チクロ
痛い励まし
キャーと歓声を上げながら、綾瀬優香は飛び跳ねた。手には、たった今クレーンゲームで獲得した二つのポーチがしっかり握られている。片方は妙な形のカエル、もう一方はパンダもどきのぬいぐるみ。それぞれ背中にファスナーがついており、物入になっていた。 ゲーム機を取り囲むように観戦していた稲葉と上杉は、二つ同時獲得を果たした桜井僚に、驚きの眼差しを注いだ。 当の僚も、まさかこんな芸当が自分に出来るとは思ってもいなかった為、右で飛び跳ねる綾瀬と、左に並ぶマークとブラウンにそれぞれ視線を送り、びっくりしていると何度も目を瞬いた。 「桜井マジさいこー! あんたマジ天才!」 手にしたポーチを交互にぽこぽこ当てながら、綾瀬は最大級の誉め言葉を口にする。 ようやくじわじわ実感が湧いてきた僚は、大きく肩を上下させ、安堵した。 放課後、いつものように上杉に誘われた僚は、ジョイ通りにあるゲームセンターに立ち寄り、いつものように対戦ゲームに興じていた。 コンピューター相手に黙々とゲームに没頭する事もあれば、ブラウンやマークからの挑戦を受けて対戦する事もあった。 今日もそのようにして、時々彼らと楽しみながら遊んでいると、綾瀬に腕を掴まれた。 どうしても取りたい景品があるのだが、自分と稲葉と上杉と、三人がかりでも上手くいかない、最後の頼みの綱として、どうか取ってくれと、ゲーム機の所まで引っ張って行かれた。 ――桜井、あんたこういうの得意そうだからやって! 駆り出された僚は、取れなくても恨みっこなしだと念を押し、渋々向き直った。その背中に綾瀬が『やだ、恨む!』と檄を飛ばす。 ――取れたらアヤセの特製プリクラ上げるから! あとピーダイの限定パフェおごる! だからマジお願い! ほとんど叫びに近い祈りを浴びながら、僚はクレーンを操作した。アヤセと反対側に並ぶマークとブラウンが、クレーンの位置を事細かに伝えてきた。 しかし一度目は空振りであった。これまで、冷やかし程度にほんの数回しか触った事がないのだから当然だ。 もう少しだ、惜しい、と上がる声を聞きながら、僚は頭に閃いた事を試そうと、もう一回挑戦した。 綾瀬が欲しがる景品は、落とし口のすぐ傍で斜めに傾いていた。三人がかりでここまで運び、あと一歩で落ちてしまったのだと、上杉は顔をしかめながら言った。 僚は慎重にクレーンを操作し、斜めに傾いだ景品の頭をかすめるようにして降下させた。 それを見て稲葉らは見当外れだと不満の声を上げたが、クレーン本体によって更に傾きが増した景品を見て、意図を察し、がらりと声を変えた。 クレーンが何もない宙を挟み、ゆっくりと上昇していくのと入れ替わりに、景品は落とし口に転げていった。嬉しい事に、隣り合ったもう一つも続けて落下した。 それを見て綾瀬はうそ、と高い声を上げ、取り出し口を開けた。そこに間違いなく二つの景品が並んでいるのを目にし、間髪を入れずキャーと歓声を放つ。 ちょーうれしー 桜井さいこー! 「やっぱりねーアヤセの思った通りだわ。あんたこういうの、得意そうな顔してるもん」 「そうか?」 「うん、取ってくれそうな顔してる」 「どんな顔だよ」 「もー、いいとこあるじゃん桜井」 綾瀬は満面の笑みで肩を叩いた。 どしんと伝わってくる衝撃は中々のもので、僚は目を白黒させた。それほど嬉しいのだろうと思うと、ちょっとおかしくなる。 遅れてやってきた咳にむせていると、稲葉と上杉が代わる代わる褒めたたえた。単なる偶然の産物で、いつもこう上手くいくとは思えないので、助っ人はこれきりにしてほしいと苦笑いで肩を竦めた。 「あんたって顔だけじゃないね、マジいいやつ!」 「はは、調子いいのな」 「まーいーじゃん、はーサイコー。んじゃ約束だから、ピーダイ行こっか」 はしゃぎすぎて喉が渇いたと、綾瀬は号令をかけた。 四人はゲームセンターを後にして、通りを少し進んだところにあるファーストフードに向かった。その道中には古着屋やアクセサリーショップなどがぎっしりと並び、いずれも人で混み合っていた。 それぞれ冷かしながら見て回る。店先にあるシャツやスカートの類を身体に当て、似合うの似合わないのと即席のファッションショーをしては笑い合い、露店のリングやネックレスを吟味し、また笑い、大いに楽しんだ。 「じゃあこれ、例のモノ」 件の店に到着し、眺めの良い窓際の席に着いたところで、綾瀬は約束した限定パフェのグラスを僚に渡した。 ありがとうと一旦は受け取った僚だが、やはりもらえないので返すと、元のトレイに戻した。 「え……ちょっと」 「いいから。食べたそうな顔してる」 「……なに、もー。約束したんだから、素直に奢られとけって」 綾瀬は綺麗に引いた眉をつり上げた。その後に続いて、稲葉と上杉が口を挟む。 「そうだよ桜井、もらっとけもらっとけ」 「桜さんがいらないなら、じゃあオレ様がもらおっかな」 「アンタはダメ!」 隣から伸びる上杉の手をぴしゃりと叩き、綾瀬は正面の僚に頬を膨らませた。 僚は首を振り、本当にいいのだと笑った。 「綾瀬、早く食べないとアイス溶けるよ」 グラスの縁から今にもソフトクリームが垂れそうだった。アヤセは慌ててスプーンを手に持ち、最後にもう一度確認した。 「アヤセの奢りはやだっての?」 「そうじゃないよ、気持ちだけで充分だし」 ほら、早く食べろと急かし、僚は買ったドリンクに口を付けた。 綾瀬は納得いかぬとため息を吐き、スプーンに一杯のソフトクリームをすくって口に運んだ。 「桜井、甘いもの好きじゃん。だってほら、お弁当のデザート、絶対欠かした事ないし」 「よく見てるな」 「見るもなにもアンタ、いつもすっげー幸せそうな顔で食べてんのに、あれ自覚ないの?」 だらしない顔という訳ではないが、しみじみと浸っているのは一目瞭然だと、綾瀬は続けた。 それを聞き、僚は何とも言えぬ気分に見舞われた。落ち着かせようと、ひたすらコーラを流し込む。強めの炭酸に喉が焼けるようであった。 照れ隠しの行動なのは誰の目にも明らかで、隣の稲葉が肩を小突く。 「おい、どしたよ桜井」 「マジで自覚ゼロなの?」 綾瀬は食べる手を一旦止め、芝居がかった動きで大げさに息を吐いた。 「あんたね……」 その顔で甘いもの好きってとことかうけてて、他のクラスや一年の子にかわいーって騒がれてるの、知らないの…知らなかった。僚は曖昧な顔で頷いた。 「桜さんのそういうとこが、モテるんだよね」 実はオレ様も知ってると、上杉は口を開いた。一年のバッジを付けた女子数人が、クラスを覗きなにやらはしゃいでいる場面に遭遇した事があった。 「あのかわい子ちゃんたち、てっきりオレ様探しにきたかと思ったんだけど、実は桜さん狙いでさー。ちょーっとトホホ気分だったわ」 「桜井…こりゃ絶対女の子の一人二人泣かしてるわ。あーあ、このスケこまし」 「……ひどいな」 好き勝手話を進め、更には責めてくる綾瀬に、僚は苦い顔で応えた。 「おやアヤセちゃん、桜さんにホの字かな?」 「バッカじゃないのあんた」 「きびしー。ちょやめて、そんな目で見るのやめてアヤセちゃん。オレ様泣いちゃう」 「勝手に泣いとけバーカ。話戻すけどさ、でも今日はちょっと見直したかも。やっぱさー、ここぞって時に決める男ってかっこいいもんだし」 マジカッコよかったよ桜井 「そりゃどうも」 無邪気な笑顔の綾瀬につられて、僚も少し笑った。 「確かに、ありゃオレ様もちょっとホレそうになったもんね」 「だからさ稲葉、今度園村の前で決めてみなよ。あんなカンジでやれば、絶対園村も惚れるって」 「え、おい……何言ってんだよ!」 突然想い人の名前を出され、稲葉は素っ頓狂な声を上げた。隣に座る僚は、彼の心中や体温の移り変わりなどが、手に取るようにわかった。気のせいかもしれないが、熱が伝わってくるようでもあった。 「お、マークやっちゃう? やっちゃう?」 「やめろって」 「やんなよ稲葉。園村の欲しそうなのさりげなく調べてさ、一発決めたら、マジ落とせるから」 アヤセが保証するって 「おおっとマークのダンナ、耳まで真っ赤ですぜ――いたぁ!」 上杉は覗き込むようにして真向いの稲葉に身を乗り出した。当然ながら逆襲に合う。脳天に受けたげんこつに上杉は慌てて頭を押さえ、背もたれに寄り掛かりながら暴力反対と目に涙を浮かべた。 「桜さん助けてー」 「助けなくていい……てか桜井までにやにやすんなよ」 「いやいや、してないよ」 僚は手を振りながら、何とか顔を元に戻そうと必死に引き締めた。しかし、実に見事な赤面とうろたえぶり、しどろもどろになる稲葉の態度はどうしても笑いを誘い、堪えるのが難しい。 からかうつもりは一切ないが、彼の純情ぶりにはつい笑ってしまう。頑張って頑張って、僚は出来るだけ神妙な顔をした。 「……ったくよお」 まだほんのり赤みの残る顔で頬杖をつき、稲葉はドリンクを啜った。 「まあまあマーク、機嫌直せって。ほらこっち向いて、オレ様のポテトあげるから」 「うっせ。いいかオマエら、園村に言ったらぜってぇ承知しねぇからな」 「りょーかい。でもさマーク、やるときゃやるのもオトコだよ。当たって砕けろって言うじゃん、ねえ、桜さん」 「桜井はそういうの無縁だろ……どうせ」 ふてくされた面で、稲葉は横目に見やった。こいつは女子からの告白に悩む方で、女子にどう告白するかなんて悩んだこともないだろうと、逆恨みに近い目を向ける。 目は口程に、とはよく言ったもので、僚は、彼が何を考え眼差しに乗せているか、手に取るようにわかった。 「別にそんなことない」 「んじゃ桜さんはどっち派? 言わない派? 当たって砕けろ派?」 好奇心のかたまりとなって上杉は身を乗り出した。 僚はその分だけ身を引き、正面から横から斜め前から向かってくる視線に小さくため息を吐いた。頭に、誰かの姿が思い浮かぶ。 自分の一番大切な人に向けるつもりで、僚は言葉を紡いだ。 「俺は……それが、ほんとに好きな人なら、なにがなんでもいくな」 「……おおー」 「へえー、桜井そうなんだ。ますます見直したかも。ね、アヤセの未来の旦那様候補に入れたげるー」 「そりゃありがたいけど、遠慮しとく」 僚は困ったように笑い、当たり障りのない答えを口にした。そうそう、やめとけやめとけ……稲葉と上杉が、代わる代わる口を挟む。当然綾瀬はむっと顔をしかめ、お前らに言ってないと噛み付いた。そこからしばらく、わいわいと賑やかに言葉が交わされた。飛び交う言葉は遠慮も何もなく、感情むき出しでどれも攻撃力たっぷりであったが、ぽんぽんと紡がれるそれらは不思議と聞いていて楽しかった。 教室でいつも展開される、おなじみの光景だ。 エルミンではクラス替えがなく、基本三年間同じメンバーで学園生活を送る。だから今いる彼らとの付き合いも、短くも長い。一年の頃はひどく耳障りに感じられ、中学の頃から引きずっていた苛々がくすぶる事もあったが、何かの折に仕方なくも言葉を交わして人となりに触れるにつれ、段々と考えが変わっていった。 綾瀬と稲葉、双方全力でぶつかるものだから時に険悪になる事もあったが、そういう時必ず上杉が絶妙のタイミングで口をはさみ、互いの気を削いでくれた。呆れて一瞬言葉が途切れるのだが、そういった冷却が挟まれる事によって、本当に険悪にならずに済むのだ。ここまでむきになる事もないと思い直すきっかけにもなるし、時には、水を差した上杉への抗議が始まる事もあった。 そうなると上杉は大慌てで得意のダジャレを披露して、なんとか場を収めようと躍起になるが、大抵はそっぽを向かれた。それでもめげずに次々繰り出し、みなに呆れられても、上杉は得意げに大笑いしてみせた。 付き合ってられぬと、稲葉が別の話題…最近発売されたゲームの進行具合や攻略法、昨日のテレビ番組、今日の授業の事や気になる事柄を口にする、そこに真っ先に上杉が話題に乗って、話はあちらへこちらへ奔放に転がっていくのが、いつものパターンであった。 次から次へお喋りは尽きない。別の話題に移ったかと思うとまた戻り、かと思うと別の方向へ大きく飛んで、そこから派生が芽生えて、まったくもってまとまりはないのだが、言葉を交わすのが愉快だった。 僚は大抵の場合聞き役で、積極的に言葉を繰り出す事はなかった。これは一年の頃から変わらず、多少は増えたものの聞かれて答える以外では口を噤んでいた。 よっぽどはちゃめちゃな場合は反対するが、それ以外は各々が出した判断に賛同する事が多かった。 誰が何を言ったところで、最終的に決めるのは自分だ。自分と向き合い、納得して出した答えこそが最良だ。だから、人にああしろこうしろと口を出す事もないし、聞き入れる事もまた少なかった。 最後の判断は自分にかかっている。 だから僚は、稲葉の判断に黙って頷いた。 「とにかくオレはオレのやり方でいくから、オマエら口出すな」 上杉も同じく、何か云いたそうにむずむずと唇を動かすが、最終的には「りょーかい」と椅子に寄り掛かった。 しかし綾瀬はそれでは収まらないようで、口の中で『バカみたい』と繰り返した。 稲葉は聞こえない振りを決め込み、勢いよくドリンクを流し込んだ。 そんな稲葉に思い切りしかめっ面を向けた後、綾瀬はグラスの底の方に残ったパフェを勢いよく口に運んだ。 好物を口にしていつまでも不機嫌な面でいるのは難しいもので、食べ終わる頃にはすっかり晴れやかな笑顔になった綾瀬は、ごちそうさまとスプーンを置いた。 「もーマジヤバのげろうま!」 「いい食べっぷりだったよお」 上杉が茶化すが、ご機嫌な綾瀬の笑顔を崩すのは叶わなかった。 各々頼んだメニューも食べ終わる頃で、次はどこへ行こうかと、それぞれ時計を確認する。 休日ならばまだ時間の余裕はあるが、今日は平日週の半ば、そろそろ解散の時間が近付いていた。 「そうだ桜井、このパフェの代わりじゃないけど、いいとこあるから連れてったげる」 綾瀬は手早く帰り支度をしながら、一つの提案をした。 |
綾瀬に案内され着いたのは、最近この界隈に出来た六階建ての雑貨デパートだった。 その地下にある格安のお菓子売り場がおすすめなのだと、綾瀬は道中説明した。 「見たら絶対気に入るから」 そう太鼓判を押す綾瀬に続いて、三人は中に入った。 地下に向かう階段を下りようとしたところで、四人は偶然にも見知った顔に出会った。 園村と桐島である。 放課後、上杉が遊ぶメンバー集めに二人にも声をかけたが、一緒に買い物に行く約束を先にしていたのでまた今度と断られていた。 二人は、このデパートの三階にある書店を巡っていたそうだ。それぞれの手には、書店名が印刷された茶色の袋が抱えられていた。 思いがけない遭遇に、驚きと喜びを入り混ぜて挨拶を交わす。 ナニ買ったの? 私は、ずっと欲しかった画集を。エリーは相変わらずのこわーい本 ちらっとですけど、文房具も見てきましたの。書店同様、とてもいい品ぞろえでしたわ そうそう、優香が好きそうな可愛いペンとかシールとか、色々あったよ マジ? 今度一緒行こうよ うん、行こう行こう そうだ、今日ね、桜井マジすごかったんだよ えー、なになに、えー、ほんと! 綾瀬は、二個同時獲得の証を二人に見せながら僚を振り返り、目を輝かせて話して聞かせた。 「そうそう、桜さんのあのスーパーミラクルテクニック、お二人にもお見せしたかったわあ」 上杉の過剰な持ち上げに、僚は慌てて首を振る。三人が先にちょうどいい場所まで運んでくれていたからこその、ミラクルなのだ。自分は最後に来て良いとこをつまみ食いしたようなものだ。 「この奥ゆかしさ、たまらんね桜さんは」 上杉は腕を組み、大げさに首を振った。 女子たちがきゃあきゃあとはしゃぐ横で、上杉はにやにやと面白がる目で稲葉を見やり、時折、園村へと目配せした。 それを稲葉は律義に一回ずつ目線で叩き落とし、黙ってろと脅しをかけた。 相変わらずのコンビに僚は、笑いを堪えるのが大変であった。二人は一切口を利いていないが、双方何を言っているか手に取るようにわかった。静かな攻防にますます腹がよじれた。 上杉を睨み、稲葉は頼み込むように僚を振り返った。 僚は調子を合わせ、わざとらしく目を逸らした。隣で上杉が、そうだそうだと、うんうん頷いている。 今にも稲葉が掴みかかろうとしたその時、綾瀬が、せっかくだからみんなで行こうよと提案した。 「お、いいっすねえ。みんなで行きましょ」 上杉はひらりとかわし、その後を渋々稲葉がついて、僚も一緒に階段を下りた。 地下は主にパーティーグッズが置かれており、その際の変装用衣装、小道具、多人数で遊べるゲーム類や、飾り付けに使う様々な色のキャンドル等が並んでいた。 品揃えの豊富さに歓声を上げて上杉は駆け出し、変装用のかつらを手に取った。真っ赤なアフロヘアのかつらを頭に当て『似合う?』と満面の笑みを浮かべる。 「ますますいい男になったと思わない?」 「上杉、アンタじょーだん抜きで似合ってる。マジで」 「ホント? アヤセちゃんのお墨付きなら、オレ様自信持っちゃお」 ニコニコと上機嫌の上杉に、稲葉が近くの棚で見つけたとっておきを差し出す。 「オマエはこれかぶってりゃいいんだよ。明日からそれな」 「うわ、マークこれどこにあったの? マジ馬! 馬!」 「え、すごい、すっごくリアルだねそれ」 頭にすっぽりかぶる馬の頭に、園村を始めみな口々に驚きの声を上げた。 上杉は試しに頭にかぶり、腰に手を当て仁王立ちになった。 「どうよこれ桜さん、明日からオレ様、ブラウン改めホース君で!」 「いいや、うまづらくんだわ」 「そりゃないよマーク……これちょっとゴム臭くてつらいっす」 上杉は慌ててマスクを外し、棚に戻した。 綾瀬が、からかい交じりに笑う。 「止めんなよ上杉、マジ似合ってたのに」 「そりゃ嬉しいけど、この俺様の美貌が隠れちゃうのは、皆様の大損失ですから」 「……言ってろ」 上杉の相変わらずのうぬぼれに、稲葉は半眼になってそっぽを向いた。 「それで優香、いいものってなに?」 「あ、そーだ。こっちこっち」 忘れるところだったと、綾瀬は先頭に立ってみなを案内した。 そこにあったのは、量り売り形式のお菓子売り場であった。菓子類は、ゆっくり回転する円形の台にたっぷり盛られており、好きなものを好きなだけ買えるようになっていた。 案内したかったのはここだと、どこか得意げに言う綾瀬に、僚は目を見開いた。 チョコレート、キャンディ、ラムネ、ビスケット、羊羹もどき、こんぺいとう…様々な種類の菓子が、ゆっくり回転する台の上できらきらと輝いていた。 「色んな種類あるし、激安だし。アンタにぴったり。ね、みんなも買ってこーよ」 大賛成だと歓声が上がる。 もちろん僚も同感だった。目が、チョコレートの山に釘付けになる。金色の紙に包まった平たいひと口チョコ、ボール型のもの、大きなもの小さなもの、目が離せない。自分も大好きだが、頭に思い浮かぶのは。 何を買おうかと盛り上がるメンバーに混じり、僚は小さなかごを構えた。 「あれ、桐島、かご二つ?」 「ええ、妹たちへのお土産に」 「あそっか。双子だっけ、確か」 桐島は頷き、妹たちへの分はきっちり二人分選ばないと大変で、と笑った。いつも、二人向かい合って、一つずつ分け合うのだと続ける。 「へえー、ホント大変そう。桜さんも二つだね。妹さん用か」 僚は頷いた。片方は妹用で間違いない。もう片方は、自分用ではないが。 今度マンションを訪れる際の、誰かへの手土産だ。 僚は真剣な眼差しで吟味した。 どういうものを喜んでくれるかな。 こういうの口に合うかな。 嗚呼今、一緒に選べたらいいのに。 「桜さん、桜さん」 回る台をぼんやり眺めて耽っていると、隣に並んだ上杉が耳打ちしてきた。気持ちを切り替え、どうしたかと顔を上げる。 「ねえほら見て、みんなのすげーいい顔」 とても嬉しそうににこにこと、上杉は回転台を取り囲むメンバーを指差した。言われて見てみれば、確かにそれぞれの顔はまるで輝くようであった。 「お菓子って、食べる時はもちろんだけど、選んでる時もさいこー幸せーな気持ちになるよね」 両手にかごを持ち、上杉は白い歯を見せた。 「上杉の顔が一番だよ」 僚はつられて笑い、間違いなく一番だと称賛した。 「ね、ね、ここに南条くんがいたら、どんな顔しただろうね」 「ああ、ちょっと見てみたいな」 残念な事に南条は、家の用事で今日の誘いを断った。帰り際、また誘ってくれと、上辺だけでない言葉を残していったのが印象的だった。始めの頃は渋々で、引きずられるようだったのに、楽しさを共有出来るようになったのは嬉しいものであった。 「ぼっちゃまでもこういうのお食べになるのかね」 駄菓子の部類に入る包みを一つ摘まみ、上杉は真剣な顔で唸った。 そういった他愛ないお喋りを交わしながら、僚は選びに選んだ特製のかごを持って、会計に向かった。 「桜井、買ったの? どっちが妹さん用?」 レジ係の女性の、ありがとうございましたに続いて、綾瀬がそう声をかけてきた。 僚は片方を掲げて見せた。キャンディをメインに詰めたので、間違えなくて済む。透明な袋に、三角コーンのアイスやロールケーキ、棒付きキャンディと、様々なお菓子がプリントされたパッケージで、中身を確認しやすいので、間違いはない。 「ちょっと貸して」 綾瀬は袋を掴み、有無を言わさず先ほどのポーチに詰め始めた。 「結構入るじゃんこれ。じゃ、これ。はい、妹さんにあげて」 まじ喜ぶよお 僚は一秒たっぷり呆けてから、目を瞬いた。 「え、いや悪いし、綾瀬これは」 「いーからいーから。だってこれアンタが取ったもんじゃん」 困惑する僚の肩を、綾瀬は遠慮なく叩いた。今度もまた中々の衝撃である。彼女、実は結構な力自慢だ。無意識に傾いでしまう身体を元に戻し、僚は手にしたポーチに目を落とした。こちらのポーチも欲しかったのだと、あんなに大喜びしていたのに。 「へーえ珍しいの。あの綾瀬が人に物あげてるよ」 稲葉が茶々を入れる。すかさず綾瀬はうるさいと追い払った。 「あんたにあげるんじゃなくて、妹さんにだからね」 綾瀬は念を押し、このキャラは最近の流行りで女子に大人気だから、喜ぶ事間違いなしと太鼓判を押した。 道理で見た事があると思った。僚は納得し、礼を述べた。 「わかった。ありがとな」 「いいって。アヤセのは、今度またアンタに取ってもらえばいいし」 綾瀬は目を輝かせ、にやりと笑った。 対して僚は小さく首を振り、傾げた。 「今日みたいのは、もう無理だと思うけど」 「だいじょぶだって、アンタ取る顔してんだから、もっと自信持てって」 励ましを込めて、綾瀬の手が肩を叩く。どこにそんな力があるのか、という衝撃が伝わってくる。じんじんと熱が広がっていく感触に、僚は苦笑いを浮かべた。 しかし、それも愉快だった。 無責任極まりない発言だが、不思議と力があり、その気が湧いてくるようなのだ。 彼とはまるで違う小さな手だが、威力は中々のものだ。 人の手は不思議な力を持っていると、僚はあらためて認識した。 それぞれ満足のいく買い物をして、一行はデパートを出て駅に向かった。 バスで帰るもの電車に乗るもの各々別れ、また明日と手を振り互いを見送る。 僚はバスの乗車口で手を振り、降車ドア近くの一人席に座った。膝に乗せた小さな紙袋の中には、二つの土産の品が入っている。そのせいかわからないが、やけにずっしりと重く感じられた。 気を抜くと緩んでしまいそうな頬を慌てて引き締め、窓に頬杖をつく。車内は暖房が効いており、外の寒さとの落差で、瞼がくっつきそうになった。 寝過ごして降りる駅を通過してはたまらぬと、殊更瞼に力を込める。すると、窓に自分の顔がうっすら映っているのが見えた。 自分ではなんともない顔をしているつもりなのに、妙なにやけ面がそこにあった。 僚は情けなさに口をへの字に曲げ、間もなくの発車時間を待った。 |