まっすぐな空に

 

 

 

 

 

 梅雨の合間のよく晴れた休日。

 夜遅くまでしとしと降っていた雨は明け方近くにやみ、雲は流れて、久々の青空を覗かせた。

 今日も一日雨、という天気予報は外れたが、長い雨の後の快晴に誰も喜んだ。

 

 

 

「お父さん、コナン君も、とっとと顔を洗ってしゃきっとする!」

 遅くまでお気に入りの推理小説を読んでいたせいで寝不足の一人と、遅くまで沖野ヨ―コお宝ビデオを見ていたせいで寝不足の一人に、朝からきびきび元気な蘭がはっぱをかける。

 相変わらず朝から元気だよな……

 小五郎の後に続いてのたのたと洗面所に向かいながら、コナンは乾いた笑いを一つ零した。

 出来ればもう少し毛布に包まっていたかったが、顔を洗った事で意外にすっきりと気分は晴れた。

「もうご飯出来てるわよ」

「はぁい」

 返事を一つして、リビングのいつもの位置につく。

 隣では、小五郎ががさがさと新聞を読みふけっていた。

 いい風が入るからと蘭が開けた窓から入り込んでくる強めの風が、なんともいえず気持ちいい。

 ずっと雨続きで外に出られずにいた身体が、窓の外に広がる青い空を見てそわそわと落ち着きを無くす。

 そんな自分に気付いて、コナンはふと笑みを零した。

 そこで子供たちの顔が過ぎったのは、すっかり彼らの生活に馴染んでしまったからか、それとも、彼らも同じ事を考えているに違いないと思ったからか…もしかしたら、後で誘いの電話が来るかもしれない。

 それもいいと、半分待っている自分に軽く頷く。

「はい、お待たせ」

 満面の笑みでリビングにやってきた蘭を見上げ、コナンはふと頬を緩めた。

「いただきます」

 隣の笑顔に安心して、元気な声を上げる。

 

 

 

 朝食の後、手早く後片付けを済ませた蘭は、それっとばかりにたまった洗濯物に取り掛かった。その間に部屋の掃除を始め、丁度終わる頃、タイミングよく洗濯終了を告げるアラームが聞こえてきた事に小さく喜ぶ。

 洗濯物をカゴに押し込み、屋上へ。

「ああ、気持ちいい……」

 少し汗ばむ太陽を眩しそうに見上げ、蘭は伸び上がって大きく息を吸った。

 雨の日の、じめっと肌に纏わりつく重たい空気と違い、適度に湿度を含んだ風の気持ちいいこと。

 早く済ませて、少し日向ぼっこしよう

 浮かんだアイデアにふふと笑い、蘭はてきぱきと洗濯物を干し始めた。

 そこへ。

「蘭姉ちゃん、何か手伝える事ある?」

 コナンの声が背中越しに聞こえてきた。

「あれ、出かけるんじゃないの? さっき元太君から電話があったみたいだけど」

 物干し竿にかけたシーツを伸ばしながら、蘭は訊ねた。

「うん、公園でサッカーやろうって誘われたんだけど、午後からだから大丈夫だよ」

 コナンはシーツの反対の端を掴み、ぴんと伸ばしながら答えた。

「そう、ありがとう。じゃあ細かいものお願いね」

 にっこりと笑い、蘭はカゴにある靴下やハンカチの類を指差した。

「はあい」

 返事を一つ、コナンは任せられた洗濯物に手を伸ばした。

「今日は天気がいいから、すぐに乾いちゃうね」

「ホントね。コナン君も、久しぶりに外で思い切りサッカー出来るから嬉しいでしょ」

「うん」

「ねえ、かくれんぼも忘れて熱中しちゃうくらい、コナン君サッカー好きだもんね」

 くすくすと笑ってからかう蘭に、コナンは少し赤い顔で微苦笑した。いつまでも覚えていなくてもいいだろうに…洗濯物を干すふりをして、こっそり隙間から睨む。

「そうだ、コナン君にお願いがあるんだけど」

 ひとしきり笑って蘭は、あらたまった声で言った。

「なあに?」

「私にもできるかな……」

 半分独り言のような呟きに、コナンは首を傾げた。

「あのね、リフティングを、教えてほしいの」

「……へ?」

 突然の申し出に面食らい、コナンはぱちぱちと目を瞬かせた。

「お願い、コナン君」

 それが蘭の目には承諾を渋っているように映った。両手を合わせ、一心に頼み込む。

 あまりの必死さに、コナンは意図も分からぬまま頷いた。

「わあ、ありがとう!」

 途端に輝いた顔に目が釘付けになる。

 疑問は後回しでいいやと、コナンはしばし見とれていた。

 

 

 

 白いシーツ、シャツ、靴下が風にはためく下で、蘭とコナンは向かい合って立っていた。

 出かけるまでまだ時間があるという事で、コナンは基礎だけでも伝えようと部屋からボールを持ち出し、再び屋上に戻った。

「イメージとしては……」

 言葉の合間に、手にしたサッカーボールからパッと手を離す。ボールはそのまま、すとんと落ちた。

「まっすぐな地面に、まっすぐ落としたら、まっすぐ跳ね返ってくる、でしょ」

 その通り跳ね返ってきたボールをキャッチし、もう一度繰り返す。

「こんな風に。これが基本だよ。最初はふとももで始めるといいよ。一番面積が広くて安定してるから」

 言ってコナンは、右足のふとももだけで何回かボールを弾ませてみせた。

 眉根を寄せた神妙な顔で頷き、蘭は上下に移動するボールとコナンの足の角度を瞬きもせず凝視した。

「後は、毎日練習するだけ。まっすぐに、を常に頭において、ボールをよく目で追っていれば、蘭姉ちゃんならすぐに出来るようになるよ」

 一際高く上げたボールを胸の辺りで受け止め、コナンはボールを差し出した。

「でもどうしていきなり……?」

 そして、後回しにしていた疑問を口にする。

「うん、コナン君と過ごした証拠をね、一つでも多く残しておきたいから」

 そう言うと蘭は、ボールをまっすぐ地面に落とし、跳ね返って戻ってきたのをまた地面に落とし、それを繰り返しながら言葉を続けた。

「それと、新一が帰ってきた時に、ちょっと驚かしてやろうと思って」

 合間にちらりと視線を送る。

「え……」

 蘭は弾ませていたボールを両手に収めると、しゃがんで目の高さを合わせ言った。

「新一が帰ってきて、私がきつーい一発をお見舞いしてやって……色々あってようやく日常に戻ったある日に、そうね、学校帰りとか、いつものように新一がサッカーボールを蹴って……そこで私が、新一から鮮やかにボールを奪ってリフティングをしてみせたら、アイツきっと驚くでしょ?」

「…うん、きっと新一兄ちゃんビックリすると思う」

 問われ、間近のいたずらっ子のような笑顔にコナンは少し戸惑いながら頷いた。

「ねえ。アイツ、どんな顔するだろ。そうしたら私こう言ってやるの。あんたがいない間に、コナン君に教わったのよ、他にも色々教えてもらってるんだから、って」

 少し自慢げな顔、軽やかな笑い声に瞬きすらも忘れる。

「だから、絶対新一には内緒よ」

「……うん、わかった」

 嬉しいような、くすぐったいような…鼻の先がムズムズする幸福感に頬を緩ませ、コナンは頷いた。

「絶対よ、コナン君」

 蘭はすっくと立ち上がると、基本をしっかり頭に叩き込む為にボールのバウンドを再開させた。

 その様子を、コナンはただじっと見守っていた。

 自分の存在さえも非日常なのに、彼女のお陰で難なく日常に溶け込んでいける。

 いつ崩れてしまうかと恐れることなく一歩を踏み出せる。

 やがてすっと顔を上げる。

 おっかなびっくりといった様子でリフティングに挑む蘭の向こうに、よく晴れた青い空が広がっているのが目に入った。

 のんびり進む白い雲をそこここに浮かべ、中心には眩い太陽。

 その空の下、まっすぐに跳ね返っては落ちるボールを懸命に目で追う蘭の姿に、自然と笑みが浮かんでくる。

 いない間に出来るようになって、アイツをびっくりさせてやるんだから

 実に彼女らしい作戦に笑みが深まる。

 

 さあ、新一はどんな顔をするだろう。

 

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