チクロ

春の月夜

 

 

 

 

 

 ジョイ通いこー

 上杉のいつもの号令で集まったいつものメンバーで、ぞろぞろと校舎を出る。
 今日は風もなく穏やかで、一枚また一枚と桜の花びらが煌きながら舞い散り風景を彩っていた。
 歩きながらその様子に目を取られ、桜井僚は、またもバランスが傾くのを感じていた。
 隣では、上杉が稲葉や南条相手にどうしようかねえ、とのんびりした声を出している。彼らが話しているのは進路についてだ。始業式の後教室で配られた進路調査票を手に、それほど困ったようには見えない顔で、上杉は悩むなあと言葉を続けた。

 三年生ですってよ、とうとうオレ様たちも受験生
 大学どうすん?
 いやあ、絶賛お悩み中
 みんなはどうなの?

 上杉は振り返り、後ろを歩く女子の面々に尋ねた。彼女たちも同様にまだはっきりとは決めかねている状態だった。

「はっきりしてるのは南条だけかあ」
「そうでもないぞ」
「そうでもあるっしょ、継ぐし、どこでも選び放題だし、あーあ……羨ましい」

 上杉はため息交じりに笑い、南条はいささか不機嫌な顔になる。以前の南条ならば絡まれても冷たく切り捨て無視を決め込んだところだが、今は遠慮なく顔にも口にも出すようになった。中々辛辣な時もあるが、上杉も負けてはおらず、むしろ嬉しそうにかわしてみせたりした。始めの頃はお互い距離感が上手く掴めずいて、どこまで口に出していいか模索して、ここまできた。南条は抑えつつも自分の気持ちを口に出し、上杉は飄々とそれをかわす。時に稲葉が加わり加熱する事もあるが、険悪なのはその場限りで、後に引きずる事はなくなっていた。
 今日もそのようにして、やいのやいの言いながら仲良く並んで歩き、まず初めの目的地のゲームセンターに着いたところで、話題はぱっと切り替わる。

「よっし南条、今日こそ負かしてやるらな」と稲葉。
「ああ、一度くらいは貴様に勝ちを譲ってやりたいものだ」と南条。

 カードゲームで勝負するのが、二人のこのところの流れになっていた。彼らが張り切るのを横目に、上杉は僚に対戦ゲームを申し出た。クレーンゲームに向かうもの、写真を撮るもの、パンチングマシーンで腕試しするもの…皆それぞれ散らばって、時に集まって、放課後の時間を満喫した。

「桜さん、最後に一回、お願い! これで決めるから!」
「それで三回目だよ上杉、最後の一回」
「いやホント、これでマジで最後にするから、お願い!」
「わかった、いいよ」

 指先まできちっと揃えて拝まれては、むげに断れない。僚は勝負を受けた。機種は最新のゲームで、キャラクターを操り各種障害物をよけて先にゴールした方が勝ち、というものであった。
 結果は僚の勝ちであった。途中まではいい勝負で並んだが、最後のコースで油断した上杉の単純ミスで、勝ちを譲る形になった。

「ああー…こっそり特訓したのに!」
「あそこで間違えなきゃ、あんた勝ってたのにね」

 途中から見物に来た綾瀬が、もったいないミスだったと肩を竦めた。

「ね、あそこでなんでミスったかね、もー悔しいー。桜さんて、何やっても強いよな」
「でも射撃は、上杉の方が目がいいよ」
「まあね、あれはオレ様のだからね」

 一つくらいは取り柄があると、上杉は機嫌を直して笑った。
 そこへ、ゲームを終えたのか稲葉と南条がやってきた。二人の顔色を見るに、今日も南条が圧勝したようだ。心なしか上機嫌の南条と見るからに不機嫌な稲葉。ここではおなじみの光景だ。対照的な二人が、言っては悪いがおかしかった。

「南条いいとこきた、たまにはこういうのやってみない?」

 上杉は伸び上がって声をかけた。こういった類のゲームに不慣れの南条相手ならば、勝つ快感を味わえるだろうという、単純な思考からだ。

「上杉、それはずるい」

 意図を読み取った僚は笑いながら席を立ち、南条に譲った。

「ええ、だってさあ」
「上杉そこ代われ。南条、次はこれで勝負な」

 稲葉が強引に割って入り、南条もまた有無を言わさず座らされる。

「おいなんだ、俺はこういうのはわからんぞ」
「南条なら大丈夫、一回やればすぐ飲み込めるから」

 僚は画面横の説明書を指差し、基本の操作方法とルールを教えた。

「てことで稲葉、一回目は練習試合でいいよな」
「おお、いいぜ。その後三回勝負な。負けた方がおごりな」
「おい待て……」

 稲葉はさっさと硬貨を投入し、ゲームをスタートさせた。

 

 

 

 ほらよ、とぞんざいに缶コーヒーを押し付ける稲葉の手から受け取り、南条はまんざらでもない顔をしてみせた。

「ま、俺にかかればこんなものだな」
「マグレだっつうの……くそ、次は負けねーからな南条」
「懲りない男だな」

 鼻先で笑う南条に、稲葉は奥歯をぎりぎりと噛みしめた。

「でも南条、ほんとに飲み込みいいな」

 自分で言った事だが、思った以上に会得の早い南条に僚は内心舌を巻く。

「教え方が分かり易かったからな」

 それに途中途中のアドバイスも利いていたと続けられ、むず痒くなる。

「南条はなんでも一番だね」
「当然だ上杉、次は、桜井にも勝つ」
「お、打倒桜さん宣言ですか、南条やる気満々だね」
「当然だ、覚悟しておけ桜井」

 稲葉との勝負で調子の出た南条は、続けて僚に勝負を挑んだが、まだ歯が立たなかった。しかし手ごたえは感じられたようで、南条は次が楽しみだと口にした。

「うわ南条こわーい、どうしよ桜さん」
「じゃ俺も、上杉見習って特訓しとこ」
「南条なんかに負けんなよ桜井」

 稲葉が応援に加わる。南条はその目の前で、先ほど彼から受け取った缶コーヒーを悠然と飲んでみせた。
 ゲームセンターを出ていくらか街をぶらついた後、また明日と解散の流れになった。その最後で上杉がちょっとコンビニに寄りたいと言い出し、皆で寄る事になった。

「大分暖かくなったよなー」
「ねー、もうすっかり春だね」
「見てほら、春限定のドリンク、これにしよっと」

 わいわいと買い物を楽しむ彼らにまじって僚も棚を見て歩き、何かめぼしいものはないかと探した。菓子類のコーナーでつい目が行くのはココア味のもので、新製品に詳しい上杉がこれは歯応えがいい、これはちょっと苦めで大人の味だ…といった具合に都度おすすめ具合を教えてきた。
 どういう意味合いで見ているかはわからないだろうが、彼の説明はとても役に立つもので、僚は熱心に耳を傾けた。
 大袋に入った品を手に、上杉は目を輝かせた。

「これは特におすすめだよ桜さん。見てこれ、こんだけ入ってて安くて、でも味は全然安っぽくないの。これお得、おすすめ」
「オマエはこういうのホント詳しいのな」
「マーク、オレ様に惚れちゃう?」
「……アホか」

 稲葉はひらひらと手を振り、別の棚に歩き去っていった。
 以前は彼らの他愛ないやりとりが大好きで大嫌いだった。そんな自分が嫌だった僚だが、今は肩の力を抜いて自然に楽しむ事が出来た。
 店の入り口で、また明日と別れ一人になる。みんなの背中に手を振って一人で家路につく時、以前ならば言葉にしがたい重く冷たいものが襲って歩みを遅くさせたが、今はほとんど感じる事がない。
 そりゃ少しはすうすうと心を吹き抜ける、さっきまでうるさい程賑やかな中笑ってばかりいたのだ、落差に何も感じないわけがないが、あの頃のような目眩に似た暗さはもうない。
 なんだかわからないものに必死にしがみ付いて、いつも何かに追い立てられているようで苛々していた。常にバランスはがたがたで、あっちにこっちに極端に傾いてばかりだった。
 今はまあ、少々の揺れで済んでいる。
 少しはまともになったようだ。
 口の端っこで笑う。
 一人の帰り道、ふと吹き抜ける風は柔らかで、そう冷たさを感じない。もう、冬の冷たさは含んでいない。
 昼間は日差しで、今は風で、春を感じる。なんだか嬉しくなる。目に美しい桜とまた違った春の感じられ方に、僚は頬を緩めた。
 ふと見上げた空には、月が浮かんでいた。ぽっと少し潤んだ、優しい光がそこにある。
 綺麗な月を眺めていたら、無性に男に伝えたくなった。
 メールでも送ろうかと携帯電話を取り出す。
 どんな文に気持ちを乗せようか思案する傍ら、僚は昼間に送られたメールに再び目を通した。
 今後ともよろしくと結ばれた文に、こちらこそと心の中で返す。
 男に送る文面を整え、送信ボタンに指をかけたところで、僚は夜空を見上げた。濃い菫色、いや深い藍色…何とも表しにくい夜空に、月がぽっかり浮かんでいる。

――見てる? 丸くてぼんやりしてて綺麗なものが出てるよ

 歩を進めながら送信して、さらにずんずん歩きつつ、僚は思い浮かべる。今頃、向こうの携帯電話がビリビリ鳴っている頃だろうか。
 仕事中だから、周りに気付かれないようにこっそり見てたりなんかして。
 頭の中で、男の行動を繰り広げる。そんな他愛ない妄想に耽っていると、電話の呼び出しが鳴った。発信者に思わず目を見開き、すぐに応答する。

「もしもし?」
『奇遇だね 丁度自分も、君に伝えたいと思っていたところなんだよ』

 聞こえてきた男の柔らかな息遣いに、僚はついにやりと笑んだ。

「え、と、じゃあもう帰ってる?」
『いや、今は少々、サボり中だ。君はアパートのベランダから?』
「えー…と、俺もちょっと外」
『おや、初日から寄り道かい』
「うん、鷹久の好きそうなおやつ探してたら、こんな時間になっちゃって」
『そいつは、ご苦労な事だ』

 わざわざありがとうと続く感情のこもった声が、僚をむず痒くさせる。電話でよかった、きっとみっともないほど顔が赤くなってるに違いない。

『遠いなら迎えに行くよ』
「ううん大丈夫、もう着くとこだし」

 続けて僚は、あの花びらをちゃんと去年と同じにした事を男に伝え、昼間のメールについてや、今日あった事や、いくらか他愛ないお喋りを交わした。話しながら、一年経ったのだなあとあらためて思いにふける。

「じゃ、あんまり仕事の…サボりの邪魔しちゃ悪いから、これで」

 笑いながら告げると、男の方も似たような息遣いに変わった。どんな顔で笑っているのか手に取るようだった。

『メールありがとう、嬉しかったよ』
「うん……じゃあ、また金曜日な」

 お疲れ、お休み。
 通話を終えてポケットにしまい、僚は一つため息をついた。
 男に出会って、一年経ったのだな。
 なんだか、目に映るものが全部新鮮に感じる。それが面白い。面白いと思う余裕がある事も面白い。
 アパートへの緩やかな坂道に差し掛かり、そこはあまり人通りがなく目立たないからと、僚は月を見上げて歩き続けた。
 眺めながら、男も同じように月を見ているのだな、会社からだとどんな風に見えているのだろうと、思いをはせる。
 部屋に引っ込む前にもう一度春の月夜をじっくり眺め、僚はドアを開けた。

 

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