チクロ
そのままで
リビングの一角に据えられた時計が、間もなく出発時間になる事を二人に教える。 朝食の後片付けを済ませ、出かける準備をして、二人はソファーで思い思いにくつろいでいた。といっても双方同じくらいにそわそわと落ち着かず、見るともなしにテレビを眺めていた。天候の具合と道路状況を知りたくて付けたテレビからは、今は、番組最後のコーナーである『変わったペット紹介』が流れていた。 ソファーに浅く腰かけ、一分ごとに時刻を確認していた桜井僚は、しばし画面に目を向けた。 変わった、珍しいペットという事で、爬虫類はもちろん、時には巨大な昆虫が現れることもあった。日本に生息するものとは色形ともあまりにかけ離れていて、同じ種類なのかと目を見張る事もしばしばだ。 紹介時間は短いが、楽しく、気に入っているコーナーの一つだ。 今回は色鮮やかな大型のインコが紹介された。ゆったりおおらかに動きながら、覚えた言葉を一つずつ綴る様は、中々可愛らしかった。また、飼い主とちょっとしたやりとりも出来て、名前を呼ぶと「はーい」と応え、名前を聞かれると「まるちゃん」とちゃんと答えるのも驚きだった。飼い主の手に頭からくちばしからこすり付けて甘える様は、大きさのせいもあって小型犬がじゃれているようでとても微笑ましい。 コーナーが終わる頃合いに、男は口を開いた。 そろそろ出かけようかとの合図に、僚は顔を向けて頷き、立ち上がった。 「じゃあ俺、戸締りの確認してくるよ」 「助かる」 書斎と寝室を頼むと、神取鷹久は付け足した。 「わかった、すぐに」 きびきびと動き出した僚を見送り、神取はリビングの側を見て回った。キッチンを確認し、それぞれのカーテンを閉めながら僚の方をうかがう。 もう何度もこうして手伝ってもらっているが、見る度いつも思う事がある。てきぱきと素早い動きが、とても綺麗だと。 自分以外の人間…あのはとこ兄弟でもない、業者でもない、世界でただ一人の特別な人。そういったものが自分に存在する事、彼の動きの全てが、すっかり慣れたようで新鮮に思う。 「済んだよ」 寝室から出て、僚は告げた。ソファーの足元に置いていた斜め掛けを掴み、忘れ物がないか確かめる。 それを見て神取は、またここに戻るので心配はないと声をかける。 「さあ、出かけようか」 肩に回された男の手に僚は口端を緩め、先に立って玄関に向かった。 地下の駐車場で車に乗り込み、目的地に向けて走り出す。 海が見えて、富士山も望める場所…お互いの希望をまとめて決めた場所は、一ヶ所だけではなかった。というのも、地図上ではいくつか見つけられるのだが、そこで今日本当にどちらも楽しめるかは、行ってみなければわからない。時間を見ながらいくつか巡り、それぞれの景色を楽しむのが今回の目的だ。 行ってみるまでわからない、とても楽しみである。 よく晴れた冬の空を見上げ、道の先に目を向けて、僚は隣の男に笑いかけた。雲一つない青空がとても気持ちよくて、自然と笑みが浮かんでくる。笑わずにいられない。 間もなく一つ目の目的地にやってきた。 その少し前から海は見えていて、眩しいほどの煌きに浮かれ気分になる。海岸線に沿って伸びる道路を走りながら、富士山のある方角を望む。走るはるか先に臨む事が出来た。 白い雪、独特の青みを帯びた富士は、晴れた空によく映えた。 僚は素直にはしゃいだ声を上げた。右手に海、正面に富士山、そして綺麗に澄み渡った青空。気分はどこまでも盛り上がった。 もう少し近付いてみるかと、神取は更に車を走らせた。次の目的地までは渋滞もなくスムーズで、お喋りをしている間に到着した。彼のうきうきと弾む声はいつ聞いても気持ちよく、他愛ない笑い話さえ貴重なものになるのが嬉しかった。 たどり着いた海浜公園の駐車場に車を止め、小休憩をはさむ。 神取は公園内にあるカフェに僚を案内し、温かいものでも飲もうと誘った。 僚は頭上のメニューをひと通り見渡し、今の気分にあったものを選んだ。 「じゃあ……ココア」 今日は日差しがとても暖かいからか、つられるように気持ちが上向いて、甘いものが飲みたい気分になったのだ。 神取はココアを二つと軽食を頼み、少し離れたテーブルについた。 他にも空いたテーブルがあるが、端の方の席を選んだのは何か理由があるのだろうと、僚はついていった。丸テーブルの向かいに腰かけたところで、男に尋ねる。 「ここからなら、街灯と電線に邪魔されず綺麗に見える」 何が綺麗に見えるかは、言われずともわかった。僚は西に顔を向け、おおと小さくため息をついた。 ここも絶景である。 ココアを少しずつ啜り身体の中を温めながら、僚は男と並んで富士に見入った。時折、軽食のフライドポテトを口に運ぶ。 抜けるような青空の元、燦々と日差しを受けて過ごす。何とも贅沢な気分だ。 気が付くと、ココアのカップもポテトの容器も空になっていた。 「さあ、では次に行こうか」 次の目的地へ向け、休憩もそこそこに出発する。車に乗り込み落ち着いたところで到着と忙しないが、まるでジェットコースターに乗っているような爽快感があった。 低い山並みの向こうにそびえる富士を、海からの少し強い風を受けながら眺める。日差しのお陰か、寒さは感じない。 寄せては返す波の音も心地良い。 すぐ砂浜に降りていける道路の際に立った僚は、隣の男に笑いかけた。 「ここも、眺めがいいな」 「姿が全部見えるのも、少し遮られて際立つのも、どれも絵になるね」 「そう、ほんと」 また、海と一緒に見えるというのもたまらない。僚は感覚を共有して、存分に楽しんだ。 びょうびょうと吹き付ける風に頬が冷たく感じるが、興奮しているせいか、かえって気持ちよかった。 「さて、そろそろ昼だね」 言われて僚は、空腹が迫っているのを自覚した。何を食べようかと男を見やると、考え込む顔付きが目に入った。何かおすすめがあるのだろうと、目配せで尋ねる。 この先に、美味い海鮮料理の店があるので案内したいと、神取は言った。 「また少し車に乗ってもらうが、待てるかい」 腹具合を聞かれ、僚は少しならと笑いながら答えた。 神取はよかったと微笑を浮かべた。 「その店は盛りがいいから、きっと君も気に入るよ」 空腹にさせた分、満足させるよ。 それは楽しみだと僚は喉を鳴らした。少しかかると聞いたので、十分覚悟して助手席に座る。が、思っていたよりずっと早く件の店に到着した。これなら大丈夫だと、店の入り口をくぐりながら男に笑いかける。 カウンター席に並んでつき、僚は運ばれたお茶をひと口啜った。鼻から抜けてゆく香ばしさが心地良い。 注文してから少々、おすすめとされる刺身定食が運ばれ、僚は目を見開いた。白飯、味噌汁、小鉢、そして刺身盛り、どれをとっても惜しみなく盛り付けられており、男の言葉に嘘はないどころか想像以上であった。 「すごいものだろう」 「ほんとに」 大盛りと言っても下品なところはなく、むしろ食欲をそそる。すすめられ、僚は早速箸を取った。 以前見つけて惚れ込んで、時々車を飛ばして食べに来る事があると、神取は説明した。 機会があったら君も連れてきたかったところで、ようやく願いが叶ったと嬉しそうに笑う男に、僚も笑顔になる。 美味しい、本当に美味しいと僚は繰り返した。それ以外の言葉は頭から逃げてしまったようだ。 神取は嬉しげに頬を緩めた。 「喜んでもらえて良かった。実は他にも何ヶ所かおすすめの店があるので、また是非次の機会に」 食べながら、それはどこかと僚は尋ねた。挙げられたのはどこも中々の遠方で、どうやって見つけたのか、よく行くのかと、疑問が浮かぶ。 「須賀に教えられたものや、ドライブの途中で偶然見つけたもの、色々だ」 車でふらりと遠出をするのが好きだからと、神取は付け加えた。 「へえ……」 想像しながら、僚は頷いた。そうやって思い立ったらすぐ車を飛ばし、大した遠方のここまで食べに来る事がある…感覚の違いに驚きを隠せない。 男は軽く頷いた。朝起きたら顔を洗う…それらと同じようなものだと言わんばかりの態度に感心する。 とんでもない男だと、僚は改めて思った。 すごいな、さすが、違う。 カッコいい。 「鷹久と同じもの食べたら、鷹久みたいになれるかな」 何とも馬鹿馬鹿しい思い付きではあるが、やってみようと意欲が湧く。 神取は笑いながら首を振った。 「君はそのままでいい。私は、その君を好きになったのだから」 手渡された言葉に僚は一つ息を飲んだ。曖昧な微笑を浮かべる。この自分が好きだと言われ、嬉しい。嬉しくないわけがないが、それでも自分は男に近付きたい。気持ちが強く込み上げる。 食事をした店の辺りは、ちょうど観光名所になっていた。やってきた記念にと、二人は土産物屋を覗く事にした。 定番の饅頭やクッキーなどの甘いもの、海産物、置物にストラップに壁飾り、アクセサリー。広い店内には、様々なものが陳列されていた。 あちこち目移りし、見るものすべて欲しくなるが、持って帰ったところで食べきる事が出来ない。じっくり選び抜いた数点を買い求め、帰路につく。 駐車場を出て少ししたところで、僚は空が曇ってきている事に気付いた。いつの間にか日が陰っていた。 「さっきまで、あんなにいい天気だったのにな」 「そうだね、雨になるかもしれない」 雲行きを見ながら、僚は二度三度頷いた。帰りでよかった、晴れた空の下、満足行くまで海と富士を楽しむ事が出来た。 「そうだね。お互い、日ごろの行いがいいからかな」 冗談めかして笑う男に、僚は大げさに肩をそびやかした。 雨が降り出したのは、二人がマンションに帰り着きリビングに落ち着いたころだった。あっという間に外は暗くなり、嫌な雷鳴まで聞こえてきた。 ごろごろと鳴り響く不穏な音が、暗い空をより暗くする。今の時期、まだ外は結構明るいはずだが、すっかり夜になったようだ。 ポツポツと雨が降り出し、いよいよ雷鳴が大きくなる。 ざんざんと音を立てて降りしきる雨と光る空を、僚はカーテンの隙間から眺めた。光と雷鳴が交互に絡み合い、雨雲は今まさに自分たちの頭上にいた。午前中の、雲一つない青空が嘘のようだ。 僚は窓から離れ、ソファーでくつろぐ男の隣に座ると、タイミングを合わせ雷鳴と同時に抱き付いた。 「………」 他愛のないお遊びなのだが、彼の間の抜けた悲鳴やわざとらしい態度がおかしくて、神取は腹を抱えて笑い出した。 そんなに大笑いされるとかえって恥ずかしいもので、僚は複雑な顔になった。 「よしよし」 くくくと笑いながら、神取は肩を抱き寄せた。ちらりと顔を見やると、何とも言えぬ渋い顔をしていた。恥ずかしさを堪えているのか、腹を立てているのか。実に可愛らしいしかめっ面である。抱き寄せて間もなく、もぞもぞと身動ぎ腕を回してきた。肩に頭を乗せて落ち着くかと思いきや、そこでは収まりが悪いようで、少しずつ身体の位置をずらしながら僚は膝枕で寝転がった。 「窮屈ではない?」 「ちょうどいい」 満足した声に、また笑いが込み上げる。彼の頭に手を乗せると、自分もまた角度や高さが丁度よかった。僚の手が重ねられる。暖かい手のひらが触れ、神取はにっこりと微笑んだ。 「今日は、すごく楽しかったな」 優しい声音で振り返る僚に、自分もだと神取は云った。それから少しお喋りをして、雨音に耳を澄ませ、段々と遠ざかってゆく雷鳴を見送る。 しばらくすると、雨は上がる気配を見せた。時間が合えば綺麗な夕焼けが期待出来るかもしれないと、膝でくつろぐ少年に目を向ける。 そこでようやく、いつの間にか眠っていた事に気付いた。 神取は慌てて声を飲み込み、そっと口を閉じた。ゆっくり覗き込むと、安心しきった顔がそこにあった。 なんの心配事もなく、緩んだ、無防備な寝顔。 妙に可笑しくて、泣きたくなった。 嗚呼、よかった。 神取は優しく頭を撫で微笑んだ。 やっぱり彼はこうでなくては。 カーテンの向こうが、段々と明るくなっていった。 |