好きじゃない

 

 

 

 

 

「それ、綺麗な色ですよね」

 

 若い女性店員がそう声をかけてくる。

 その大分前から、蘭の心は手にした淡い春色のブルゾンに魅了されていた。

 ピンクとオレンジが重なったような絶妙なカラー、手触りが良く柔らかな素材、フード付きで、八分袖、背中はリボンで絞れるようになっており、全体の丈も長過ぎず短過ぎず丁度良い。

 これからの季節におあつらえ向きだ、

 

「昨日入ってきたばかりなんですよ。よかったら着てみて下さい」

 

 何より値段も手ごろで、ちょっとした羽織り物が欲しいと思っていた今日の探し物にぴったり合致する。

 蘭は店員の勧めににこやかに頷き、試着室に向かった。

 こんなに早く探し物が見つかるなんて、今日は良い日だ。

 些細な事を心から喜び、蘭は着ていた少し重たいコートを脱いだ。

 嬉しさにはしゃいだ顔でブルゾンに袖を通しながら、彼…コナンの方も何か良い掘り出し物が見つかっただろうかと、思いを巡らす。

 

 

 

 快晴の週末、蘭とコナンはそれぞれ別々の用事で一緒に米花駅前のデパートにやって来ていた。

 蘭は春物を探すのが目的、コナンは書店やゲームショップをひやかすのが目的。別行動で過ごし、二時になったら三階のカフェで落ち合う約束だ。

 デパートに入ったところで再度時間を確認し、二人はそれぞれの目的地に向かった。

 蘭はエレベーターで六階へ。

 コナンはエスカレーターで二階へ。

 二人、たまには単独で気の向くまま楽しむ買い物を始めた。

 そして蘭は、三つ目に訪れたショップで目当ての物にたどり着いた。

 まさにこんな物を探していたと、希望にぴったり沿う色、形。他の物に目が行かぬほど釘付けになった。

 実際に着てみると、より欲しくなった。今日着てきた服にも合うし、持っているワンピースにも合わせられそうだ。

 

 色もいいし、肌触りも柔らかくてすてき

 

 思わず独り言がもれる。

 そんな自分に少し照れながら、蘭は正面の鏡に右から左から姿を映してうんうんと頷き確認した。

 サイズも申し分なしだ。

 後で見せた時、彼はどんな反応をするだろう。

 多分、きっと…自分に都合の良い展開を想像しながら、蘭はぴかぴかと頬を輝かせた。

 試着を終え、元通りハンガーにかけて試着室を出る。良い返事を待ちかねている店員に蘭は笑顔でブルゾンを渡し、購入する旨を伝えた。

 

「ありがとうございます! ではこちらへどうぞ」

 

 

 

 ショップのロゴが入った袋を肩にかけ、弾む足取りで蘭は通路を進んだ。

 一番に欲しかった物が無事手に入り、非常に気分が良い。満足感でいっぱいだが、買い物する楽しさをもっと味わいたい気持ちもあった。

 待ち合わせの時間までまだ余裕がある。

 ゆったり見て回って丁度良いだろうと、蘭はそぞろ歩きを始めた。

 今買ったブルゾンに合う物を買おうか。

 あのスカートもいいな。

 あっちのセーターも合いそうだ。

 これはちょっと…高いな。

 あ、可愛いブーツ。

 ゆったりとした足取りで、時に立ち止まり、蘭は心行くまで買い物を楽しんだ。

 

 

 

 

 待ち合わせ場所に選んだ三階のカフェは、辺り一帯甘い匂いに包まれていた。三階にたどり着いた時から、その前から、心躍る優しい匂いが漂っていた。

 温かみのある甘い匂いの正体は、焼き立てのバームクーヘンのそれだ。

 蘭はそれをこっそり胸一杯に吸い込み、なんて幸せなのだろうと頬を緩めた。早く食べたい、一緒に美味しいって言いたい。はやる気持ちのまま足早に進む。

 まず目についたのは、隣接する販売コーナーに出来た人だかり。ここで買える焼き立てのバームクーヘンは評判もよく、わざわざ遠方から買いに来る人もいるという。

 それほど名高い評判のバームクーヘン、一度食べてみたいと、常々思っていたのだ。だから今日、ここを待ち合わせ場所に選んだ。

 焼き立てのバームクーヘン…一体どんな味だろう。

 蘭は一旦立ち止まった足を再び進め、店の入り口を目指した。

 と、数人の待ち客の最後尾に、彼を見付ける。

 販売コーナーに出来た人だかりを、感心したような、呆れたような目で眺めていた。

 何とも彼らしい表情にちょっとのおかしさが込み上げる。

 近付いて普通に声をかけようとして、ふとある事を思い付く。

 他愛ないいたずら心を胸に、蘭は一歩また一歩と近付いていった。

 少し手前で蘭に気付いたコナンは、嬉しげに顔を上げにっこり微笑みかけた。

 そんなコナンの正面で立ち止まり、背を屈めると、蘭は口を開いた。

 

「あら、ボク、誰かと待ち合わせ?」

 

 耳にした言葉に一瞬ポカンと呆気にとられるも、コナンはすぐに気を取り直し調子を合わせた。

 

「うん、そうだよ」

 

 大きく頷き、じっと蘭を見つめる。

 

「へえ、誰と待ち合わせ?」

「……えっとねー」

 

 コナンは苦笑いを浮かべ口籠った。さてなんと答えるのが彼女の希望に一番沿うだろうか。指をさせばいいか、名前を言えばいいか。それとも。

 

「待って、当ててあげる。好きな人でしょ」

 

 照れくささに唇がむずむずするのをぐっと堪え、蘭は満面の笑みでそう言った。

 

「……違うよ、好きじゃない」

 

 不機嫌さを声に表し、コナンは首を振った。思いがけず刺々しい口調になってしまった自分に驚くが、これだけは譲れないのだと女を見やる。

 それまでにこにこと上機嫌だった蘭の瞳が、一瞬にして不安に染まる。

 コナンはそれを真っ向から見据え続きの言葉を口にした。

 

「大好きな人だもん」

 

 不安げだった瞳は不満げに替わり、すぐに嬉しさに変わった。

 

「あ…はい」

 

 そして蘭は小さく答えた。

 唇には、くすぐったくなるような微笑が浮かんでいた。

 コナンはそれを瞬きもせず…出来ず、力んだ瞳でじっと見つめていた。

 大好きな人だときっぱり言い切った真摯な態度の裏側で、必死に恥ずかしさと戦っていた。彼女にその意図は全くないだろうし、自分が勝手に思い込んでいるだけなのだが、まるで誘導尋問にかかったかのようで、たまらなく恥ずかしいのだ。

 好きどころではない、大好きでも収まらないほど好きな人に違いないが、改めて口に出すのはこれほど恥ずかしい。

 出来る事なら今すぐ大声を張り上げてかき消したくなる。わあわあと騒ぎ立て、ごまかしてしまいたい。

 一方で清々しくもあった。

 他では滅多に得られないような充足感が、身体中渦巻いている。

 だから、恥ずかしさゆえ逃げ出したい気持ちを何とか押しとどめる事が出来た。

 蘭は小さな手をすくい取ると、晴れやかに笑んで言った。

 

「私も、好きじゃない人と待ち合わせしてるんだ」

 

 そう言って自分を…自分の奥にいる自分を熱心に見つめてくる瞳にコナンは泣き笑いに顔を歪めた。

 嬉しいのだが、もう勘弁してほしい。その気はなくともからかわれているようで、いたたまれないのだ。

 だからどうか、そんなにまっすぐな眼差しで見つめないでくれ。

 何と言ってよいやら分からず、コナンは縋るように女を見上げた。

 

「だから一緒に行こっか。コーヒーご馳走するわ」

 この前もその前も、ご馳走になっちゃったし

 

 だから今日は自分の番と、蘭は繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

 熱い程の手のひらから、女の愛情がとめどなく流れ込んでくる。自分も同じ熱さになっていく錯覚に、コナンはゆっくり笑みを浮かべた。恥ずかしさに縮こまっていた気持ちが、ゆっくり溶けていく。

 嗚呼、なんて良い気分。

 

「……うん、いただきまあす」

 

 コナンもしっかりと握り返し、まっすぐ見上げた。

 

 それで、蘭姉ちゃん、良い物買えた?

 うん、とっても可愛いの見付けたの

 ホント、後で見せて

 うん、見てね。コナン君の方は?

 ボクはねえ……

 ……あら、良かったじゃない

 

 互いの戦果を報告し合い、会話がひと段落ついたところで、丁度良く空席への案内がなされた。

 

「焼き立てのバームクーヘン、楽しみだなあ。ね、コナン君」

「ホントだね」

 

 明るい窓際のテーブルに落ち着き、うきうきと声を弾ませる蘭にコナンは同じくにっこりして頷いた。

 実際はさほど待ち遠しいと思っていなかったが、彼女の声を聞くともう楽しみで仕方なくなって、そわそわしてくる。引き込まれてしまう。そんな不思議な力があった。

 

「私はバームクーヘンセットで、飲み物は、うーん……ホットミルクにしよう。コナン君は?」

 

 彼女の声はいつも楽しさを、元気を、喜びをくれる。

 何よりこんなに力になる。

 

「ボクも同じのがいいな」

 

 だから好きじゃないんだと、コナンはしみじみと幸いを噛みしめた。

 

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