいた。

 何でもいいから、とにかく触れたい。

 耳の底で鼓動がうるさいほどに走るのを聞き、蘭は目を眩ませた。

 込み上げる衝動に突かれるまま、小さな手に自分のそれを…思い切って重ねる。

 瞬間コナンは息を飲んだ。

 目の端に映っても、実際彼女の熱を感じても、まだ信じられなかった。過ぎる動揺に瞳を震わせ、コナンはただまっすぐに蘭を見つめていた。

 何でもいいからとにかく触れたい、心の奥底から湧き上がってくる強い想いに素直に従い、二人は互いの距離を少しずつ縮めていった。

 歓喜にただ涙が滲む。

 と、不意に蘭の眼差しがぎくりと強張った。

 下を向き、すぐに睨み付けるように見つめられ、コナンは戸惑いながら見つめ返した。

「え…ど、どうかしたの?」

 おっかなびっくり尋ねると、もう数秒確かめるように凝視される。何事かと見守る先で、蘭は慌てた様子で首を振った。

「う、ううん。そろそろご飯にしようか、コナン君」

 そそくさと立ち上がり、逃げるようにキッチンへ向かう蘭を見送ってようやく理解し、コナンは小さく笑った。

「や…やっぱり聞こえた?」

 即座に振り返り、蘭は照れ隠しに高い声を上げた。

「いや、聞こえなかったよ」

 腹の虫が鳴ったなど、全く気付かなかった。しかし態度で一目瞭然、実に分かりやすかったと、コナンは肩を震わせた。

「やだ…もう、コナン君晩ご飯抜き!」

 恥ずかしさのあまり混乱しとんでもない事を言い出した蘭に慌てて駆け寄り、コナンはなんとか宥めようと謝り倒した。

 晩ご飯抜きは少々痛いが本気ならば致し方ない、甘んじて受けよう。けれど我慢出来ずに笑ってしまった事は詫びたい。心から。

 しかし蘭は一切耳を貸さず、強引に始めた炒め物で謝る声をかき消そうとした。

「ほらほら、跳ねると危ないから向こう行ってて!」

 まったく、せっかくの雰囲気がぶち壊し…なんて遠慮のない腹だろうと、蘭は天井を仰ぎ見た。

「蘭姉ちゃん…蘭姉ちゃん!」

 追い払っても追い払ってもめげずに呼びかけてくるコナンにとうとう根負けし、蘭はつっけんどんながら顔を向けた。

「もう…なによ!」

「ありがとう」

 目が合うのを待って、コナンは一言を渡した。

「!…」

 強く胸に迫ってくることばに蘭は泣きそうに顔を歪め、思い切り笑った。

「どういたしまして」

 渡して、受け取って、二人同じタイミングで安堵する。

「すぐ出来るから、待っててね」

「うん! すごい良い匂いだね、蘭姉ちゃん!」

「ホントね。コナン君が手伝ってくれたから、今日もすっごく美味しいわよ。一杯食べてね」

「蘭姉ちゃんもね」

「またそうやって太らせようとして…そうはいかないんだから!」

「ごめんなさーい!」

 そしてまた、同じタイミングでにっこり笑う。

 お互いに与え合い、力を分け合う二人…三人は、無事に今日が終わる締めくくりの楽しい夕餉に向けて、それぞれに動き出した。

 

目次