チョコレートキッズ |
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下校する大勢の児童に混じって、少年探偵団の面々が校庭を横切っていく。 少し前まで、そんな彼らの周りに何人も群がって、あの夢のような一夜…たった三人で、空に取り残された大勢の命を救ったあの日の出来事を、目を輝かせて口々に訊ねてきて、中々帰れない日が続いた。 光彦、元太、歩美の三人が、調子付いて話すものだから、余計に始末に負えない。 そんな騒動の日々もようやく落ち着いて、放課後の予定などをのんびり話せるようになったある日の下校途中。 校庭の真ん中辺りで、まず歩美が声を上げた。 「誰だろう、あのおばさん」 指差す方に、残りの四人が一斉に目を向ける。 ごっこ遊びと変わらないとはいえ、曲がりなりにも探偵、常に回りに目を配り日常と違う部分に敏感になった歩美に、何かの騒動の種にならなければいいが…と心の中でため息をつきながらコナンは顔を上げた。 校門の傍に立ち、校舎から出てくる子供たちを見渡している、中年の女が一人。 肩まで伸ばした髪は黒く、小太りで、背はそれほど高くない。 着ている服は上品だが、かけた眼鏡は少し大きく、あまり顔には合っていない。 その姿を目にした途端、コナンは大げさに驚き一瞬歩みを止めた。 「…あら、お知り合い?」 いち早く気付いた灰原が、肩越しに訊ねる。 「あ、ああ…」 歯切れ悪く、コナンは頷いた。 |
何しに来たんだ…… |
がっくりと肩を落とす。 「もしかして……」 灰原が一つの推測を口にしかけた時、こちらに気付いた中年の女性が、大きく手を振り上げた。 「コナンちゃーん!」 よく通る声が、自分を呼ぶ。 「……あたりみたいね」 「え?」 前を歩いていた三人が、計ったように同時に振り返った。 「もしかして、コナン君のお母さん?」 何しに来たんだ……母さん 校門の傍で待つ『江戸川文代』…工藤有希子に眼を眇め、わざとのたのたと近付いていく。 「今帰り? コナンちゃん」 驚いた事に、格好は江戸川文代なのに、声は工藤有希子のままだ。 意外にも覚えのいい彼らに、気付かれでもしたらどうするんだ。 迂闊な母親に心の中で悪態をつきながら、低い声で「ああ」と応える。 そんなコナンとは正反対に、三人は初めて逢ったコナンの母親に、はしゃいだ様子でそれぞれに自己紹介を始めた。 「知ってるわ。いつも、コナンちゃんと遊んでくれてありがとうね」 文代はニコニコと、礼儀正しい彼らに優しく言った。 多少話し方の癖を変えてはいるが、これ以上言葉を交わしたら気付かれかねない。 仕方なくコナンは、咄嗟の思い付きを口にした。 「お母さん、早く行かないとあの店混んじゃうよ!」 「あら、そうだったわね。じゃ、皆さん、気を付けてね。さようなら」 自分でも薄々感付いていたのか、文代も話を合わせ慌てた振りをする。 「じゃあねコナン君、また月曜日にね!」 「じゃあなコナン!」 「行ってらっしゃい」 口々に見送る彼らに苦笑いで手をあげ、歩き出したその肩越しに、灰原が小さく声をかける。 「行ってらっしゃい、コナンちゃん」 背筋に走るおぞ気にすぐさま振り返ると、いたずらっ子のように笑う彼女の顔が目に入った。恐らく彼女は、文代の正体に気付いているだろう。 くすくすと笑う灰原を「ニャロ」と睨み付け、コナンはその場を去った。 先を歩く文代の向かう先、校門の傍に停められた真っ赤な車を目にして、何度目になるかわからないため息をつく。 なんて車選んでんだ…と。 ふてくされた顔で助手席に乗り、運転席の母親をじろりと睨み付ける。 「……で?」 車を発進させながら、文代は「なあに?」と聞き返した。 「何じゃねえよ。何しに来たのかって聞いてんだよ」 不機嫌の塊といった声に、小さく笑う。 「あら、そんなに怒らなくてもいいじゃない。久しぶりに逢いに来たっていうのに」 |
――だったらもっと別の方法で来いよな |
「……大体、何で声は元のままなんだよ。いくら喋り方変えたって、あいつらに気付かれでもしたらどうすんだよ」 やれやれと頭の後ろで手を組み、シートに身体を預ける。 「どうせ、忘れちまったんだろ?」 下からの意地の悪い視線に、文代は軽く首を振った。 「いいえ。世界的大女優、工藤有希子の名誉の為に言うと、それは違うわ」 二人きりだからと作るのをやめ、江戸川文代…いや工藤有希子は、本来の声でコナンに説明を始めた。 「忘れたんじゃなくて、知らないのよ。聞いた事がないから」 「……母さん?」 おかしな事を言い始めた母親に、コナンは目を瞬かせた。 まさか、と眼を眇める。 ほぼ同時に、有希子が声を上げた。 「残念、ハズレ!」 「は…?」 耳にした言葉に、頭が混乱する。 そんなコナンを尻目に、有希子はかけていた眼鏡を外しサイドボードに置くと、胸ポケットからあるものを取り出し、右目にかざした。 それを目にした途端、コナンの瞳が一瞬にして驚きに染まった。 「正解は……」 もう一度、声が変わる。 それは『江戸川文代』のものでも、『工藤有希子』のものでもなかった。 ふくよかな中年女性の外見には似つかわしくない、若く、張りのある青年の声。 「オ・レ」 四葉のクローバーの飾りがついた、白く輝く片眼鏡の奥で、いたずらっ子のようにウインクをひとつ、してみせる。 「てめっ…! かい、と……」 怪盗キッドと綴る前に息の途切れた唇が、奇しくも彼の本当の名を呼ぶ。 「あたりっ!」 心底嬉しそうに歯を見せ笑うキッドに、コナンは素早く麻酔銃を構えた。 ピピピ…と電子音が車内に響く。 「ちょ、タンマタンマ!」 張り詰めた空気を、キッドが大げさに慌てた声音であっさりと崩す。 「今運転中! ここでオレが眠っちまったら、ヘリポートから落ちる振りするより、ずーっと危険だろ」 少々の嫌味を混ぜ、キッドは言った。 言葉は慌てているが、声の調子は楽しんでいるそれと全く変わらない。 からかうキッドに、コナンはあからさまに顔付きを険しくした。 「じゃあ、今すぐ車を停めろ!」 「そんな事してたら、お店混んじゃうじゃなーい」 軽口に、きつく歯噛みする。 一体、何が目的なんだ。 このコソ泥は しばし考え、コナンは照準をぱちりと戻した。 聞いたところで、正直に答えるとは思えない。 ここは、相手の目的がわかるまで大人しくしているのが、賢明というものだろう。 そう考えをまとめ、助手席に座りなおす。 世界一不愉快なドライブに、自然と顔が引きつる。 「まあ、そうつまらなそうな顔すんなよ。今日は、この前のお詫びのつもりで来たんだから」 俄かには信じられない言葉に、コナンはじろりと睨み付けた。いつでも飛びかかれるようシートベルトに指をかけ、油断なく見守る。 「その顔、信じてねーな」 「バーロ…誰が信じるかよ」 「こえーな。ホントだって」 「ふざけるな!」 コナンの怒号に、キッドは大げさに肩を竦めた。 「怒りっぽいなあ。腹でも減ってるのか?」 わざと、見当違いの推測を口にするキッドに、怒りを通り越して心底呆れ顔になる。 「ハハハ…」 |
何を言っても無駄だ…こいつには |
「そういう時は――」 赤信号で止まったのを機に、キッドは右手をコナンに向けて「バイバイ」と振り、それから空中で何かを掴む仕草をして、彼の目の前でぱっと開いてみせた。 「!…」 直前まで何もなかった手に、透明なセロファンに包まれたチョコレートが三つ、現れた。 何をするつもりかと険しい顔付きで見守っていたコナンも、これには素直に目を見開いた。 「チョコが一番だぜ」 ちょっとした手品を披露し、得意げに歯を見せるキッドと対照的に、コナンは半眼になってじろりと睨み付けた。 「……いらねーよ」 「なんだよ、何も変なもんは入れてねーぞ」 「ハッ…どーだか」 「用心深いなあ。ホントだって」 取ろうとしないコナンに苦笑いを浮かべ、キッドは一つ摘み上げた。 と、それをすかさずコナンは奪い取った。 「なんだよ、それ」 笑いながら怒るキッドを無視して、奪い取ったチョコを口に放り込む。 「子供には、チョコがお似合いってか……」 自らを皮肉ってもらした言葉は、以前ほど心を刺しはしなかった。 以前なら、どうしようもなく心が痛んで、しかしそれを表に出すまいとするあまり、感情が消えそうになった。けれど今は、したたかな女のお陰でしっかりと自分を保っていられる。 無意識に微笑みを顔にのぼらせたコナンを、キッドは見逃さなかった。 けれど気付かない振りで、残ったチョコを差し出す。 「これやるから、機嫌直せよ名探偵」 ほら いらないとのけようとしたが、信号が青に変わり、右手を戻さなければいけないタイミングでは、受け取るしかなかった。 渋々ながら受け取ったチョコを手の中でクルクルと弄びながら、横目で注意深くキッドを観察する。 「んな顔すんなって。今日はホントに、この前のお詫びで来ただけなんだからさ」 正面に目を向けたまま、キッドはさらりと言った。 信じていないと言わんばかりに、頭の後ろで手を組みそっぽを向く。 「……で? どこに連れてくつもりなんだ? お詫びにやってきたコソ泥さんは」 「いートコ」 そう言ってウインクしてみせるキッドに、コナンはげんなりといった様子で肩を落とした。 「なあ、すげえ疲れた顔してっけど、大丈夫か?」 そう言って大げさに覗き込んでくるキッドを、じろりと睨み付ける。 「………」 誰のせいだよ 聞こえよがしに零した一言に、キッドは口ばかりの謝罪を繰り返した。 「それはそれとしてさ、このカッコ。ちょっとは褒めてくれよな」 渋滞気味の道をのろのろと進みながら、キッドは胸を張った。 「…はあ?」 何を言っているのだと、コナンは心底馬鹿にした眼差しで隣の人物を見上げる。 「すっげー苦労したんだぜ、この変装。ちょっとは褒めてくれよな」 「お気楽なヤローだぜ……」 最近は少し事情が変わったが、不便でどうしようもない、苦労の連続でしかないこの身と違って、キッドは演じる事を楽しんでいるのだ。 敵である自分の前でさえ、それを隠しもせず吐露するキッドに、目眩すら覚える。 「なんだよ、もうちょっと感心してくれたっていいだろ。なんたって目撃した人間が……」 「お前…もう喋んな…」 説明も理由も今はいい。 並べられても、混乱するだけだ。 「なんだよ、謎が一つでもあると、落ち着かない性質なんじゃないのか? 探偵君は」 「いい…それは。謎のままでも……」 乾いたため息を一つ。 ようやく渋滞を抜け、車はスムーズに走り出した。 |
世界一不愉快なドライブは、まだ続く。 |