またいつかたどる道を

 

 

 

 

 

 少し動いただけで汗が背を伝うある夏の休日。

 昼頃に探偵団の面々に誘われ、サッカーボール片手にいつもの公園へと出かけ、夕暮れまで、コナンは子供らと一緒にサッカーに熱中した。

 梅雨時思うように発散出来なかった分もまとめて晴らし、気付けばもう五時近い。誰からともなく言い出した帰宅にまた明日と手を上げて、コナンは満足した気分で家路をたどった。

 いくつか信号を渡り、商店街を抜けて、見慣れた探偵事務所へ。

 階段をのぼり、ドアノブを掴む。

「!…」

 引こうとするよりやや早く、ドアが開いた。

 慌てて飛びのき見上げると、悪いなと軽く目配せする小五郎と目が合った。

「帰ったか」

「あ、うん、ただいま。おじさん、出かけるの?」

「ああ、ちょっとな」

 曖昧に応え、小五郎は閉めたドアに鍵をかけた。

「さっき、蘭から電話があったぞ。帰りは六時ごろだと」

 だから事務所は閉めておく、三階で待ってろ、そう言い足し、鍵を財布にしまう。

「うん、わかった」

 出かける前は、もっと早く戻るような事を言っていたが、予定が変わったのだろう。納得し、コナンは頷いた。

「じゃあな、戸締りはしっかりしておけよ」

「はぁい、いってらっしゃい」

 きっと麻雀にでも誘われたのだろう、うきうきとした足取りで階段をおりていく小五郎にそう声をかけ、コナンは踵を返した。

 

 

 

 汗だらけの服は洗濯機へ、身体はシャワーで綺麗さっぱり洗い流し、ひと息ついたところで、リビングの電話が鳴り響いた。

 蘭からだった。

『あ、コナン君』

 受話器から聞こえてくるはつらつとした声に思わず頬が緩む。

 彼女の愛くるしい声は、いつの時も、自分の感情をくすぐる。

 今鏡を見たら、きっとだらしない顔をしているんだろうな。

 そんな事を頭の片隅で思いながら、蘭と言葉を交わす。

 聞かれるまま今日あった事を簡単に話し、小五郎の外出を伝えると、半ば予測していたのか蘭はさして驚かず笑って溜め息をついた。

『私がいないとすぐそうなんだから』

 電話口の向こうで、腰に手を当てちょっと目を吊り上げている蘭の顔が浮かぶ。

 小さく苦笑い。

『ねえ、それじゃあ私たちも外でご飯食べよっか』

 と、思いも寄らないお誘いに、コナンは一拍遅れて頷いた。

『じゃあ、デパートの九階で待ってるから。ゆっくりでいいからね』

「うん、分かった」

 受話器を置くと、コナンはすぐさま支度に取り掛かった。

 着替えながら各部屋の戸締りを確認し、玄関に鍵をかけて、階段を小走りにおりる。

 外で食事の些細な事にはしゃぐなんて、まるで子供みたいだと少しおかしくなる。

 見た目はその通りなのだからと誰にとはなく開き直り、待ち合わせ場所へ急ぐ。

 

 

 

 人の列を縫ってエスカレーターを駆け上がり、フロア中央の休憩コーナーを振り返る。

 背の高い観葉植物を囲むように配置された長椅子には、もう座るスペースもない程の人が腰かけていたが、すぐに、自分を探すきれいな瞳と目が合った。

 椅子の端に座り、笑顔で手を振る蘭の元へ駆け寄り、コナンは「お待たせ」と声をかけた。

「早かったね」

 少し驚いた顔でニコニコと笑う蘭。

 そりゃあ、一分一秒だって待たせたくないから…という言葉は飲み込み、コナンは軽く頷いた。

「六時半…お腹空いたでしょ、美味しいもの食べようね」

「うん」

 きらきら輝く顔に大きく頷き、コナンは連なる店へと目をやった。

「コナン君何食べたい?」

「蘭姉ちゃん何にする?」

 思わずにやけてしまうむず痒い会話を交わしながら、ふと目をやった時、彼女の荷物が朝と変わらない事に気付く。

 買い物に行くと言っていたから、てっきりいつものように大きな肩掛けの紙袋で帰ってくるものと思っていたが…今日はかさばらない買い物をしたのだろう。

 あるいはお目当ての物が見つからなかったか――

 そこまで考えて、何でもかんでも無理に推測して納得する事もないかと、自分自身に苦笑いを一つ。

 と、そこで不意に腹の鈴が鳴った。

 慌てて蘭の様子を伺うが、メニューを決めかねて悩んでいる彼女の耳には届いていないようだった。

 ほっと胸を撫で下ろす。

「うーん、オムライスもいいなあ…でもハンバーグも美味しそう……」

 あ、グラタンにしようかな

 どれもこれも食欲をくすぐるものばかりだと、蘭は何度も首をひねった。

「どれも美味しそうだね」

 困ったと眉尻を下げて、蘭が言う。

「そうだね」

 そんな彼女に合わせて笑い、コナンは相づちを打った。

「コナン君決めた?」

「うん、ボクあのハンバーグセット」

「そっか…じゃあ私は、わたしは……オムライスにしよう」

 そう言って蘭は一つ頷くと、コナンと共に店の中へと歩き出した。

 案内された四人がけのテーブルに向かい合って座り、それぞれ水を口に運ぶ。

 半分ほど飲み干したところでコナンは、ふと気になり蘭の顔に目をやった。

 これから食事と浮かれるよりももう少し、はしゃいだ色を浮かべているように見える。

 ちょうど、メニューにあるデザートを眺めているからだろう。

 右を見ては唇を尖らせ、左を見ては引き結ぶ。一秒ずつ移り変わる表情は見ていて飽きない。

 思わず笑ってしまうのを水のグラスで隠し、何か声をかけようとした矢先、蘭がはっと目を上げた。

 笑っているのに気付いたかと、慌ててグラスを置く。

「そうだ、ねえコナン君、今度のお休み何か予定ある?」

「え…え、ううん」

 動揺をごまかしつつ首を振る。どうやら気付いたのではないらしい。

「そう、じゃあ今度の日曜、一緒に出かけない?」

「うん、いいよ」

 今日二度目の、突然のお誘い。

 コナンは頷き、聞き返した。

「どこへ行くの?」

「ふふ、いいとこ」

 いたずらっ子の顔で言って、蘭は人差し指を口に当てた。

 心なしか頬は朱く、大きく開かれた瞳は何かの期待でキラキラと輝いていた。

「え……」

 彼女の顔がいつにも増してはしゃいでいたのは、この内緒を口にする為だったのかと、コナンは納得した。

 内緒と言うなら仕方ない。

 それなら、こちらで推理するまで。

「何もヒントなしで推理出来るかな、探偵さん」

 すると、それを見越してか蘭は言った。

 唇から零れるくすぐったい笑みが、今はやけに癪に障る。

 しかし、彼女の言う通りだ。全く手がかりなしで推理もなにもない。

 せめて表情から何か探れないかと睨んでみるが、蘭はまるで取り合わず、涼しい顔で店員を呼ぶ。

 注文を終えて、ようやく目が合う。

 いっそ小憎らしいほどの笑顔で、一言。

「来週までのお楽しみ」

 彼女とは対照的な顔で、コナンは唇を尖らせた。

 

 まったく…そんな顔さえ可愛いと思う自分が癪に障るよ

 

 

 

 迎えた日曜日。

 遅めの朝食の後、蘭に手を引かれるままコナンは家を出た。

 まず連れて来られたのは米花駅だった。

 行き先がわからないというのは、なんとも居心地が悪い。

 切符を受け取りながら尋ねるが、先週もそして今朝もそうだったように、蘭は「内緒」とだけ答えた。

 仕方なく、切符に目を落とす。

 この一週間何の手がかりもなく推理すら満足に出来なかったが、ようやくヒントを得た。

 コナンは、切符に書かれた金額と、蘭が向かうホームの駅順を元に頭を働かせた。

 が、さっぱりだった。

 半ば無意識に電車に乗り込み、ドアにもたれて考え込むが、まるで答えは見えてこない。

 そんなコナンの様子に、蘭はくすりと笑みを零した。

 何の変哲もない切符を、まるで世界の秘密が隠された重要文書さながらに凝視している。

 真剣な眼差しで穴の開くほど切符を見つめ、呼吸すら忘れて没頭している。

 

 そんな顔した小学一年生なんていないよ

 

 おかしくなって笑った途端、どきりと胸が高鳴った。

 小さく息を飲む。

 推理に夢中になっている横顔が、しょうもなく愛おしい。

 顔がほてっているのが手に取るように分かった。

 これから向かう場所を考えると、余計熱くなる。

 きっと、今、顔は真っ赤だ。

 慌てて頬に手を当て、窓の外に目をやる。

 連なる家々の屋根が、なめらかに流れていくのをぼんやり見送る。

 

 どこで思い出すかな

 

 答えを言ってしまいたい気持ちと、目的地まで内緒にしていたい気持ちとがせめぎあう。

 

 あ、でも…「なーんだ」とか思われたらどうしよう

 覚えていなかったらどうしよう

 

 ここにきて急に、不安が顔を出す。一度思ってしまうと、次から次へ不安が芽吹いて、気持ちはどんどん重くなっていった。

 

 やだ…どうしよう

 

 知らず内に涙が滲む。

「ねえ、蘭姉ちゃん」

 ぼやけた視界に慌てて瞬きを繰り返していると、下から呼ぶ声が聞こえてきた。

 すぐさま目を向ける。

 目が合う。

 見上げてくる、強い眼差しと。

 もつれた糸を鮮やかに解きほぐし、全てを見通す探偵の眼差しが、強く胸に迫ってくる。

「あ、えと…まだ降りないわよ」

 途端に軽い混乱に見舞われ、蘭はしどろもどろで答えた。

 そんな蘭にふと笑うと、コナンは言った。

「これから行く所って、三回に関係あるでしょ」

「!…」

 その一言に蘭は大きく目を見張った。同時に、みるみる恥ずかしさが込み上げてくる。

 一足飛びにそれを持ち出されるとは、思ってもいなかった。

「あ、あるわよ!」

 だからつい、答える声も強い調子になってしまう。

「やっぱり」

 蘭のむくれた顔に小さく噴き出し、コナンは切符をポケットにしまった。

「なによ…もっと普通に当ててくれたっていいでしょ……コナン君のいじわる!」

 口の中でぼそぼそと文句を零し、蘭はぷいとそっぽを向いた。

「そ、そんなに怒らないでよ。あの時の…いや…前に新一兄ちゃんに聞いたんだ、あの時の蘭はすごいカッコよかったって」

 途中で気付いて二人から三人に言い直し、コナンは続けた。

「蘭姉ちゃんて、昔からくじに強かったんだね……」

 しかし、その言葉は怒りを鎮めるどころか火に油を注ぐ結果となった。

「黙って!」

 より強烈な照れ隠し、鋭い一言に、コナンはしまった肩を竦めた。

 さすがに言い過ぎたと、蘭自身も微苦笑を浮かべた。

「新一が、カッコよかったって……」

 呟き、蘭は顔を伏せた。

 消したいとまでは思わないが、今にして思うと、かなり恥ずかしい記憶。

 三回、三回。

 それは小学校三年生くらいの時。

 あの日も、今日と同じ陽射しの気持ちいい夏だった。

 新一と一緒に冒険気分で電車に乗り、偶然降りた駅で見つけた小さな駄菓子屋。

 迷わず飛び込んだ店の中は様々な駄菓子が所狭しと並んでいて、まるで大きな宝箱に飛び込んだ気分にさせてくれた。

 二人して、帰りの電車賃が残るギリギリまであれもこれもと選んだ。

 最後にラムネかアイスキャンデーかで散々迷い、アイスキャンデーを買って傍の公園で食べた。

 そして、三回。

 当たり付きのアイスキャンデーを、三回連続で当てたのだ。

 その、全部で四本のアイスキャンデーを、新一の目の前でぺろりと食べてみせた。

 得意げにアイスキャンデーを平らげる過去の自分を思い出し、蘭は小さく溜め息をついた。

 ふと見ると、コナンがおっかなびっくり顔を窺っているのが目に入った。

「あ…だってね、その時の新一、腹壊してもしらねーぞとか大食い女とか言って、散々バカにしたのよ」

「え、それは…多分ビックリしたからだと思うよ。だって、四本いっぺんに食べるなんて、さあ、ねえ」

 自分の言葉に自分で頷きながら、コナンはしどろもどろに言った。

「ううん、目が笑ってたもの。絶対バカにしてた」

 そんな言葉では納得しないと、蘭は言い返した。

 弱り果てた顔で、コナンは「あの…その…」と口をもごもごさせた。

「コナン君は、バカにしたりしないよね」

 否と言おうものなら承知しない…笑顔の裏にそんな言葉を隠し、蘭が尋ねる。

 もちろん、答えは「しない」だ。

 本当に、カッコいいと思ったのだ…心の中で泣き笑い、コナンは過去の自分を激しく恨んだ。

 すると気を良くしたのか、蘭は、今日行こうと思い立ったきっかけを説明し始めた。

「この間ね、その近くに住んでる友達が懐かしいからって買った駄菓子をくれたの。それで思い出したの」

 また機嫌を損ねてはまずいと、コナンは絶妙のタイミングで頷いた。

「で、もういても立てもいられなくなって、ちょっと忘れかけてたから場所を聞いて、この前の休みに行ってきたの」

「そうだったんだ」

 先週からの疑問が、これでようやく解けた。

 懐かしい場所へ案内しようと張り切る蘭の姿を想像すると、ついつい顔が緩んでしまう。

 だらしなくにやけているであろう顔をごまかす為、コナンは慌てて言葉を繋いだ。

「あ…でもさ、そこってそんなに遠くないよね。他にどこか寄ってから行ったの?」

 ごまかす方へ気がいっているせいで、聞くほどのものではない事は気付かない。

 それが図らずも核心に触れたのか、蘭は曖昧に首を振った。

 ぴんと閃く。

 ちょうどいい、さっきのお返しだ。

「もしかして……迷ったとか?」

「ち、違うわよ!」

 むきになるのが怪しい。

「もう、違うったら。行けば分かるから、大人しくついてきて」

 蘭が言い終わると同時に、電車が目的の駅に到着する。

 言われる通りコナンは口を噤み、蘭に引かれるままついていった。

 

 

 

 記憶にある通りのホーム、見渡して思い出す記憶を懐かしみながら、蘭にやや遅れてコナンは改札を出た。

 小さなバスロータリーを右手に、商店街を進む。

 通りに響く放送、あちこちの店から聞こえてくる賑やかな人のさざなみ、行き交う人の群れ。

 その中を、二人ははぐれないようしっかり手を繋ぎ歩いた。

「日曜日だから、混んでるね」

 うきうきと弾む声で蘭は言った。

「そうだね」

 気のせいでなく早足の彼女に小さく笑い、コナンは答えた。

 きっと、早く着きたくて身体がうずうずしているのだろう。

 もう少しゆっくり、変わったところ、変わらずにあるところを見て歩きたかったが、それは帰りにでも確かめよう。

 二つ目の四辻で左に折れ、突き当りを右に。そのまま道なりに進んだ先、段々見えてくる懐かしい風景。

 蘭の手が、興奮してかちょっと汗ばむ。

 コナンも同じように胸の高鳴りを感じていた。

 駄菓子屋の前では、数人の子供らがそれぞれラムネを手に楽しげにお喋りを交わしていた。

 それを見て、堪えきれず蘭がふふと笑う。

 しかし、コナンは正反対の感覚に見舞われていた。

 それは、店に一歩足を踏み入れた途端、更に濃さを増した。さっきまで確かにあったはずの高鳴りが、脆くも崩れ去る。

 愕然とした面持ちで、コナンはぐるりと店の中を眺めた。

 何が原因か分からない…いや、分かってはいるが、目を逸らしていたい気持ちで一杯だった。

 隣では蘭が、小さなカゴを片手に何を買おうかとあれこれ見回していた。

 コナンはそちらへ身体を向け、ゆっくりと顔を見上げた。

 懐かしさに潤んだ瞳、少し紅潮した頬が、小憎らしいほど愛らしい。

 と。

「昔と全然変わってないね」

 新一に向けて、蘭が耳打ちする。

 ああ。何も変わっていない。本当に。

 得体の知れないものが重く圧し掛かる胸の内で、そう呟く。

 コナンはもう一度、ぐるりと辺りを見回した。

 昔とさして変わらない高さの眺め。

 それに対して、蘭は。

 一緒に来られた事に興奮して、キラキラと目を輝かせている。

 胸を圧す苦しさがまた少し増す。

「欲しい物があったら、遠慮しないでじゃんじゃん入れてね」

「うん、どれにしようかな……」

 悟られぬよう、彼女に合わせ笑顔で返す。

 条件反射で苦もなく繰り出せるほど板についた子供の演技。

 彼女を、みんなを守る為のそれが、今はひたすら恨めしい。

 こういう時こそ役に立っているのに。

 小さく口を開き、噤む。

 そこから先、どんな会話を交わし何をしたのか。

 気付いた時には、片方にアイスキャンデー、もう一方で蘭の手を握り公園へ続く道を歩いていた。

「暑いけど、風があって涼しいね」

「うん、そうだね」

 弾む声に負けじと、笑って応える。

 彼女は、嬉しいんだ。だったら、それでいいじゃないか。それが一番じゃないか。

 分かってはいても、中々飲み込めない。

 喉に引っかかって、少しつらい。

 

 何の苦も無く笑える日もあれば、今日のように笑い方を忘れる日もある。

 

 そんな時は、彼女の笑顔を見ているのが一番だと学んだ。

 重く淀んだ気分をその笑顔で残らず吹き飛ばしてくれるからだ。そして気付けば、忘れていたのが嘘のように笑えるようになっている。

 

 そうだ、だから彼女を見ていよう。

 いつでも力をくれる彼女の力になれるように。

 

 連れて来られたのは、公園の中にある小高い山の上、少し古びたベンチ。

 周りに人影はなく、ただ風の音が聞こえる小さな休憩所。

 コナンは今のぼってきた草いきれの小道を振り返ると、眩しそうに陽射しを見上げた。

 やけに暑い。

 やけに堪える。

 手をかざして遮り、半ば無意識に睨み付ける。

 どうしてか、自分が、ひどく場違いな気がした。

 すると、蘭が口を開いた。

「この間遅くなったのはね」

 ベンチの傍に立ち、遠くの景色を眺めながら先を続ける。

「ここがあんまり気持ち良かったからなの」

 そして、照れ隠しのぶっきらぼうな口調で一言。

「新一にバカにされた場所だけど」

 耳にするりと入り込んだ言葉に、コナンははっと目を見開いた。

 瞬きも忘れて、彼女の言葉を胸の内で繰り返す。

 それだけで、ただそれだけで、今までもやもやと渦巻いていたものが瞬く間に消え去った。

 自分でも驚くほどあっけなく。

 伝いたい衝動のままにコナンは口を開いた。

「でも本当に、あの時の蘭姉ちゃん、カッコよかったって」

「うん…もう、いいよ」

 はにかんだ顔で返し、蘭はベンチに座った。

「溶けちゃわない内に食べよう」

 はしゃいだ声でアイスキャンデーをすすめる。

「うん、いただきます」

 隣に腰掛け、コナンは袋からアイスキャンデーを取り出し目の高さに掲げた。

 綺麗なうぐいす色から考えるに、これは多分まっちゃ味。

 これを選んだ自分に驚く。

 何だか少しおかしい。

 笑いながら、ふと気付く。

 さっきまであんなに動くのが億劫に感じていたのに、今はこんなにも身体が軽い。

 息苦しさもない。

 何より、思ったとおり笑える。

 小さく息をつき、アイスキャンデーにかじりつく。

 横では、同じように蘭がイチゴ味のアイスキャンデーにかじりついていた。

 シャクシャクと小気味良い音が響く。

「おいしいね、蘭姉ちゃん」

「ホントだね。……あ!」

 急に声を上げ、それからにっこりと口端を持ち上げて、蘭は言った。

「ねえコナン君。これ、何に見える?」

 先端が少し覗き始めたアイスの棒を差し出し、いたずらっ子の顔で見やる。

「え……」

 まさかと思いながら棒を覗き込むと、そこにはひらがなの「あ」の文字。

 考えるまでもない。

 コナンは、アイスキャンデーの棒から蘭の顔へ視線を移し、すごいねと呟いた。

「でも、今日は三回はしないわよ」

 三回で済まなかったら恥ずかしいし

 そう言って照れくさそうに笑い、蘭は残りを平らげた。

「ごちそうさま」

 残った棒にはくっきりと「あたり」の文字が刻まれている。それを手の中でクルクルと弄びながら、蘭は空を見上げた。時折吹き抜ける風が心地好い。

「蘭姉ちゃん早いね」

 昔もそうだったのを思い出し、コナンは言った。

「ゆっくりでいいよ」

 少し得意げな顔で、蘭が応える。

 そして、コナンが食べ終わる頃を見計らい、口を開く。

「新一と三人で来たいところ、また一つ増えたね」

 コナンははっと顔を上げた。

 優しく微笑む眼差しをまっすぐ受け止め、何度も言葉を噛みしめる。

「うん……そうだね」

 答えると、穏やかな風が吹き抜けた。

 吹かれるまま髪を遊ばせ、蘭が真っ青な空を仰ぐ。

 コナンも同じように顔を上げた。

 綿を薄くちぎった雲の浮かぶ青空に、真っ白な陽射しが輝いている。

 まっすぐ降り注ぐ暑さに溜め息を一つ。

 そして。

 

 またいつか二人…三人でたどる道、今度はずっと笑顔でいると、そっと誓う。

 

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