贅沢な男と欲張りな女

 

 

 

 

 

 休日の朝は、いつもより少し遅く朝食をとる。

 仕事の依頼や、外出の予定がある場合は別だが、通常休日の朝は、いつもより少し遅く朝食をとる。

 三人の内で一番早起きの蘭がまず動き出し、ついでコナンが寝ぼけ眼で起き出し、最後に眠たそうな小五郎が起きてきて居間に揃う。

 必ず三番目となる小五郎は、昨日、遅くまで、麻雀仲間と楽しく飲み騒ぎ深夜に帰宅した。

 今日は更に起きるの遅いだろうな

 隣のベッドで死んだように眠りこける小五郎をぼんやり見やって、コナンは大あくびを一つつくと、やけに静かなキッチンに小首を傾げながら寝室を出た。

「あ……」

 思わず声が出る。

 静かなのは当然だった。

 家にいる時は常に一番目のはずの蘭が、まだ、起きてきていないのだ。

 明かりの消えた居間、静まり返ったキッチン。

 物音一つしない、彼女の部屋。

 扉を振り返り、コナンはその向こうをそっとうかがった。

 やはり昨日の今日、熱を出してしまったのだろう。

 しかもあれだけ泣いたのだから、その疲れも相当なものに違いない。

 自然に目が覚めるまで起こさないでおこうと思い、はたと考えが翻る。

 彼女の性質では、寝坊した、大変皆がお腹を空かせていると飛び起きて、多少の無理もお構いなしで動き出すに違いない。

 ちょっとやそっと引き止めたくらいでは聞き入れず、頑固に意地を張ってこじらせてしまうに違いない。

 目に浮かぶようだ。

 ならば、先回りしてまず起こし、朝食は自分たちで作るから起きてこなくていいと…駄目だ。

 平気平気と押し切って、動き出すのが目に見えている。

 ちょっとやそっと言ったくらいでは聞き入れないだろう。

 さてどうすれば。

 ノックに手を上げたままどうしようかと悩んでいると、時間切れとばかりに扉が開いた。

「わ……!」

「うわ…びっくりした……、コナン君おはよう」

 双方同時に驚き一歩退いて、まず蘭が声をかけた。

「あ、お…おはよう蘭姉ちゃん……」

 悩みの余韻抜けきらぬ顔で、コナンは途切れ途切れに挨拶を返した。

「ちょっと寝坊しちゃった」

 はにかむ蘭の顔を見上げ、そこに病が潜んでいないかコナンは注意深くうかがった。

 途端に、蘭はむっと口を引き結んだ。

 直後、あっと思う間もなく眼鏡を奪い取られ、予想外の行動にコナンは軽い混乱を味わった。

「ら、蘭ね……」

「もう…昨日笑わないって言ったのに……」

 ぶつぶつ零しながら眼鏡をかけ、蘭はぶいと洗面所に向かった。

 どうやら、腫れた顔を笑われたと勘違いし、隠す為に眼鏡を奪ったのだと理解したコナンは、洗面所に向かう背中を追いながら大慌てで言い繕った。

「ち、違うよ蘭姉ちゃん……あの、風邪がひどくなってないか心配だったから……わ、笑ってないからね!」

 蘭は歩きながら振り返ると、渋い顔で尋ねた。

「でも腫れてるよね」

「う、うん…ちょっとは」

 痛々しく見上げ、コナンは正直に答えた。

「じゃあ、腫れが引くまで眼鏡借りてていい?」

「え…ええ……?」

 眼鏡をかけた、見慣れない顔の蘭に、コナンは戸惑いの声を上げた。

「ありがとうコナン君!」

 まだ是とも言っていない内に礼を言われては、頷く他ない。

「う…どういたしまして」

 力なくむにゃむにゃと口を動かしため息を一つ落とすと、コナンはあらためて尋ねた。

「それで…蘭姉ちゃん、身体の方はどう?」

「コナン君から見て、どう?」

 平気よ、何ともないよ、そんな言葉が返ってくるだろうと気を引き締めていたので、予想外の返答にコナンはやや面食らった。

「え、え? と……え?」

 はぐらかそうというのか、からかっているのか…彼女の心意をはかろうと眼を眇める。しかし、まっすぐに身体を向けリラックスした状態で立つ姿は、診察を待つ患者のそれと変わらず、他に何の含んだ意味があるようには見えなかった。

「あ……じゃあ、ちょっとしゃがんでくれる?」

 要求に素直に頷き、蘭は膝立ちになった。

 ややおっかなびっくりの態でコナンは首筋に手を伸ばした。

 体温や腫れの具合を一つ一つ確かめていると、堪え切れないといった様子で蘭がくすくす笑い出した。

「蘭姉ちゃん…やっぱりからかってるんでしょ」

 半眼になって見やり、コナンは手を引っ込めた。

「違うのコナン君…違います、ごめんなさい」

 手で口を押さえ笑いを飲み込むと、なるたけ神妙な顔で蘭は言った。

「あんまり真剣に診てくれるから嬉しくなって…つい笑っちゃったの。ごめんねコナン君」

 そこから嬉し泣きに移りそうなのを見て、コナンは大慌てで手も首も振った。

「ちゃんとするから、もう一回診てくれる?」

 お願いと、頼み込む顔にからかう他意など見えはしない。

 気を取り直しコナンは頷いた。

「…わかった。それで、どこかおかしなところはある?」

「えーと…頭と喉がちょっと重たい感じ」

 痛みはないと蘭は続けた。

 軽く頷いて額を寄せ、いつもする方法で熱を測る。

 寸前まではちゃんと、持ち合わせた知識で彼女の体調をはかろうと至極真面目に心を構えていたが、いざ肌を合わせ互いの目が間近になり、その瞳が、彼女の眼差しが、穏やかに笑んで自分を見つめているのを見てしまった途端、嗚呼…やけに素直な彼女の態度と相まって、自分の方が熱を上げる。

 その前にどうにか済ませ離れれば、少し心配そうに見ている蘭の眼差しとぶつかった。途端に襲い来るひどい罪悪感。

 不純な己をどうにか飲み込み、コナンは一歩退いた。気持ちを区切ろうと半ば無意識に眼鏡に手をやるが、指先はただ眉間に触れまた落ち着きをなくす。

 癖と沁みついた仕草に蘭が小さく笑った。

 瞬間全身がかっと熱くなる。

「あ、はは……だ、大丈夫だと思うよ、蘭姉ちゃん」

 しどろもどろに、不安定な『コナン』でどうにか伝える。

「か、風邪は引き始めが肝心だからね。今日一日安静にしてれば、すぐに良くなるよ」

「安静に……かぁ」

 いやいやながらも、蘭は渋々飲み込み頷いた。

 どうして今日はこうも素直なのだろうかと、コナンは首を傾げた。

 直後、ようやく起きてきた小五郎の間延びした声が、リビングから響いてきた。

 遠慮がちに、朝ごはんはまだかと聞いてくる小五郎に伸び上がるようにして応え、蘭は再びコナンに顔を戻した。

「朝ごはん作ったら、後はずっと安静にしてるから…それでいいよね」

「う、うん……」

 彼女がこんなに素直では、少々…言ってはなんだが気味が悪い。

「それと……」

 そんな事を考えていると蘭に両手を握りしめられ、コナンは驚きに目を見開いた。心臓が跳ね上がり頭が真っ白になるが、その一方で、少し熱を帯びて腫れた手は病人のそれだとも混乱した頭で考える。

「き、昨日は本当に…ありがとう……三人で、頑張ろうね」

 甘えて、大泣きした自分に恥ずかしそうにしながらも、精一杯の心を込めて、蘭は告げた。

「……うん。ありがとう、蘭姉ちゃん」

 確かに受け取り、強い笑みでコナンは返した。

 静かな響きに蘭は何か言いたそうに微笑んで、小さく頷いた。

 

 

 

「お待たせ!」

 ハムエッグとトーストを蘭が、サラダをコナンが運びそれぞれ食卓に並べる。

 テレビの音を聞きながら新聞に目を通していた小五郎が、待ってましたと顔を上げた。

 そこではじめて、蘭の眼鏡に気付き小さく驚く。

「お前それ、コナンの眼鏡じゃねえか。どうした?」

「ちょっとイメチェン。どう?」

「へぇー…見慣れねぇせいかちょっとヘンだが…悪かねえな」

 どこか面白そうに笑って、小五郎は言った。

「でしょ?」

 嬉しそうに蘭が頷く。

「で、オメーは見えなくてちょっと不便してる、と」

「う、うん…そうなんだ」

 にやにやとからかう小五郎に乾いた笑いで言い繕い、コナンは答えた。

「けど、あんまり人の眼鏡かけてると本当に目が悪くなるからな、気を付けろよ」

「うん、すぐ返す」

 朝食後、食休みもほどほどに小五郎は調査の続きと出かけて行った。

 調査にかこつけて馬か船か見に行くのかと疑ったが、どうやら本当に依頼が来ているようで、驚きつつも二人は行ってらっしゃいと見送った。

 鍵を閉めキッチンに向かった蘭は、コナンの運ぶ食器を手際よく洗いながら、小窓の外を伺った。

 開け放った窓からは、夏によく似合う白い雲が青空に浮かんでいるのが見えた。吹き込んでくる風は爽やかで実に気持ちいい。

 陽射しも燦々と降り注ぎ、眺めているとどこかに出かけたくなる。

「蘭姉ちゃん……ダメだよ」

「……分かってますー」

 背中から読み取ったのだろう、的確に念を押す背後の少年に少しむくれた声で応え、蘭はわざと大袈裟にため息をついてみせた。

「ねーコナン君、お昼は私、いつも行くパン屋さんのサンドイッチが食べたいな」

 あと亀さんのパンも

 言い足して振り返り、更にリクエストする。

「それと、コナン君が入れてくれるカフェオレが飲みたい」

「いいよ、じゃあ蘭姉ちゃんのお昼は、それだね。後で買ってくるよ」

 拗ねて、少し困った事になるかと心配していたコナンは、ほっと笑いながらこくりと頷いた。

「ところで蘭姉ちゃん……」

「なあに?」

「そろそろ眼鏡…返してくれないかな」

 朝、彼女に取られてからそれっきりになっていた。眼鏡がないのはどうにも不安定で、落ち着かないのだ。コナンとしては。

「えー、だって……」

 洗い物を終え、冷蔵庫にかけたタオルで手を拭いながら蘭はそっぽを向いたまま振り返った。

「……まだ腫れてるんだもん」

 呟きながら、渋々眼鏡を返す蘭にあっと思い付き、コナンは口を開いた。

「いい方法があるから、蘭姉ちゃんは部屋に行って休んでて」

 いつもの眼鏡姿で軽やかに洗面所へと駆けていくコナンに頷き、蘭は部屋に戻った。

 

 

 

「わあ……」

 思わず深いため息がもれた。

 電子レンジであたためた濡れタオル…コナンが用意したそれでじっくり顔を覆い、蘭は大きく息を吐き出した。内側に凝っていた疲れ諸々の悪いものが一気に抜けていくようだった。

「効いてる?」

 ベッドに座り、タオルを顔に当てたまま物も言わない蘭に小さく笑い、コナンは尋ねた。

「すっごい気持ちいい……」

「タオルが冷めたら、そのまましばらく顔に乗せてるといいよ。それで大分腫れも引くと思うから」

「ありがとコナン君……」

 少しとろけた声で蘭はもう一度深呼吸した。やや置いて、タオルを押さえたままばったり仰向けになる。

「じゃあボク、居間にいるから、蘭姉ちゃんはゆっくり休んで」

 小さく苦笑いしながら毛布をかけてやり、コナンは向きを変えた。

「……あ、待って」

 慌てて蘭は手を伸ばした。闇雲に空を掴む手が、上手くコナンの服をとらえる。

 引き止められたコナンが驚いて振り返ると、タオルをのけてこちらを見やる蘭の目とぶつかった。

「ど、どうしたの?」

「……つまんない」

 横たわりむすっとした顔で零す蘭に、少し…大いに困った顔を向ける。無理やり隠して押し込めて笑うのではなく、思う事を思うままに差し出して甘えてくれるのはとてもとても嬉しいが、こればかりは我慢してもらうしかない…なんてつらいこと。

 彼女はお喋りが好きで、人と会うのが好きで、初めて会う誰とでも気さくに言葉を交わし心を交わし、笑い、泣き、怒り、悲しみ、また笑う。

 いつでも賑やかに楽しく過ごしている彼女。

 だから、何も音のない時間は嫌なのだろう。

 退屈で寂しくなるのだろう。

 こんな天気の良い日にただ横になっているのは、つまらないのだろう。

「う、ん……でも今日一日の辛抱だから、ね? 体調もそう悪くないし、すぐに治るから……」

 何か、何か、彼女の心を和ませるものはないか。

 彼女の対極に在る自分の中身をひっくり返し手当たり次第探しに探して、しかし見つからず、コナンは苦し紛れに言った。

「えと、じゃあ……じゃあ後でお話してあげる」

「え……ホームズの話とか?」

 少し唇を尖らせ、蘭は上目づかいに見やった。

「じゃなくて……お話だよ。昔読んだ絵本の、お話」

 それを聞いて、不機嫌そうだった蘭の瞳が驚きに染まる。

 一方のコナンは、自分で言い出した事ながら内心恥ずかしさに激しく悶えていた。

 彼女を宥めるのに、咄嗟に出たものが『お話してあげる』とは、我ながらなんて……

 しかしそんな泣き笑いも、続く蘭の言葉に打ち消される。

「嬉しい、聞かせて! コナン君の声優しいから聞きたい!」

「あ……」

 時折繰り出される彼女のこんな何でもない一言に、息も出来なくなる。

 こんな何でもない、度肝を抜く一言。

「どんなお話だろ」

 無邪気に目を輝かせていた蘭だが、ふとした瞬間に息を詰まらせ、ほんのわずか顔をゆがませた。

 女のまつ毛に見る見る涙が盛り上がる。

「どうしたの? どこか痛む? 苦しいの?」

 蘭はさっとタオルで顔を隠すと、小さく首を振った。

「何でもない」

 かすれた声で呟き、背中を向ける。少し遠い悲痛な響きは、コナンを寂しくさせた。

「じゃあどうして……」

 言いかけてコナンは口を噤み、あらためて口を開いた。

「蘭姉ちゃん……、一人に、しないで」

 昨日の夜、ここで蘭に渡された言葉を、彼女と同じ意味で手向ける。

「……ごめんなさい」

 震える声を絞り出し、蘭は背を向けたまま起き上がった。そしてゆっくりと向き直る。

 その動き一つひとつを、コナンははらはらしながら見守った。

 痛いほど真剣なその眼差しに申し訳なさそうに俯き、蘭は何度もためらいながら口を開いた。

「……昨日ね、コナン…君に甘えたら…、今日も甘えたくなって…そしたらなんかどんどん甘えてくばかりになっていって…自分が…情けなくなっちゃったの。ごめんなさい」

 涙に潤んだ声で、蘭は素直に打ち明けた。

 だから今日は一つひとつ素直だったのかとようやく理解する。

 少し考え、コナンは言った。

「情けないなんて、そんな事ないのに。蘭姉ちゃんはさ、もう少し欲張りになっても、もっと甘えてもいいくらいだよ」

 いつも頑張ってるんだから

 少年の明るい声が部屋に満ちる。

 タオルで繰り返し目じりを拭いながら、蘭は黙って聞いていた。

「ボクね、蘭姉ちゃんのそういうところ、大好きだよ」

 声を幾分低くひそめて、コナンは二人…三人に告げる。

「……多分新一兄ちゃんもね、好きだって言うと思う」

 新一の名に蘭はほんのわずか瞳を揺らした。

 俯いたまま、ぽつりと呟く。

「……分かるの?」

「分かるよ」

 この時ばかりはうやむやにせず、コナンは強く頷いた。

「きっとね、だから守りたいって、ずっと傍にいたいって……きっと思ってるよ」

「でも……欲張りすぎて…分からなくなりそう。怖いよ」

 不安がる眼差しにふと笑いかけ、コナンは軽く首を振った。

「大丈夫。今すぐ分からなくても……、新一兄ちゃんとさ、見つけていけばいいよ。一緒なら絶対、見つけられるよ」

 励まし、一心に見つめてくるコナンに強い視線を返し、蘭は考え考え頷いた。

「どうして……」

 そしてぽつりと零す。

 余りのはかなさにコナンは慌てて顔を覗き込んだ。

「どうしてコナン君が大丈夫っていうと…安心出来るんだろ」

 すごいねと、蘭はほのかに笑んだ。

 思い掛けない一言に目を瞬かす。

「……ほんとう?」

 どうか安心してほしいと願いを込めて口にしている一言が、そのまま彼女に伝わっている事がにわかには信じ難かった。

 もちろん、この上もない喜び。

「うん。泣きたくなるくらい」

「……良かった――ほんとうに」

 安堵の吐息に混ぜてコナンは笑んだ。

 沁みるものを噛みしめて目を閉じれば、ただただ胸が熱くなった。

「でも…もう泣かないで、ね…蘭姉ちゃん」

「なんでよ……」

 もうすっかり引っ込んだ涙の跡をタオルで拭い、蘭は静かに聞き返した。

「だ、だって蘭姉ちゃんに泣かれると……困るんだ。すごく」

 照れ隠しの少しぶっきらぼうな物言いは、いつかの夜に新一が口にしたそれと同じ。

 再び手渡された一言に、思わず蘭はふと笑みを零した。

「じゃあ、どうして昨日は甘えさせてくれたのよ」

「……蘭姉ちゃんだから」

「んん?」

 答えとしてはてんでなってない答えに蘭は首をひねる。けれど、それでいいような気がして、追求はやめにした。

「もう、わかったわよ……」

 沁みるものを噛みしめてゆったり微笑む。

 幸いに満ちた笑い顔がコナンの目を惹き付ける。

 ただ見つめ、ただ静かに流れる時間は途方もなく優しかった。

「あ…じゃあボク、お昼の買い物行ってくるよ」

「ありがとう。お願いしていい?」

 すっかり冷えたタオルで目を癒しながら、蘭は遠慮がちに口を開いた。

「うん。どんどん言って」

 ――じゃあ…いつものパン屋さんのミックスサンドが食べたい

「うん、買ってくる」

 ――あと…亀さんのパンも

「忘れないよ」

 ――それから…コナン君の作る砂糖とミルクたっぷりのカフェオレが飲みたい

「帰ってきたら、すぐ作るね。……他にはない?」

 ――あと、あの…本屋さんとかに寄り道しないで…早く…帰ってきてね

「!…うん、大急ぎで行ってくる」

 一つ言うごとに恥ずかしそうに嬉しそうに頬を染めていく彼女がしようもなく愛しくて、ずっと見ていたくて、大急ぎで行くなんて言いながらも中々動き出せない自分にコナンは渋く笑った。

 そして、なんと贅沢な場所にいるのだろうとあらためて驚く。

「それで…帰ってきたら、お話…聞かせてね」

 コナン…君

 顔を隠していたタオルを思い切って退け、蘭はまっすぐに見つめた。

「うん、とっておきのお話、聞かせてあげる」

 数秒視線を絡めて、コナンは向きを変えた。

「じゃあ後でね」

「あ…待って!」

 蘭の呼びとめる声にすぐさま足を止め、コナンは肩越しに振り返った。

「どうかした?」

「うん、あの…す、すぐには上手く出来ないかもしれないけど……頑張るから……」

 その先があるかと耳を澄ませるが、彼女はそれきり言葉を飲み込んでしまった。心配ない、何を言いたかったかは分かっている。

 何を言ってほしいかも。

 彼女はこんなにも謙虚で、こんなにも、欲張りだ。

「うん、大丈夫だよ、蘭姉ちゃん」

 贅沢な男は笑いかけ、ずっと傍にいると誓って頷いた。

 

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