君がくれる幸福 |
|
ヒマだ……
天井をぼんやり見つめ、心の中でぼやく。 こうして寝返りを打つのも、もう何度目になるか。 向かい合った壁に向かって盛大な溜め息を吐きかけ、コナンは軽く目を閉じた。 |
風邪で倒れ学校を早退した日から、二日…今日は日曜日。 一時は九度を越えるまで上がった熱も微熱まで下がり、咳もほとんど出なくなった。 処方された薬も、今夜の分で飲み終わる。 が、心配性の蘭から、しっかり治るまでは外出厳禁を言い渡された為、せっかくの休みだというのに布団の中で寝かされている。 コナンはもう一度、部屋中に響くほどの溜め息をついた。
いい加減飽きたぜ……
零しても仕方ないと、半ばやけになって無理やり眠る。 カーテンを透かして射し込む眩しい陽射しを、恨めしそうに一瞥してから。 しかし、うとうとしかけては目を覚ます。 起こされる。 耳の奥で甦る彼女たちの声――少し芝居がかった園子の声、それに対する蘭の慌てふためく声、そして夢で見たあの…… そのたびにコナンは息を詰め、同時に熱くなる頬にうなりを上げた。
まいった……
昨日までは、熱の辛さに負け考えずに済んでいた…その熱は、あの明け方の夢のせいも含まれるだろう…が、今日はそうはいかない。 記憶をたどって頭を働かせても、昨日のようにだるさを感じない、から、いくらでも考えにのめり込む事が出来た。 つまり――夢かそうでないかを、はっきりさせられる、ということ。 「!…」 途中で恐ろしくなり、コナンは慌てて思考を放棄した。 同時に起き上がる。 何もせずただ横になっているから、余計な事を考えてしまうのだ。だったら、何かしていよう。一番いいのは、暇つぶしに最適なのは、もちろん。 コナンは本棚を振り返った。 直後。 ノックの音が響いた。 即座に振り返り、追い詰められた犯罪者の如き形相で扉を凝視する。 ややあって、そっと扉が開かれた。 隙間からこそっと顔を覗かせてきたのは、蘭。 寝ていると思ったのだろう、息も潜めた静かな動作で室内の様子を伺う。起きていると気付き、ほっとした顔で蘭は大きく扉を開いた。 「起きてたんだ」 「う、うん…今、ね」 ぎこちなくなってしまう自分を心の中で叱責しながら、コナンは頷いた。 「お昼ご飯出来たけど、食べられる?」 「あ、うん」 「良かった。じゃあ今持ってくるね」 そう言って取って返す蘭を見上げ、コナンは、弱々しく溜め息を吐いた。 あんな夢さえ見なければ、いつものように楽しく過ごせたのに。 戻せるものなら時間を…虚しい願いを手から零し、コナンは肩を落とした。 |
小一時間、何事もなく過ぎる。 他愛ないおしゃべりをしながら、ゆっくり食事をとり、充分食休みをしてから、薬を飲む。 「ありがとう」 飲み干したコップに一言添えて返し、コナンはふうと息をついた。 苦行にも似た時間が、これでようやく終わる。 もう夢の事は忘れよう。 どうでもいいと放っておけば、じきに薄れていくだろう。 強引に自分に言って聞かせ、コナンは出て行く蘭の背中を見送った。 しかし、わずかもしないで戻ってきた彼女の口から出た言葉に、苦行はまだ続くのだと打ちのめされる。 「眠るまで、ここにいるね」 手にした厚めの小説本を軽く掲げ、蘭はさらりと言った。 「……え」 「だってコナン君、目を離したら起きて本読んでるかもしれないから」 「え…だ、大丈夫だよ!」 いつかの優しい仕返し…蘭の気遣いに、コナンは大いに慌て首を振った。 「だめよ。こんなに――誘惑があるんだから」 そう言って蘭は、コナンの枕元に置かれた小さな三段ラックを厳しく指差した。 部屋の角に寄せられたそれはコナンの本棚になっており、推理小説が上から下まで、ほぼ隙間なく収められていた。 指差す方を横目でちらりと見やり、コナンは密かに苦笑した。 「ちゃんと治るまで安静にしてなきゃ。ぶり返したら嫌でしょ」 ぴしゃりと言い付けられ、コナンは渋々頷いた。
…ったく、こっちの気も知らないで
妙に押しの強い彼女に、心の中で密かにぼやく。 「じゃあ、ちゃんと横になって」 こうなってはもう、従うしかない。 コナンは渋々布団に入った。 「静かにしてるから、コナン君は気にしないで眠ってね」 「……うん」 嫌々目を瞑る。
バーロ…オメーがいる方が余計熱が上がるっての……
また変な夢を見ちまったらどうすんだよ……
嫌でもぶり返すあれに顔をしかめる。 あれが夢だったのか、現実だったのか…未だに分からない。 蘭には聞けない。 蘭は何も言わない。 段々と腹が立ってくる。 自分にか、それとも彼女に対してか。 行き場のはっきりしない苛々が、もやもやと、胸の中渦巻く。 けれどそんな状態でも、周りの音には敏感で、いつまで経っても本を読み始める気配の無い彼女におやと首を傾げる。 どんなに耳を澄ませても、身じろぎ一つ感じられない。 もしや出て行ったのか。しかしそれなら、多少物音はするはず。という事は、座ったきり、何もしていないということか。 どうにも気になり、コナンは思い切って目を開けた。視線を上げる。 まっすぐ注がれる眼差しと、目が合った。 本を膝に、じっと座っている、蘭。 「ど…うしたの」 喉の奥で絡まる声を絞り出し、コナンは身を起こした。 「あ……ごめんね。でも、ちゃんと言っときたくて」 済まなそうに俯き、蘭は居住まいを正した。 まさか、ついに覚悟を決めるべき瞬間が来たのかと身を硬くする。 「……うん」 強い顔付きで頷く。 「この前は突然だったから、慌てちゃって、ちゃんと言えなかったけど……あ、金曜日のことよ」 少し詰まりながら、蘭は続けた。
金曜日……
覚悟していた話題とずれている事に、コナンは目を瞬いた。金曜日、つまり、園子とのあの会話。 たちまち込み上げる気恥ずかしさを無理やり黙らせ、固唾を飲む。 「園子にはああ言ったけど、コナン君は…大事な家族で、友達で、時々保護者みたいで」 言って、蘭はくすりと声に出して笑った。 保護者みたい、という一言に微苦笑で応える。 そんな複雑な表情は、続く蘭の言葉で一瞬にして変わる。 「特別の……大好きな人」 大切に綴り、蘭は少し恥ずかしそうに目を伏せ、思い切って目を上げ見つめた。 「………」 まっすぐ胸に迫ってくる、強い視線。 「……三人だけの秘密よ」 するりと耳に滑り込む、愛くるしい声。 みるみる頬が熱くなる。 こんな時こそ何か言うべきだろうに、一言も浮かんで来ない自分が情けなくなる。 恥ずかしく思う。 夢かどうかにばかりこだわって、その先の事も考えず、彼女の気持ちを二の次にしていた自分が、たまらなく恥ずかしい。
蘭がどんなに『三人でいること』を大切に思っているか、また愚かにも忘れてしまっていた自分が――
なんだ…そうか……
自分の立つべき位置が分かって、笑いたくなるほど心が軽くなった。 少し勇気を出して言う。 「ボクも、蘭姉ちゃんのこと好きだよ。大好きだよ。時々すっごくおっかないけどね」 「……あら、言ったわね」 蘭は大きく目を見開くと、いたずらっ子のように笑って言った。 「え、あ…いや」 すぐさま宥め、もう少し勇気を出す。 「えと……それでね、あの……」 大きく息を吸って、勇気を振り絞る。 「……もし、今度変な夢見た時は、言うから…聞いてね」 しかしあと一歩足りず、最後は蚊の鳴くような声になってしまった。 届けたい気持ちは、蘭の心にしっかり伝わった。 瞳がみるみる輝きを増す。 「ええ、もちろん」 零れんばかりの眩い笑顔。 引き攣ってしまう呼吸を何とか宥めながら、コナンは、愛くるしいその全てをじっと見つめていた。 しっかりと目に焼き付ける。 大切に心にしまう。 後から後から込み上げる喜びが、熱く胸を満たした。 |