チョコレートキッズ

 

 

 

 

 

「……おい」

 ざわめく人の群れの中、コナンは、前に立つ人物…車を降りる際一気に変装を解き若い男性の姿になったキッドに、あからさまに機嫌の悪い声で呼びかけた。

「どした?」

 振り返り、キッドは目線を落とした。

 変装を解いたといっても、恐らく素顔ではないだろう。短い黒髪、人懐こそうな顔、ラフな格好。正体を知らずに逢えば、中々に好感の持てる顔立ちといえるだろう。

 二人の脇を、クリーム色の四角いトレイを持った四人組みの若い女性が通り過ぎて行く。トレイの上には、四人分のジュースに、ハンバーガー、そしてポテト。

 明るい照明、目を引くポスター、壁に飾り付けられたいくつものキャラクター商品、そして……

「いらっしゃいませ、Mバーガーにようこそ!」

 はきはきとした店員の声。

 二人は、全国展開の大手ハンバーガーチェーン店『Mバーガー』の注文カウンターの列に並んでいた。

「いートコって、ここかよ!」

「ご、ごめんな。実はあんまり金ないんだよ…」

 コナンの剣幕に申し訳なさそうに笑って、キッドは頭をかいた。

「そ、そーじゃなくて……」

 傍目には人の良さそうな外見でそんな顔をされると、自分が悪いように思えてきて、気まずくなり、コナンは口ごもった。

 ――勘弁してくれよ

「探偵君は、なんにする?」

「あ…じゃあ、一番安いヤツで……」

 何やってんだ、オレ……

「遠慮すんなよ。お前が腹いっぱい食えるくらいは、持ってるからよ」

「はは……」

 引きつった顔で笑う。もう笑うしかない。

 

 

 

 季節限定のセットメニューを二人分注文し、二階の窓際のカウンター席に落ち着いた二人。

 片や楽しそうにニコニコと笑い、片やこの上もなく不機嫌そうに隣の人物を睨み付けている。

「冷めないうちに食えよ」

「……どーも」

 どこかはしゃいだ様子のキッドに、外見に似つかわしくない低い声音で、とりあえず礼を言う。

 二階の客席は、家族連れや学校帰りの学生たちで溢れかえっており、テーブルは満席、窓際のカウンター席も、カップルや四人連れのグループで埋まり、隅にようやく二人分の空きを見つけられたほどだ。どの席もみな賑やかにお喋りが交わされている。

 コナンはカウンターテーブルにもたれかかると、ジュースのカップ片手に背後の風景を見やった。

「うわー、探偵君感じわるー」

 子供らしからぬ態度を茶化し、キッドがからからと笑う。

「……うっせーよ」

 誰のせいだよ

 カップのジュースを一気に半分飲み干し、じろりと睨み付ける。

「おお、こわい」

 大げさに怖がって肩を竦めると、キッドもカップに手を伸ばした。

「そうそう、彼女に電話しなくて大丈夫か?」

「へ……?」

 出し抜けの質問に、コナンは目を瞬かせた。

「いや、遅くなるってさ。つっても別に、そんなに遅くはならねーけどさ、余計な心配させちゃまずいだろ」

 極々普通の気遣いに、一瞬言葉をなくす。おかしな錯覚に見舞われる。一体、こいつは何なのだろう。からかっているのか、楽しんでいるのか。楽しんでいるとしたら、何が楽しいのか。

 敵同士だというのに。

 とはいえ、傍目にはとてもそうは見えないだろう。

 挙げるならば、歳の離れた親戚、といったところか。

「なんなら、オレが電話しとこうか?」

 江戸川文代として

 からかい抜きのまじめな物言いに、肩を落とす。

「いい……余計ややこしくなるだろ」

「まあ、それもそーだな」

 声わかんねーし

 悪い悪いと頭をかいてキッドは笑った。

「………」

 夜逢う顔とは全く違う表情を次から次へと見せるキッドに、頭がついていかない。

お得意の変装術の延長だとしても、一体どれが本物に近いのか。それともどれも偽りなのか。

「そういやオメー、この前蘭に……」

 一息つき、気を取り直して言いかけたまさにその瞬間、背筋に悪寒が走った。

「あん?」

 聞き返すキッドの声も、耳に届かない。

 強烈な電流を浴びせられたかのような、息も弾む感触に、コナンは目を見開いた。

「………」

 今過ぎったのは紛れもなく、殺意だった。

 首筋の嫌な汗をどうにかやりすごしながら、大勢の客で賑わう店内をあまさず見渡す。

 不審な素振りを見せる人物は…どこにも見当たらない。皆食事をしながら楽しげに、中には携帯電話で遠方の友人も交え、お喋りに花を咲かせている。

「おい、どした……――」

「はい!」

 コナンのただならぬ様子に、キッドが耳打ちしかけたその時、飛び抜けて明るい声が二人に抱き付いた。

「……へ?」

 同時に顔を上げる。

「どうぞ!」

 左手に束ねたたくさんの風船の一つを差し出し、『Mバーガー』のロゴが入ったキャップにスタッフジャンパーを着た若い女性店員が、ニコニコ顔で立っているのが目に入った。

「……ありがとう、お姉さん!」

 途端にコナンは、たとえ子供嫌いでも、ついつられて笑ってしまいそうになるほどのはつらつとした笑顔を浮かべ、元気よく応えた。

 やるねえ、探偵君

 変わり身の早さに、思わず口笛を吹いてしまいそうになる。

 多少大げさではあるものの、『愛想のいい元気な子供』はみんなに愛される。

「今日はいっぱい食べていってね!」

 そう話しかけ頭を撫でる女性店員に「うん!」と満面の笑みで返すコナンを、キッドは感心した様子で眺めていた。

 当のコナンは、自らの反応に心の中で密かに苦笑いを浮かべながら、表面上はあくまでも楽しげに、風船を受け取った。

 ……うわ、随分爪なげーな。いいのかよ

 その時ふと目がいった、店員の手元、指先…少々長すぎる爪に、表情は崩さず驚く。半透明のビニール手袋をしているとはいえ、食べ物を扱う店でいいのだろうかと、要らぬ心配をする。肌と似た色のマニキュアをしている為、それほど目立たないが。

 左手の薬指は何かトラブルがあったのか、爪の生え際に絆創膏を巻いていた。

 と、つい余計なところまで目を向けてしまう自分自身にやれやれと肩を竦め、貰った風船を椅子の背にくくり付ける。

「さすが探偵君、変わり身早いねえ」

 窓の外に向き直った途端、素顔に戻ったコナンに、少々の嫌味を混ぜキッドは笑った。

「…うっせーよ」

 低く返す。

「でも、ま、そのお陰であちこちの信頼を勝ち得ているんだから、そう不満そうな顔すんなよ」

 本心から言っているのかただからかっているのか、真意を図りかねるキッドの笑い顔にひと睨みくれ、カップを取る。

「ところで、さっき何言いかけたんだ?」

「ああ……いや」

 訊ねるキッドに、言葉を濁す。

 聞きたかったのは、蘭があの夜…まるで夢のような派手なランディングを終えた後、埠頭で隠した言葉。どうやらそれを、キッドは知っているらしい。

『そんなに気になるなら、キッド捕まえて聞いてみれば?』

 なんて、本人は楽しげに隠していたが、こちらにしてみれば楽しくも何ともない。

 一体、蘭は何を隠したのか。

 それを何とかして聞き出そうと思い立ったのだが、直後感じた殺意、強烈な思念の一撃に気は散らされ、今となっては抱いた主を探し出す方に、頭がいってしまっていた。

 見渡す店内は明るく賑やかで、あちらでは数人の女子高生が甲高い声でお喋りを交わし、こちらでは泣く赤ん坊を母親があやしながら友人らとお喋りを交わし、隣では、一時も止まる事無く四人の若い女性がうるさいほどお喋りを交わしている。

 どこを見てもどのテーブルも、殺意などとは程遠い。

 ……気のせいだったか

 そこでようやく肩の力を抜く。

 その頃にはもう、尋ねる気はすっかり失せてしまっていた。

「……なんでもねーよ」

 頭を切り替え、コナンはぶっきらぼうに言い放った。

「ふうん……」

 どこか釈然としない様子のキッドを尻目に、少々冷めたハンバーガーに手を伸ばす。

 しばし二人は、無言のままハンバーガーをかじりポテトをつまみ、片や窓の外を、片や店内をぼんやりと眺め食事を進めた。

 なんともおかしな時間だった。

 学校帰りに、気の置けない友人と寄り道したような、そんな奇妙な錯覚に陥る。

 子供らといる時必要な顔を作る事もないし、喋る声に気を使わなくてもいい。

 そしてまた、蘭といる時に感じる、少し落ち着かないそわそわした気持ちを抱く事もない。

 あくまで素のままの自分だけでいい。愛想笑いも、元気な返事も、何もいらない。

 とはいえ、隣にいる人物は友人ではない。

 どころか……

 なのに、随分と気の抜けた自分がいる。何より自分が一番奇妙だ。

 いや、それをいうなら隣の人物も相当奇妙だ。

 まったく、何を考えているのやら。

 もしかして、隣にいるのは本物のキッドではないのでは……

 ――んなわけねーか

 ふうと小さく息をつき、食べ終えたハンバーガーの包みをくしゃりと丸める。

「……ごちそうさまでした」

 手についたパンくずをはたきながら、お義理の礼を口にする。

「腹もふくれたんだからさあ、もうちょっと楽しそうにしてくれてもいいじゃんよ」

 相変わらずの仏頂面に、キッドが軽く文句をつける。

「……どこの世界に、泥棒と一緒に飯食って楽しい探偵がいるよ」

 頬杖をつき、斜めに見上げて言う。

 まいったなあと苦笑する様は、どこから見ても気のいい青年そのものだ。騙されてはいけないと警戒し直すものの、つい見た目にひきずられてしまう。

 騙されてはいけない。

 油断したら負けだ!

 ……やめた

 自分でも薄々感付いている、無駄な緊張感を、もうどうにでもしろと放り投げる。

「……くだらねーダジャレのクイズでも出せよ。そうすりゃ、ちょっと楽しくなるだろうよ」

 目付きも悪く横目に見やりながら、コナンは過ぎた日の出来事を軽くからかった。

「お? んじゃあ探偵君は、さっきのお姉さんのところ行って、もっと風船欲しい欲しいーって、スカート引っ張ってくるか?」

「な……!」

 しかし、すかさずキッドに返され、言葉をなくす。

「おやあ? なんだか顔が赤いよ探偵君」

「……てめぇ」

 こと彼女に関しては正直すぎるほど顔に出るコナンを、キッドは悪意なくからからと笑った。

 悔し紛れに、コナンはすねを思い切り蹴りつけた。

「いっ…てぇ!」

 自業自得だとジュース片手にそっぽを向く。残りを一気に飲み干し、その頃には落ち着きを取り戻したコナンは、ことりとカップを置くと、ゆっくりとキッドに眼差しをくれた。

 わずかに口端を持ち上げ、言う。

「もし……オレがここで大声上げたら、どうする?」

「ここに怪盗キッドがいます、ってか? いいぜ、別に。けど、多分誰も信じないだろうけどな」

 キッドの言葉に、コナンは笑みを深めた。

 その、背筋がぞくりとするほど不敵な表情に胸がわくわくと高鳴る。

「もしお前が『江戸川コナン』ではなく、そう例えば『工藤新一』だったら、全国津々浦々の皆々様一人残らず信じただろうが、今のお前は、ただの、探偵ごっこが好きな小学一年生『江戸川コナン』だ。お前に一目置いてる警視庁の目暮警部殿でも、笑って取り合っちゃくれないだろーな」

「……ああ、そうだな」

 頬杖をつき、余裕に満ちた表情で笑うキッドに、コナンもまた強い笑みで頷いた。

 張り詰めた無色の糸、頭の芯が疼くような緊張感にも関わらず、目が離せなくなる。

 瞬きさえ忘れるほど、心が少年に引きつけられる。

 と、不意にコナンの表情が強張った。

「…痛っ……!」

 急に腹を押さえ苦しみ出した少年に、キッドの顔から笑みが消える。

「おい、どした?」

「わかんね…急に……は、腹が……」

 辛そうに息を詰め、脇腹を押さえて前屈みになる。

「どこがどんな風に痛む?」

 焦りを飲み込み、キッドは症状を聞き出そうと顔を覗き込んだ。

「こ、ここが…差し込むみてーに……」

 押さえる箇所に目をやり、戻す。

「盲腸かもしれねーな…待ってろ、今すぐ救急車呼んでやるからな」

 浅い呼吸を繰り返すコナンの背中をさすってやりながら、キッドは安心させるようにそう声をかけポケットを探った。

「いや…呼ぶのは救急車じゃねーよ……」

「……え?」

 再び顔を寄せた時、聞き覚えのある電子音が耳に届いた。

「……へ?」

 今の今まで苦しんでいたのが嘘のように、コナンの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「た、探偵君……?」

 黙れとばかりに、鼻先に時計型麻酔銃を突きつけられる。

「この距離なら、絶対外れねーぜ」

 張り詰めた空気によく似合う低い声が、キッドの耳にすべり込む。

「……嘘…だったのね」

 降伏の印に両手を上げ、キッドは頬を引き攣らせ笑った。

「へぇ、お前でもそんな顔する事あんだな」

 からかうように笑い、コナンは続けた。

「いい機会だから言っとくぜ…もし今度、オレに成りすましてみろ。ただじゃおかねーからな」

 鼓膜を震わす低い声音ときつい眼差しに、キッドは大きく頷いた。

「…そこまでオレ、命知らずじゃねーから……」

 過日、少女と交わした約束が甦る。

 二人…三人を敵に回すなんてバカな真似、死んでも御免だ。

「適当に頷いてんじゃねーだろーな……」

 疑いの眼差しで睨むコナンに、情けなく笑いながら「誓う」「嘘はつかねーから」と繰り返す。

「まあ…この前の借りもあるからな。今は見逃してやるよ」

 照準をぱちりと戻し、コナンは離れた。事情が飲み込めないでいるキッドに、強い笑みを向ける。

「あ、あら…?」

「お前は、オレが現行犯で捕まえてやるよ。次に逢った時にな」

「そりゃー、楽しみだけどよお……」

 ふうと一息ついた後、キッドは呆れ気味に言った。

「……ったく。お前なあ、この前といい今といい、そういう卑怯なことはヒーローのやる事じゃないぜ?」

 腰に手をあて、横目で諌める。

「……誰がヒーローだよ」

 わけのわからねーことを

「あの子供たち…少年探偵団にとっちゃ、お前はヒーローだろ」

 自信たっぷりに笑って指し示すキッドを鼻で笑い、コナンはもう一度すねを蹴った。今度は軽く。

「くだらねーお喋りはもういいから、とっとと本題に入れよ。まさか本当に、飯おごりにきただけ、なんて言わねーよな?」

「そう何度も蹴るなよな…ったく。ぜってー青痣になってるぜ。それになんだ、下らないって。オレは親睦のつもりでこうして……」

 大げさにすねをさすりながら、キッドはぶつぶつと零した。

「親睦、ね……」

 まったく。こいつといると調子が狂う。

 作らないだけ、少しはましだが。

「……おい」

「わかったわかった。んじゃあ、本題な」

 呆れ顔で急かすコナンを宥めながら、キッドは切り出した。

 とりあえず聞く体制を取った直後、ざわめきを貫いて背後から悲鳴が聞こえてきた。

「!…」

 ただならぬ声に振り返ると同時にコナンは椅子から飛び降り、一直線に声の出どころであるトイレに向かって走った。

 うっすら漂う事件の匂いにつられ、脇目も振らず駆け出した小さな探偵に、やれやれとキッドも立ち上がる。その時、自分らの隣にいた女性たちが、互いの顔を見合わせながら言葉を交わした。

「ちょっと、今の声……」

「うん、サチに似てたね……」

「い、行ってみようよ」

 ためらいながら、三人は連れ立ってトイレへと向かった。

 後ろ姿を見送り、彼女たちが座っていた場所を振り返ると、キッドも後を追った。

 

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