百の嘘の中

 

 

 

 

 

 枝ばかりだった街路樹も、萌え色に彩られ勢い付く春うららかなある休日。

 季節の変わり目という事もあり体調を崩したコナンもすっかり元通りになり、ようやくいつもの賑やかさに戻った三人の食卓で、少し遅めの朝食をとる。

「昨日も言ったけど、今日は園子と出かけるから、あとよろしくね」

 いつも通り、頑として野菜を口にしない父親にうるさく促しながら、蘭はそう告げた。

「……分かった分かった。気をつけて行ってこいよ」

 参ったとばかりに手を振り、小五郎は摘んだレタスを口に運び食べるふりをしてみせる。

 幾度となく繰り返される朝の風景、熾烈な攻防戦に、コナンはそっと苦笑いを零した。気付かれない内にすぐさま引っ込め、蘭に声をかける。

「ねえ、ボクも行っていい?」

 駄目と言われるのは目に見えていた。

「オメーは留守番だ。風邪が治ったばかりだろ、ぶり返すぞ」

 案の定、小五郎に一蹴される。

 やはり駄目かと、蘭を振り返る。

「うーん……」

 小五郎と同じ意見だと、蘭は微苦笑で応えた。

 昨日、子供らと泥んこになるまで遊んだ分、今日は一日ゆっくり身体を休めるべき、そう考えていたからだ。

「ちゃんとあったかくしてくから。それに、園子姉ちゃんに苺のお礼もしたいし」

 答えは出ていたが、それでもコナンは食い下がった。

 半分は本当、もう半分は。

「ね、いいでしょ蘭姉ちゃん」

「……もう、しょうがないなあ」

 そこまで頼み込まれては断れないと、蘭は頷いた。本当は、自分も一緒に連れて行きたいと思っていた。彼が病み上がりでなければ、嫌と言ってもどこへでも。

「その代わり! ちゃんと私の言うとおりにするのよ」

「はぁい!」

 溌剌とした返事がかえって憎らしい。こっちの気も知らないで。

 まったく…そう腹を立てながらも、一緒に過ごす時間が少し増えたのを蘭は心の中でそっと喜んだ。

 

 

 

 後片付けを済ませ、約束の時間より少し早く着くよう家を出る。

 行ってきますと手を上げ、通りに出た二人は、半ば無意識に同じタイミングで、さんさんと降り注ぐ太陽を仰ぎ見た。

「いい天気だね、コナン君」

「うん、少し暑いくらいだね」

 身体を冷やすのが一番良くないと、着替えに渡されたのはタートルネックのセーター、そして厚手のコート。確かに暖かいが、今日の天気では首元が少し汗ばむ。

 ノースリーブに薄手のカーディガン、コートという蘭の軽装が少々羨ましい。

 コナンは襟元に指を引っかけ、風を送る仕草をしてみせた。

「あら。私の選んだのが気に入らないとでも?」

「そ、そんな事ないよ」

 すごくあったかいよ

 大慌てで首を振り、コナンは笑ってみせた。

「そうでしょう、良かった」

 にっこり笑う蘭に愛想笑いで応える。

 わがまま言ってついてきたのは自分なのだから、多少の無理も聞くべき…とはいえ、遊ばれている気がしてならない。

 仕方ない、彼女には逆らえない。

 そっぽを向いてこっそり零し、溜め息を一つ。

 話題をかえようと、コナンは口を開いた。

「今日は、何を買うの?」

「うーん…今日は園子のお供だから、特に決めてないの。もし良いのがあったら、教えてね」

「うん」

 等間隔に並ぶ街路樹の、目立ち始めた緑を何気なく見送りながら、他愛無いお喋りを交わしながら、やがて二人は待ち合わせ場所にたどり着いた。

 休日という事もあって、普段は人もまばらな駅前の噴水広場は、同じく待ち合わせをする人たちで溢れていた。

 十二時まであと五分。

 二人は噴水のすぐ前に陣取り、園子の到着を待った。

 彼女が時間に遅れる事は滅多にない。十二時までの五分少々、二人は行き交う人の群れを眺めながらのんびりと日向ぼっこを楽しんだ。

 時計の針がぴったり十二時を指してすぐ、園子は姿を現した。

「お待たせ、蘭」

「うん、今来たとこ」

 元気よく手を振りながら駆け寄る園子に手を上げ、蘭は一歩二歩進み出た。コナンも横に並ぶ。

「やっぱり来てたか」

 予想通りと破顔し、園子はコナンの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「もう風邪は治った?」

「うん、園子姉ちゃんの苺のお陰だよ、どうもありがとう」

「そりゃ良かった、どういたしまして。まあね、なんたってこの園子様が選んだ苺ですからね、風邪も病気も治るってもんよ」

 いつもと変わらぬ余分な一言が、苦笑いを呼ぶ。

 コナンのそんな反応さえも楽しんで、園子はもう一度くしゃくしゃと頭を撫でた。

「まあ、何はともあれ元気になって良かった良かった」

「ホント、園子のお陰よ」

「なあに、いいって事よ」

 困った時はお互い様でしょと、笑いながら園子は蘭の肩をぽんと叩いた。

 そしてすぐに目付きを変えると、斜め下から伺うように見やり芝居がかった口調で後を続ける。

「……ホントは、あんたの献身的な看病があったからでしょ。ホラ、コナン君、お粥よ。熱いから気を付けてね、ふーふー…はい、召し上がれ――なーんてやっちゃってたりして!」

 ねえ!

 ずいと顔を覗き込まれ、蘭は慌てて首を振った。

「そ、そんな事してないわよ!」

 否定の声が震えてしまうのは、半分、当たっていたからだ。

「やってもらったんでしょ!」

 蘭の横で、蘭と同じく真っ赤な顔になったコナンに詰め寄り、園子はにっと歯を見せた。

「え、そ…そんな事ないよ!」

 どうにかこうにか首を振り、コナンは曖昧に笑った。

 園子が口にしそうな事はある程度予測していた…実際言われるダメージは予想をはるかに上回るが――やはりついてきて正解だったと、まだ混乱収まらぬ頭で頷く。

 家に一人残り、今蘭が何を言われているか、自分の事で何を言われているか、悶々と考えて過ごすくらいなら、実際面と向かって言われる方が遥かにましだ。

 そう考え、ついてきたのだ。

 そして案の定、園子は絶好調の様相を見せた。

 だがこれはほんの序の口に過ぎない…だろう。

 覚悟してかからねば。

 ひっそりと決意し、コナンは気を引き締めた。

「なーんだ、やってもらってないのか」

 残念そうに言いながらも、園子は妖しげに笑い二人の顔を交互に見やった。

「もう……」

 蘭が微苦笑で応える。時にこうして困らされる事もあるが、後を引かないのが彼女の良いところだ。

「さあ、じゃあまずはお昼ご飯食べに行こっか」

「うん、何食べようか」

「そうねえ……」

 言いながら園子は改札へと歩き出した。コナンの手を引き、蘭も後に続く。

 切符を買い、電車に乗る頃には、昼食のメニューも決まり、その後の予定もほぼ完成を迎えていた。

 

 

 

「まずは腹ごしらえしないとね」

 駅から少々離れた通りの中ほどにあるパスタ専門店の入口をくぐりながら、園子が意気揚々と二人に告げる。

「そうね」

 ふふと笑って蘭が応える。

 案内された窓際の席に二人と一人に別れて座り、中央で開いたメニューを覗き込む。

「私もう決まってるから、二人で選んでいいよ」

「あ、梅しそスパゲティでしょ」

 一旦メニューから顔を上げ、蘭は言った。

「そう! もうあれが一番のお気に入りなの」

 お絞りで手を拭いながら、ほくほく顔で頷く園子。

「へえ、そんなにおいしいの?」

「もう、最高よ。梅のさっぱり感とシソの風味がマッチしてね、すっごくおいしいんだから!」

「へ、へえ」

 熱弁を振るう園子に少々圧倒されながら、コナンは頷いた。

「園子、このお店に来たら必ずあれ食べるもんね」

「そりゃ、もう!」

 顔中キラキラさせて大きく頷く。

「じゃあ、私もそれのセットにしようかな。ここ、デザートも美味しいし。コナン君は何にする?」

 渡されたメニューをコナンに譲り、蘭はお絞りに手を伸ばした。

「うん……」

 デザートも美味しい。

 それを聞き、ピンとくるものがあった。

 コナンは素早くメニューを見回すと、日替わりランチの一つ目を指差し言った。

「ボク、これにする」

「うん、それね」

「あ、でも全部は食べ切れそうにないから、デザート蘭姉ちゃん食べてくれる?」

「……え?」

 コナンの提案に面食らうも、日替わりランチについてくるデザートも捨てがたく思っていた蘭は、嬉しさの混じった複雑な顔でコナンを見やった。

「いいじゃない、蘭。デザートの一つや二つ」

 迷う蘭の背中を押し、園子は頬杖をついた。

「あんた、ちょっとやそっと食べても太らない体質だし」

 言いながら頬杖の手をかえ、二人ににやにやと笑いかける。

「まったく、優しい彼氏よね」

「え……!」

 その言葉に蘭の顔が一気に赤くなる。

「……違うよ」

 コナンも同じく血の上る思いを味わうが、予想の範囲内だと気を引き締め横目で園子を睨む。

 そんな二人に動じぬ笑みを見せ、園子は手を上げた。

「じゃあ決まりね、すみませーん!」

 面白くてたまらないと言わんばかりの園子から目を逸らし、コナンは短く息を吐いた。

 今日はまだ、始まったばかりだ。

 大丈夫…用意はしてある。

 通用するかは、また別だが。

 

 注文の品が揃い、実際にデザートを渡す時にも何か言ってくるだろうと覚悟していたが、意外にも園子は沈黙を守った。

 ただ、明らかにそれを言い含んだ眼差しで見つめてはいたが。

 かえって不気味に思いながらも、コナンは努めて普段どおりに振る舞った。

 

「はあ、満腹、満足」

 食後のコーヒーに軽く口をつけてから、園子はとろけんばかりの笑みを浮かべた。

「私も。ここのお店結構ボリュームあるよね」

 園子に少し遅れて食後のミルクティーを受け取った蘭が、軽く口をつけて答える。それからコナンに顔を向け、にっこり笑って言った。

「デザート美味しかったよ、ありがとうコナン君」

「……どういたしまして」

 横目で園子を伺いながら、コナンは顔を上げた。

 案の定むず痒い顔で笑っているのが見えたが、何も言ってはこない。

 言ってこないなら、放っておくのが一番だ。

 向き直り、愛想笑いで濁し、コナンは自分のオレンジジュースに手を伸ばした。

 

 店を出た後は、園子の先導で駅前のデパートに戻り、予定の通りに各ショップを見て回った。

 女の買い物は長い、覚悟していたコナンだが、意外にも…といっては失礼だが、園子の「病み上がりで歩き回るのは身体に毒だから」という気遣いで、必要以上にあちこちつれ回される事はなかった。

 

 

 

 買い物の後、園子の提案で一休みしていこうという事になり、三人は改札の正面にあるコーヒーショップを訪れた。

 中ほどの席に落ち着き、それぞれ注文する。

 一息ついた頃合を見計らって、コナンは口を開いた。

「……ごめんね、園子姉ちゃん。蘭姉ちゃんも」

 彼女たちの楽しみを奪ってしまった事を詫びる。何度か二人の買い物に付き合った事があるが、今日は明らかに短い。普段なら今日の何倍も、それこそ日が暮れるまで飽きることなく見て回った事だろう。自分の事で頭が一杯になり、当たり前を忘れてしまったのが悔やまれる。

「ああ、気にしない気にしない。ちゃんと目当てのものは買えたし」

 空いた席に置いた袋をぽんとたたき、園子は軽快に笑った。

 あっけらかんとした声に、少し救われる。

「私もよ。コナン君が見つけてくれたお陰で、すっごく可愛いブラウス買えたし」

 隣でにこにこと嬉しそうに袋を抱える蘭を見やり、コナンは小さく笑った。

「そうねえ、あんた結構センス良いわよ。誰かさんと違って」

 同時に贈られた賞賛と遠回しの嫌味を、コナンは複雑な笑みで受け取った。

「ちょ…別に新一、センスは悪くないわよ」

 園子に乗せられる形で、蘭がうっかりと反論を口にする。

 言ってから、蘭はしまったと口を押さえた。

「蘭……私別に、新一君とは言ってないわよ」

 こらえきれないとばかりに笑みを零し、園子は肩を震わせた。

「ホント、あんたの頭の中って」

 新一君で溢れかえってるのね

「そ、そんな事ないわよ!」

 くくくと笑う園子に、蘭が真っ赤な顔で首を振る。

 半分は本当、もう半分は。

「はいはい。でもどう見てもそうよねー、コナン君」

「え、あ……」

 向けられても、答えようがない。

 熱くなった首筋と、転げ回る動揺を鎮めるのが精一杯だ。

「ああ、でも今はあんたに心が動いてるみたいだけどね」

 答えられないのを勘違いしたのか、園子が間違った方向にフォローを入れる。

 とどめの一撃に、今度こそ言葉を失う。

「……な、何言ってるのよ!」

 大きな瞳を更に大きく見開いて、蘭が割って入る。

「なによ、この間はまんざらでもないって顔してたじゃない。ほら、金曜日」

「し、してないわよ!」

 混乱の極みでしどろもどろになっているのは分かるが、即座に否定され複雑な気持ちになる。

 しかしここで自分までうろたえては相手の思う壺と、コナンは冷たい水を一杯口にした。

 直後。

「もう、正直に言いなさいよ、あんたコナン君のこと好きな――」

「やだ、ちょっと園子!」

 焦れて本題をずばり口にする園子、大慌てで遮る蘭の声が重なる。

「!…」

 ごほ、と水が気管で引っくり返る。

「あ、コ、コナン君!」

 蘭は急いでナプキンを取ると、隣でむせているコナンの口にあててやった。

「ごめんごめん」

 園子もナプキンを手にすると、立ち上がり、詫びながらテーブルを拭いた。

「大丈夫、コナン君」

 背中をさすってやりながら、蘭は声をかけた。

「う……げほ……うん」

 げほん、ごほんと咳を繰り返し、どうにか落ち着きを取り戻す。

 つくづく、ついてきて正解だった。

 

 まったく…園子のヤロー

 

 あたふたと片付けていると、注文の品が運ばれてきた。

 園子にはアメリカン、蘭にはカフェオレ、コナンにはクリームの乗ったココアがそれぞれ渡される。

 三人、無言のまま各々のカップを手に取った。

 しばし沈黙。

 しかし。

「じゃあ、コナン君に聞くけど」

 話は終わってないと、園子は続きを口にした。

 また呼吸が乱れる。今度は、クリームを少し吸い込むだけで済んだ。

 コナンは口についたクリームを慌てて拭うと、覚悟を決め、園子に目をやった。

「蘭はまんざらでもないってんだけど、あんたはどうなのよ」

 問われ、横目で蘭の様子を伺う。

「蘭はちょっと黙っててよ、ねえ」

 何か言いたそうな蘭を制し、園子は身を乗り出した。

「確かに蘭には新一君がいるけどさ、あんたが本当に蘭を好きだってんなら、私、応援するわよ」

 はしゃいだ声を上げる園子を、コナンは渋い顔で受け止めた。

 明らかに、楽しんでいる。

 一目瞭然だ。

 コナンはもう一度ちらりと蘭を見やり、口を開いた。

「そりゃ…蘭姉ちゃん好きだけど……」

「うんうん、やっぱり好きなんだ!」

「で、でも、園子姉ちゃんの言う好きじゃなくって、あの…蘭姉ちゃんは、家族だもん!」

 半分は本当、もう半分は。

 土壇場で挫けそうになるのを必死に奮い立たせ、どうにか『コナン』で言い切る。

 果たして、通用するかどうか。

 予想外の返答だったのか、園子は面食らった顔でぽかんと口を開いた。数秒してようやく表情を取り戻し、静かな笑みを浮かべる。

「ふうん…家族かあ……」

 納得したのか、呟き、園子は頬杖のままカップを口に運んだ。

 コナンは三度、蘭の様子を伺った。

「私も、コナン君のこと本当の弟みたいで、好きよ」

 穏やかな笑顔が向けられる。

 けれどどうしてか、胸がちくりと痛んだ。

 半分は彼女を嘘吐きにさせている痛み、もう半分は。

「仲がおよろしい事で」

「そーよ、家族ですからね」

 茶々を入れる園子に、蘭はふふと笑ってみせた。

 納得したのかしないのか、園子はそれ以上追求する事はなかった。

 

 

 

 半時間ばかり他愛無いお喋りに花を咲かせ、そろそろ帰ろうと席を立ち会計を済ませたところで、誰かの携帯電話が着信音を鳴り響かせた。

「あ……!」

 園子が真っ先に反応する。

 すぐさまポケットから取り出し、表示画面を見るや強い顔になった園子に、二人は顔を見合わせ同時に笑った。

 目を見れば、誰からかかってきたのかすぐに分かる。

 彼女の特別な人、京極真だ。

 蘭の目配せに頷き、コナンは口を開いた。

「早く出ないと、切れちゃうよ」

「え、あ…でも」

「京極さんからでしょ、ほら、早く」

 続け様の言葉に、園子は困り果てた顔で携帯電話と二人を交互に見やった。

「いいからほら。じゃあね」

 言うが早いか、コナンの手を引き蘭は歩き出した。

「ご、ごめんね!」

 申し訳なさそうにしながらも、嬉しさに顔を輝かせ園子は電話に応えた。

「もしもし、はい……」

 少し離れたところで、蘭は肩越しにそっと振り返ってみた。

 コナンも同様に様子を伺う。

 声は聞こえないが、喋りながら首を振ったり頷いたりとはしゃぐ様子は、見ているこちらまで楽しい気分になってくる。きっと、楽しいお喋りに花を咲かせている事だろう。

 今の彼女は、素直に可愛いと思えた。

「京極さんからしばらく電話ないって、落ち込んでたのよ。園子。良かった」

 言って、蘭は自分の事のように喜んだ。

「あ……だから今日、いつも以上に絡んできたのかも」

 

 なるほどね

 

 そう考えれば合点がいく。

「まったく、人の事散々からかっといて、自分だって、ねえ」

「そうだね」

 同意を求められ、コナンは素直に頷いた。頷いてから、蘭の言葉を深読みしてしまい、一人顔を赤くする。

 再び歩き出した蘭に手を引かれ、コナンは俯いたまま後に続いた。

「やっぱり、好きな人からの電話って嬉しいものね」

 彼女の口からこぼれた言葉が、ちくりと胸に刺さる。

「………」

 わずかに顔を曇らせたコナンに、蘭は言葉を続けた。

「私も、新一の声にいつも元気貰ってたし」

 それは喜び…感謝が溢れる。

 けれど。

 胸に刺さった小さな棘が抜けない。

 

 今はお互い、本当の声を聞けない。

 

 ここに、彼女の前にいるのは『コナン君』で、自分の前にいるのは『蘭姉ちゃん』でしかない。

 

 そのせいで重ねる嘘は、小さな棘に変わる。

 

 この棘は抜けない。

 

 それでも。

 

 ここで出来る事はあるはず。

 

 百の嘘の中で。

 

「今日は楽しかった。ありがとね、コナン君」

「う、うん。ボクも、すごく楽しかったよ……」

 愛くるしい笑顔を向ける蘭に、晴れになりかけの笑顔で、コナンは頷いた。

 そこから自然に会話は途切れ、電車に揺られている間、二人は一つの言葉も交わす事なく過ごした。

 米花駅で降り、改札を出てしばらく行ったところで、それまでの沈黙を破り蘭が口を開いた。

「……ねえ、コナン君」

「なあに?」

 重苦しい無言が途切れた事に密かに感謝しながら、コナンは顔を上げた。

「し、新一も…私の声で元気になってたりとか……してたかな」

 今にも消えそうな、頼りない声で蘭が問う。

「もちろんだよ! 新一兄ちゃんいつも言って、た……」

 即座に答え、しかし付け加えたところで急に恥ずかしくなり、コナンはしまったと言葉を濁した。

「え…なんて?」

 しかし間に合わず、答えねばならない状況に陥る。

「あ、え…と、ら…蘭の間抜けな声は元気が出るな……とか」

 おっかなびっくり、蘭の様子を伺いながらぼそぼそ答える。

 案の定、見守る先でみるみる目がつり上がっていく。

「あ、の……」

 今にも落ちる雷を覚悟しコナンは肩を竦めた。

 と。

 一転して、蘭は笑い出した。

「やだコナン君、すごい顔してる!」

 おかしくてたまらないと笑い転げる様子に、コナンは目を瞬いた。

「もう、そんな顔しなくても大丈夫よ。新一の言いそうな事だもの」

 楽しげな声につられてコナンも少し笑いかけるが、新一に向けられた遠回しの嫌味に頬が引き攣る。

「ああもう、おかしい」

 眦に滲んだ涙を拭い、蘭はようやく笑いを引っ込めた。

「はは、は……」

「でも良かった。間抜けでもなんでも、元気が出るなら」

 声と同じ、晴れやかな顔が向けられる。

「うん、それはホントだよ」

 自分で茶化してしまった分を埋めようと、コナンは胸を張って答えた。

 半分は本当、もちろんもう半分も。

「ボクも、蘭姉ちゃんの声聞くと元気出るもの」

「ありがとうコナン君。私も、コナン君にいっぱい元気もらってるよ」

 繋いだ手をぎゅっと握り、蘭はにっこり笑いかけた。

「じゃあもっともっと元気が出るように、今日はコナン君の好きなもの作るね」

「わあいやったぁ!」

 少し照れながら、コナンははしゃいだ声を上げた。

 見つめる先には、甘く胸をくすぐる彼女の柔らかな笑顔。

 

 ここで出来る事がある。

 百の嘘の中、一つの真実があれば。

 

 お互いを守る糧となるだろう。

 

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