小雨のぱらつく週末、午後

 

 

 

 

 

 小雨のぱらつく週末、昼時。

 蘭は駅前のデパート一階にあるコーヒーショップにいた。

 注文カウンターに並ぶ列に加わり、メニューを眺めつつ順番を待つ。

 本当なら園子と二人、恐らくは別の店でランチを楽しんでいただろう。その後は今日の一番の目的である封切されたばかりの映画を鑑賞し、少し買い物などをして、帰宅。

 しかし今朝になって急に向こうに用事が出来てしまった為、映画は来週のお楽しみになってしまった。

 何度も真剣に、声をからす勢いで謝る園子に気にしないでと返したが、電話を切ってみると、家に一人、予定がない自分にぽかんとなる。

 小五郎は今日は競馬かパチンコか…はたまたお宝DVDの整理か。何のかんのと一日忙しい。

 コナンは朝食の後、ちょっと行ってきますと博士の家に向かった。

 雨は降ったりやんだりのはっきりしない空模様、一人で出かけるのも面倒と一度は思ったのだが、ほんのなんとなくに任せて考えたところ、以前見た映画をもう一度見に行こうかという気が起こった。

 封切されて大分経つ作品、休日とはいえ座れないという事はないだろう。

 一旦これで行こうと固めると鈍かった動きも目覚めるもので、蘭は手早く準備を整えると家を出た。

 午後の回まで時間があるが、どこかで適当に昼を済ませようと通りを進みながら考えていると、ふと、駅向こうのコーヒーショップが思い浮かんだ。

 ひと月ほど前に出来たその店の、ボリュームのあるサンドイッチとオレンジジュースにしよう…一旦そうと決めると心は逸るもので、蘭は小雨も気にせず足取り軽やかに駅を目指した。

 

 

 

 小雨のぱらつく週末、昼前。

 コナンは阿笠邸にいた。

 先日の事件で半壊した眼鏡の修理が済んだと博士からの連絡で、受け取りに来たのだ。

 代わりに使っていた予備を渡し、眼鏡を受け取る。

「怪我の具合はどうじゃ、新一」

「ああ、七割ってとこかな」

 今動かせるのはこのくらいだと、右肩を押さえ軽く動かして見せる。

「無理は禁物じゃぞ。しかし、あの時はさすがにもうダメかと思ったわい。まったく、毎度毎度ひやひやさせおって」

 けろりとした顔のコナンに渋い笑みを向け、博士は肩を竦めた。

 今でも思い出すと震えが走る。刃渡り何センチのナイフが何センチ刺さったのか…恐ろしさの余り正視は出来ず確認すらする気になれなかった。

「次はこんなヘマしねーよ」

「次なんぞなくて結構じゃわい。これ以上蘭君に心配させてどうする」

「……わーってるよ」

 ひやりと触れてくる話題を打ち切ろうと、コナンは出されたコーヒーに口をつけた。寸前、無意識に笑みが零れる。果たして何を想ってか。

 博士はちらと時計を見やると、口を開いた。

「ところで新一、朝は、食べてきたんじゃろ?」

「ああ。パンを軽くな」

「そうか……実はな、自動ハムエッグ作り機を改良したんでの、出来具合を確かめてほしかったんじゃが……少しくらい、入る余裕はないかのう?」

「え……あれまだこだわってたのかよ」

 コナンは呆れ顔で零し大いに唇をひん曲げた。

「今度は完璧じゃぞ!」

 一方の博士は得意満面だ。

「いや、オレ、遠慮しとく……よ」

 出来るだけ申し訳なさそうに面持ちを整え、コナンは丁重に断った。

「そうか、残念じゃのう」

 よほど自信があったのか、博士はがっくりと肩を落とし力なく笑った。

「それじゃあ代わりに、買い物に付き合ってもらおうかの」

「ああ、今日は特に予定はねーし。何買うんだ?」

「今夜の夕飯の食料と、次の発明に向けての材料をいくつかじゃ」

 コナンは軽く頷きコーヒーの残りを飲み干すと、ごちそうさまの言葉を添えてカップを持ち上げ、流しで手早くすすいだ。

「置いといても、かまわんのに」

「ああ、いつもやってるし」

「蘭君の手伝いとかかね」

「そ。つってもこんなだから少ししか手伝えねーけど、ちょっとはアイツの時間増えるかと思ってさ」

「素晴らしい心がけじゃ。蘭君も、将来は安心じゃのう」

 コナンの言葉に満面の笑みで何度も頷き、博士は感慨深げに言った。

「ちょ!……そういうのやめようぜ博士」

 顔どころか耳たぶまで赤くして、コナンはぼそぼそと抗議の声を上げた。

 博士はいひひと笑うと、むくれた顔の友人に出発を促し車に乗り込んだ。

「ったく……」

 コナンは零すが、仕方ない、この友人とは付き合いが長く、小さい頃から…今も小さいがとにかく、自分が誰を見て、何を考え、どう行動してきたか全て知っている。ほぼ全て、お見通しなのだ。何にどう抵抗しようと無駄もいいとこ、結局は白旗を振るしかない。

 ……ワイパーにでも当たるか

 走り出した車の中、ふうとため息をひとつ。

 

 小雨のぱらつく週末、昼間近。

 博士の買い物に付き合い、二時間ほどが過ぎた。

 出発前メモに書き出したものは全て揃い、後は帰るだけとなった車内、環状線の線路に沿って米花駅へ向かう道すがら、コナンはほどよい空腹を感じていた。

 つけていたラジオからは今日の午前の主なニュースが読み上げられ、次いで気象情報が流れた。

 何とはなしに聞いていたコナンは、ふと思い付き目を上げた。

「そうだ博士、駅前で降ろしてくれ。ちょっと本屋に寄りたいんだ」

「かまわんが、新一は昼はどうするんじゃ?」

「あー…なんか適当に買って帰るよ。博士は早く帰って、灰原に美味いもんでも食わせてやりなよ」

 ここ数日寒暖の差が激しかったせいか根を詰め睡眠不足からくるものか、哀は体調を崩し金曜日から姿を見せていない。今日は大分回復したが、大事を取って休んでいると聞いたコナンは、早めの帰宅を促した。

「じゃあな、博士」

 駅前で下りたコナンは傘をさすと、走り去る黄色いビートルに軽く手を上げ見送った。そこからまさに目と鼻の先、駅に隣接するデパートに入ろうとしてはたと足を止める。ここに入っている書店は大きいが少し癖があり、置いている本に偏りがあるのを気に入らないでいたのを、思い出したからだ。

 しかし、自分が今欲しいと思っているものくらいは置いているだろう、各種雑誌や漫画本小説本の類もそれなりに揃っていたし、だが…ぐずぐずと少し迷い、ふと浮かんだ駅向こうのデパートに入っている書店に切り替える。

 まずは向こうから探そうと順序を決め、コナンは歩き出した。

 

 

 

 小雨のぱらつく週末、昼時。

 蘭は駅前のデパート一階にあるコーヒーショップで、そう長くはない列、順番待ちをしていた。

 注文するものはもう心に決めてある。ここのサンドイッチはパンのかたさが好みにあい、じっくり噛みしめるほどに美味しさが広がる。オレンジジュースもまた頬に沁みる瑞々しさで、一口ごとに身体の中がすっきり綺麗になっていくように思え、気に入っていた。

 今度、コナン君を誘って二人…三人で来よう

 たまにはおごってもらうのも悪くないかなと取りとめなく考えながら、蘭は、つい緩んでしまう頬を咳払いでごまかし順番を待った。

 

 小雨のぱらつく週末、昼時。

 コナンは目指していた駅向こうのデパートにたどり着いた。

 新装開店したばかり、更に今日は休日という事もあり、内も外も一層の人で込み合っていた。

 店内へ入る人、出てくる人、横切る人…ひっきりなしに人が行き交い、しかし不思議とぶつかる事無く、沢山の左右が交わっていた。

 コナンも上手く人の波をすり抜け進み、入口左にあるエスカレーターへと向かった。

 一階にはアクセサリー売り場の他にコーヒーショップがあり、エスカレーターの横、仕切るガラス越しに店内の様子がうかがえた。

 エスカレーターへ向かう人の列に加わり自然と向く目線のまま店内を見やったその時、ガラスで仕切られた向こう、コーヒーショップの店内にいる人物…蘭と目が合う。ガラスの隔たりがなければ、ほんの数歩でたどり着ける距離だ。

 今まさにエスカレーターにかけようとしていた足を慌てて戻しコナンは脇に退くと、驚いた顔のまま身振り手振りで話しかけた。

「どうしたの? 蘭姉ちゃん、一人?」

 

 驚いのは蘭も同じだった。階段にかけた足を戻し脇に退き、トレイ片手に身振り手振りで応える。

「うん、一人よ。今日の約束なくなっちゃって。園子、用事が出来たから」

「コナン君は一人?」

『うん、ボクも一人。三階の本屋さんへ行こうとしていたところ』

「よかったら一緒にお昼食べない? おいでよ。入口はぐるっとまわったあっちだよ」

 指先で半円を描き、蘭は笑顔でおいでおいでと手招きした。

 

 一緒に昼を食べようと誘う蘭に大きく頷き、コナンはすぐさま駈け出した。もしそこに鏡があったなら、間違いなく自分に赤面してしまうほどの笑顔が映っていた事だろう。

 デパートとは別になっているコーヒーショップの入り口に駆け込むと、階段の脇で待っている蘭が目に入った。他の誰をもすり抜けて、一直線に。

 こんな偶然もあるなんてと、しょうもなく頬が緩んで元に戻らない。

「二階で待ってるね」

 上をさす身振りにうんうんと応える。

 一段ずつ見えなくなっていく蘭を見送りながら、コナンは、偶然にも交わったお互いに覚悟を決め、書店へ行く予定を取り消した。

 ――明日は久々の晴天、爽やかな一日となるでしょう

 先刻ラジオで聞いた天気予報が頭の中で静かに流れた。

 

 ランチメニューのセットから一つ選び、そこに焼き菓子を一種加えて、コナンは二階へと急いだ。

 ゆるくL字を描く階段を登り切る前から彼女は姿を見つけていたようで、喜色満面で手を振る蘭に少しむず痒い少し照れくさい顔になって、コナンは窓際の席へと向かった。

「お待たせ」

「ううん。ね、すごい偶然もあるんだね。ここでコナン君と会うなんて!」

 嬉しくてたまらないと弾む声が、はしゃいで輝く瞳が、胸に強く迫ってくる。自分も同じ気持ちだとコナンは大きく頷いた。

「ボクも驚いちゃったよ。だからこれ、蘭姉ちゃんにあげる…好きだといいけど」

 そう言ってコナンはセットメニューに買い足した焼き菓子、マドレーヌ…彼女の好みに合うだろうかと悩みながら買ったそれをトレイの上に置いた。

「え、くれるの? うん、大好きよありがとう! でもどうして? いいの?」

「よかった。あのね、後で、蘭姉ちゃんに教えてもらいたい事があるから」

「それでわざわざ? そんなにしなくてもいいのに。でも嬉しい、ありがとうコナン君。それで、教えてもらいたい事ってなに?」

「と、とりあえず先に食べちゃおうよ。冷めない内に」

 今聞きたがる彼女をランチへ逸らして、コナンは半ば強引にいただきますと声を上げた。

 言うつもり、説明する気はあるが今一歩が踏み出せない。先延ばしにしようが彼女へ告げるのは変わらないのだが、どうしても照れくささが付き纏う。

 落ち着けよ……

 言うつもり、説明する気はある。

 ちゃんとある。

 しかし未だに、彼女を前にするとカッコつけしいの自分が割り込み一大決心の邪魔をする。

 出せるものは全部出して彼女と共有しようと心を決めたはずなのに。

 大丈夫、腹も膨れれば肝もそれなりに座るはず。

 しっかり、全部、言えるはず。

 この偶然は偶然ではないと。

 

 博士の買い物に付き合う気が起きなかったら。

 車内でラジオを聞いていなかったら。

 デパートの入り口でぐずぐずと足踏みほどの迷いがなかったら。

 この奇跡のような点の交わりには遭遇出来なかった。

 単なる偶然…恐らく違う。

 これは恐らく、与えられた場なのだ。

 この『偶然』は。

 

「でも本当に、びっくりだね」

 とろりと溶けたチーズとロースハムのホットサンドを二口ほど飲み込んでから、蘭は話を始めた。

「さっきも言ったけど、今朝急に園子から電話があって、どうしても外せない用が出来たから映画来週にしてほしいって……コナン君が出かけて、少し経ってからかな」

 このコーヒーショップへくるきっかけ、経緯を説明する。

「雨は降ったりやんだりだから一人で出かけるのも億劫だし…って、適当に部屋の掃除しながらぼんやり考えてたらね、前に一回見た映画がまた見たくなったの。何となく…急に。そしたら出かける気になって、とりあえず家を出たのよ。でも午後の回までちょっと時間あるから、じゃあどこかでお昼食べようかってなって、どこにしようかなって考えてたらここが浮かんだの。これも何となく」

 合間合間に静かに頷いて、コナンは先を促した。

「だから、もし映画行こうって気にならなかったり、お昼ここで食べようって思い浮かばなかったら、こうしてコナン君とここで会えてなかったわけでしょ、本当にすごい偶然だよね」

 聞きながらコナンは、ガラス一枚隔てて出会った点を思い返す。

 

 コーヒーショップの階段に向かう為身体がガラスの仕切りを向く。

 エスカレーターに乗り込む為身体がガラスの仕切りを向く。

 視線がその向こうを見るのは、ほんの一瞬だろう。ほんの一瞬、視線がそこを通り過ぎる。まったくの点。

 どちらかが早ければ、あるいは遅ければ、交わる事はなかった。

 

「それで、コナン君。さっき言ってた教えてもらいたい事ってなに?」

 オレンジジュースを半分ほど飲み干し一息つくと、蘭は真向かいに座る少年にじっと視線を注いだ。

「ああ、うん、あの…蘭姉ちゃん、マフラーの洗い方、教えてくれる?」

 前にもらったあの手編みのマフラー、洗おうと思って

「……うん、いいわよ」

 彼が教えてほしいというくらいだから、もっと小難しい入り組んだものかと想像していた。そのせいでほんの少し返事が喉に絡まる。

 すぐに気を取り直し、蘭は続けた。

「でもコナン君でも知らない事あるのね」

 それはテレビじゃやってなかったんだ

 無邪気な皮肉を込めふと笑う。

 コナンはえへへと流してごまかし、下を向きたがる視線を奮い立たせて彼女に向け、口を開いた。

「本当は今日、さっき、本屋さんで調べるつもりだったんだけど…蘭姉ちゃんに偶然会ったから」

 一旦区切って息を整え、続きを口にする。

「でも多分、それは偶然じゃないんだ。ボクがここで蘭姉ちゃんに会ったのは偶然じゃなくて……蘭姉ちゃんに教わりなさいって事なんだと思う。ボク達の……三人の思い出が一つでも増えるように」

 自分の声が少し遠く聞こえてしまうほど気持ちが昂り振り切れるが、言ってしまうと、不思議と心は落ち着いた。

 こんな不確かであやふやな事を、他ならぬ自分がよくも言ったものだと、笑いたくもなる。

 けれど不思議と心は落ち着いていた。

 少々の気恥ずかしさを脇に、様子をうかがっていると、蘭の口がほんの小さく開かれた。ため息ほどにほんの小さく。

 何事か言うのかと待っていると、女のまつ毛にみるみる涙が盛り上がる。

「!…」

 眦からひとすじ伝う涙をすぐに拭って、蘭は微笑んだ。

「じゃあ明日教えてあげるから、一緒に洗おう、コナン君」

 一つ思い出が増えるね

 すごいね、嬉しいねと晴れやかな顔で蘭が続ける。

 そして一言

「ずっと、どこにいっても……大事にしてね」

「もちろんだよ! どこに行っても、どんな時でも、全部大事にするよ。蘭姉ちゃんのくれたもの全部。だ、だから泣かないで、ね、蘭姉ちゃん」

 コナンはおたおたと言葉を紡いだ。

「べ、別に、泣いてないわよ」

 そんなにしょっちゅうめそめそするわけないでしょ

 即座にそんな声が返ってくる。

「ご、ごめんなさい……」

 どう見ても泣いてんじゃねーか

 無言の抗議を微苦笑で表し、コナンは口先だけの謝罪をした。

「これはその…コナン君が優しい事言うからちょっと何か零れただけ」

 そういう間にまた零れたひと粒を手のひらで拭い、蘭はふんとばかりにそっぽを向いた。怒っているのでなく、悲しんでいるのでなく、ただ純粋に溢れる嬉しさを拗ねた顔でごまかす蘭がしょうもなく愛しくて、つい言ってしまう。

「そんなに泣いてばっかりいたら、蘭姉ちゃん、その内干からびちゃうんじゃない?」

「もー、今優しい事言ったと思ったら、すぐそうやって意地悪言って…だからコナン君……」

 勢いで嫌いと言おうとしたのをとどめて、蘭は静かに口を閉じた。嫌いとは、思ってもいない。

 自然と笑みが唇に溢れた。

 蘭……

 果たして言葉は出てこなかったが、じんわりと沁み込む春の陽射しに似た微笑みで十分だった。十分、心が伝わる。

「意地悪言ってごめんなさい。お代りの飲み物おごるから、それで許して下さい」

 謝る時はせめて神妙な顔でと思っても、気を抜くとすぐ緩んでしまう半ばの笑みでコナンは言った。

「そんなニヤニヤした顔で謝って…ホントに悪いと思ってる?」

 少し斜めに見つめてくるいたずらっ子のような顔…大好きな、愛くるしい笑顔。

「う、うん…ごめんなさい」

 恥ずかしさに目を合わせられず、コナンはちらちらよそ見をしながら小さく言った。

「じゃあ許してあげる。飲み物はいいよ。その代わりこれ、一緒に食べよう。半分こして」

 蘭は、先刻もらったマドレーヌを手に取った。

「え…でもそれは、蘭姉ちゃんに」

「うん、だって私も、この偶然じゃない偶然がすっごく嬉しいから、半分お返し!」

 弾む声が蘭の口から溢れた。

 コナンはゆっくり頷きふと笑みを浮かべた。

 小雨のぱらつく週末、午後。

 ここだけ、眩い陽が差す。

 

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-付け足し-
勢いで自動ハムエッグ作り機を出しましたが、沖矢さんはまだ何ともアレなのでパスさせて下さい。
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