軽くて重い一言

 

 

 

 

 

 一日目の夜。

 部屋に帰り着くなり、盛大なため息と共にベッドに仰向けに倒れ込んだ園子の姿に、蘭はクスクスと笑みを零した。

「もうお腹一杯。もう動けない……」

 幸せそうな顔でむにゃむにゃともらし、園子は思い切り伸びをした。

「もう、園子ったら」

 いつもどこでも変わらない親友の奔放さに笑いが止まらない。蘭は肩を震わせながら隣のベッドに腰をおろした。

「蘭も横になってごらんよ。気持ちいいよ」

 そう誘って、園子は首に巻いたネクタイをさっさと外した。

「ああ窮屈だった」

 そして、じゃまっけだとばかりに脇に放る。

「園子、京極さんの前でもそんな事してるんじゃないでしょうね」

 彼女に限ってそんな事は絶対にない、のを大前提に、蘭は少し意地悪く聞いた。

「やだ、蘭の前だからに決まってるじゃない。私だって、それくらいの切り替え出来るわよ」

 じろりと見やり、当然とばかりに言い返す。

「へえー、どうだか」

「ちょっと、もう。どういう意味よ」

「さあねぇ」

 気心の知れた同士の、小気味良いやりとりをお互い楽しむ。

 それからしばらく、二人は取りとめのないお喋りに花を咲かせた。

 豪華客船での船旅に興奮しているのか、話は中々尽きない。

 お腹が痛くなるほど笑ったり、わざと唇を尖らせて怒った顔を見せたり、はしゃいだ声を上げたり…

 そんな折ふと訪れたきりのいい静寂に、二人は同時にため息をついた。

 付き合いが長いせいか、ふとした動作が重なる事がよくある。そんな時、なんだかおかしくて、二人はまた一緒に笑う。

 とそこで、園子がぽつりと呟いた。

「そっか、良かったな……か」

 耳にした途端、蘭はぎくりと肩を強張らせた。

 一気に顔が熱くなる。

「……な!」

 聞こうとするより先に、園子が口を開いた。

「これさあ、考えてみればこれ以上ないくらい新一君にぴったりよね」

「……ええ?」

「だってさ、やるからには中途半端はなし、始めたら最後まで――、って蘭の性格、私も新一君もよおく知ってるもの。まあ簡単に言うと、頑固ってヤツね」

「……悪かったわね」

「そこが蘭のいいところじゃない」

 褒めているのかいないのか、園子の言葉に蘭は小さく唇を尖らせた。

 そんな蘭にいたずらっ子のような笑みを向け、園子は続けた。

「で、そんな蘭が、関東大会で優勝を収めた……その為にどれだけ努力したか、どんな思いだったか、これも全部知ってる。それ考えると、良かったなの一言って、軽いようで重いよ」

 ここまでは真面目に、ここからは不真面目にと声音を変え、園子は付け加えた。

「うぅん、素直におめでとうと言わずに、ちょっとひねりを加えた言葉をプレゼントするたぁ、中々やるわね、新一君も」

 それに対して蘭は大きく首を振った。

「そ、そんな事ないよ! アイツに限ってそんな事、ぜんぜん!」

 あの日の夜、耳の奥で繰り返し聞くたび喜びが込み上げてきて、おかしなくらい泣いてしまった自分ごと打ち消すように蘭は大慌てで首を振った。

 

 だって、声が聞けるなんて思ってなかった

 短かったけど、言葉を交わすことができるなんて、これっぽっちも思ってなかった

 わかっているから、それでいいと割り切っていたから、声が聞けたことが…嬉しくて――

 

「なあんだ、慌てるって事は、蘭もちゃんとそう言う風に受け取ってたって事か」

 安心したと、園子は大げさな動作で胸を撫で下ろし肘で蘭を小突いた。

「ラブラブぅ! もう、妬けるわね、この」

「ち、違うって! ホントに、違うんだから!」

「はいはい、そういう事にしておいてあげるわよ」

 相変わらず素直でない親友にわざと神妙な顔で頷き、肩を叩く。

「ちょっと……!」

 言いかける蘭にひらひらと手を振り、さっと立ち上がる。

「じゃあ私、お風呂入っちゃうわ。大体一時間くらいかかるから、その間に誰かさんに電話してても構わないわよ」

 着替え片手にバスルームの手前で振り返り、園子はにっと口端を持ち上げた。

「い、いい加減にしないと怒るわよ!」

 ベッドの上で向きを変え、蘭はぎゅっと拳を握り締めた。

 顔はほおずきのように真っ赤だ。

「おおこわ。じゃあ後でね」

 笑いながら肩を竦め、園子はバスルームに消えた。

 もう、園子ったら……もう

 嬉しいのが腹立たしい。でも嬉しい。

「もう!」

 声と共に蘭はベッドに仰向けになった。

 

 何も考えてないに決まってるわよ

 そうよ、アイツに限ってそんなこと

 でも、本当に…新一らしい

 

「……もう」

 またしても涙の滲む瞼を押さえ、そっと微笑む。

 声に出さず唇だけでありがとうと綴り、蘭はほっと息をついた。

 

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