雨あがりの週末、夕刻 |
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降ったりやんだりの小雨は、夕刻に差し掛かる頃ようやく上がり、同時に少し赤みを帯びた太陽が雲の合間から覗き始めた。 映画を見終えて満足しながら帰る二人…コナンと蘭は、綿をちぎって浮かべたような雲が何とも言えぬ光る朱に染まった様を見上げ、嬉しそうに声を交わした。 「綺麗だね、コナン君!」 「ホントだ、なんだか美味しそうな色だね」 規則正しく空腹を訴える腹の声に素直に耳を傾けた結果を素直に口から零したコナンは、言った端から恥ずかしくなり、聞いた蘭がくすくす笑うのもあいまって、ほんの少々顔を赤くした。 「うん、美味しそう! なに味かな…帰ったらすぐ夕飯にしようね。今日は何が食べたい?」 調子を合せてくれた蘭に心中感謝し、コナンはさて何にしようかと小首を傾げた。 もう目の前には米花商店街の入り口、そして夕飯時、あちこちの店からそれはそれは空腹をくすぐる美味そうな匂いが立ち上り、こっちだこっちだと手招きして大いに惑わせた。 「……あ、鶏のから揚げ食べたい!」 好物のメニューを一つひとつ思い浮かべていて不意に喉元から込み上げてきた欲求を、ほぼそのままの勢いでコナンは発した。今日はそれでどうだろうかと蘭を見上げる。 「あ、いいわね鳥から。じゃあいつものお肉屋さんで…そうだ、お父さんのお酒のつまみにあそこのピリ辛手羽先も買ってこう!」 「うん!」 今日はそれで決まりと、二人、顔を見合わせて笑う。 |
混み合う商店街の通り、はぐれないようにとしっかり手を繋ぎ歩いていた二人は、精肉店の数軒手前にある書店を通り過ぎてすぐに、背後から声をかけられた。 「あ、高木刑事!」 振り返ったそこには、薄手のジャケットと書店の袋を小脇に抱えた高木の姿があった。 「やあ、コナン君、蘭さん。奇遇ですね」 気さくで、人当たりのいい笑顔が零れる。 「高木刑事、先日は本当にどうもありがとうございました。お礼が遅くなって済みません……」 「いやいや、気にしないで下さい。毛利さんにはいつも世話になってるし、コナン君にはいつも助けられてるし。この前は蘭さんに犯人逮捕の協力してもらいましたし。たまにはお返ししないと。コナン君、すっかり良くなったみたいだね」 コナンに合わせ少し屈んで、高木は嬉しそうに言った。 「うん、高木刑事がすぐ病院に連れて行ってくれたお陰だよ」 あの日、車中何度も励ましながら病院に急行してくれた親友…高木に感謝しながら、コナンは笑顔で返した。 「完治するのは、もうちょっと先だけどね」 付け足してコナンは、右腕がまだまっすぐ上げられない事と、力が七割ほどしか入らないのを示す為、少し背伸びして高木の頬に右手を伸ばし軽くつまんだ。 「あたた、コナン君」 困った顔で高木が笑う。 「こら、コナン君!」 「あ、いや、全然痛くなかったですから」 慌てる蘭を大丈夫と引き止め、高木はいたわるようにコナンの右手を見やった。 「そっか、まだ上手く力が入らないんだね」 「すみません、いたずらばっかりで……」 もうとたしなめる蘭に謝り、高木に謝り、コナンはえへへとごまかし笑いを試みた。 「ごめんなさい」 自分でも少し不思議ではあった。人懐こそうな笑顔か、隠し立てのない喜怒哀楽か、彼には気楽に手が伸ばせた。もちろんわきまえる分はあるが、江戸川コナンとして過剰に作る必要を感じない。気が起きないのだ。 「でも、それだけ元気なら蘭さんも安心ですね」 「はい、まあなんとか…高木刑事、今日はお休みなんですか?」 「ええ。実はさっきまで寝てまして……腹が減ったんでちょっと買い物に。少し前に千葉に、この商店街にある精肉店のピリ辛手羽先が絶品だって教えられたんで、買いに来たんです」 千葉刑事から教えられたという精肉店の店名を聞き、蘭とコナンは顔を見合わせた。 「あ、じゃあすぐそこですよ、ほらあそこ」 弾む声で、蘭は数軒先に右手を伸べた。 「さすが千葉刑事、美味しいお店は逃さないね」 らしいなと、コナンは小さく笑った。 「私たちもちょうど、行くところだったんです。そこのピリ辛手羽先、父も大好物で、ビールによく合うって言ってました」 「そりゃ楽しみだ」 蘭の先導で歩き出してすぐに、高木はやや声をひそめ屈んでコナンに尋ねた。 「ところでコナン君、この前の夜は、やっぱり…蘭さんに怒られちゃったかい?」 病院からの帰りの車中、助手席ですっかりしょげかえっていた姿を思い出す。怪我の痛みがつらいだろうに、彼は最後まで泣きごとを口にせず、連絡した時に蘭が何を言っていたかそれだけを気にしていた。自分の事よりも彼女の事ばかりを、心配していた。だから、なるべく叱られなければいいと願っていたが、そうもいかなかったようだ。 「うん、まあちょっと…すごく。蘭姉ちゃん、いつもはすっごく優しいけど、怒るとすっごく怖いからね」 「コナン君」 呼びかけにはっと顔を上げると、満面の笑みが、そこにあった。非常に不自然な満面の笑みが。 「どうして怒られたか、分かってるわよね」 「う、うん、もちろんだよ……」 繋いだ手からびりびりと怒気が沁み込んでくるようで、コナンは、破れかぶれの破顔をしてみせた。 「まあまあ、蘭さん、それはそうですが……」 怒気の余波を肌に感じ取った高木は、親友を救うべくよろりと割って入った。 「でも高木刑事、知ってますよね、コナン君、ちょっと目を離すとふらふらっといなくなって、散々探して見つけたと思ったらすぐまたいなくなって……!」 あげく大怪我して帰ってきて 次第に強まっていく声音にコナンは苦笑いの様でまあまあと両手を上げた。 「これで心配するなって方がどうかしてます……高木刑事も、無茶して佐藤刑事に心配かけちゃダメですよ!」 「え、え…はい気を付けます……」 思いがけない余波にしどろもどろの様で、高木はまあまあと両手を上げた。 コナンと高木、ちらりと横目で互いを見やり苦笑いを一つ。 「ら、蘭姉ちゃん、ボクお腹空いちゃったよ、早く帰ろう……」 怪しくなった風向きを何とか逸らそうとコナンは声をかけるが、蘭に通用するはずもない。お得意のごまかしねとばかりにじろりと睨みつけられ、慌てて口を噤む。 一秒の沈黙の後、蘭はこほんと咳払いをして当初の目的に戻った。 彼女のやや後ろで男二人、気付かれぬようほっと肩を落とす。 |
商店街でも評判の手羽先を、蘭は四人前、高木は二人前、それぞれ求めた。 そして店先でではまたと別れようとした時、コナンが声をかけた。 「高木刑事、これ、もらってくれる?」 「なんだい、コナン君」 コナンの左手にある小さな白い紙袋に小首を傾げ、すぐに中身を察した高木は、少し困った顔になった。 「ここのお店のコロッケも、とっても美味しいんだ。歩きながらかじると、最高だよ」 揚げたてのコロッケが一つ入った白い紙袋を差し出し、コナンは続けた。 「この前のお詫び。せっかくの休みを台無しにしちゃったし…車とかも汚れたよね、血まみれだったしびしょ濡れだったし…これくらいしか出来ないけど、よかったらもらってくれる?」 「うーん……いいのかい?」 高木は軽く蘭に目配せした。 視線を受けて、蘭は一旦コナンを見やり高木に目を戻した。 その眼差しが彼に任せると語っているのを読み取り、高木は手を差し出した。 「じゃあ、遠慮なくもらうよ。ありがとう、コナン君」 「よかった」 少し心配げだった視線を緩め、コナンは蘭を見上げた。 蘭もまたコナンに微笑みかける。 言葉以外で交わされた会話その絶妙なタイミングは、家族のようで、あるいは恋人同士のようで、またそれ以外にも見えて、高木は不思議な気持ちに包まれるのを感じていた。 「それじゃあコナン君、またね。蘭さん、毛利さんによろしく言っといてください」 軽く手を上げて去っていく高木が雑踏にまぎれていくのを見送って、コナンは右手に持っていた小さな白い紙袋を一つ蘭に差し出した。 「はいこれ、蘭姉ちゃんの分」 「あら…ご機嫌取り?」 いたずらっ子のように横目で見つめる蘭に慌てて首を振る。 「ち、違うよ……」 「ウソよウソ。ありがとうコナン君」 ほかほかとあたたかいコロッケを受け取り、蘭は柔らかに顔をほころばせた。 それを見てこっそりちぇっと零す。何を言われても、この顔一つで許せてしまえる自分に涙が出るよ。 「うわあ、綺麗な色だよ、コナン君」 すっかり雲が去り、褪せた青と輝く茜に染まった空を見上げ、蘭は歓声を上げた。 「ホントだね蘭姉ちゃん」 見上げる振りをして隣の女に見惚れる。コナンの角度に感謝して。涙が出ようが何だろうが、この女でなければ駄目なほど心底惚れてるのだから仕方ない。 歩き出した蘭に手をひかれ、こっそり見上げながらついていく。 「そうだコナン君、もし今度何かあってまた高木刑事に送ってもらうような事になったら……」 「な、なったら……?」 ごくりと喉を鳴らし続きに耳を澄ます。 「新技の練習台になってもらうからね」 「……え?」 「なーんて、冗談よ冗談」 歩きながらかじるコロッケの美味さに頬を緩ませ、蘭は、嘘か本気か笑顔に溶かした。 空の沈みかけた夕陽と地上の燦々たる陽を同時に目に移し、コナンは自分のコロッケにかじりついた。
多分…本気だ。
もし今度ことが起きたら、ほとぼりが冷めるまで高木刑事の家にかくまってもらおうか…しかしそれでは彼ら二人の邪魔をする事になる…そもそも現実的でないしほとぼりが冷めるなんてあるわけない。 ことが起きなければ万事よしだが、ひしひしと予感がする。 ……嗚呼、明日は晴れだ。 |
-付け足し- 蘭姉ちゃんの胴廻し回転蹴りが披露された後ですが…時系列なんてぶっ飛ばせ!で一つお願いします。 |
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