チクロ

今月のメニュー

 

 

 

 

 

 美味いうまいと幸せそうにサンドイッチにかぶりつく桜井僚の眩しい笑顔に微笑みながら、神取鷹久も同じように頬張った。
 先ほどいただきますと頭を下げてから、しばしこうして無言が続いているが、二人の間にはきらきらと幸せが満ちていた。互いの顔を見れば一目瞭然だ。
 一緒にパンを買いに行って、貰い物のハムや半熟オムレツ、軽く転がしたソーセージとたっぷりの野菜を好きなように詰め込んだ、特製サンドイッチを一緒に頬張っているのだ。この上ない幸せに包まれる。
 調子に乗ってばくばくと口に運んでいた僚だが、さすがに喉が詰まってきた。牛乳のグラスに手を伸ばす。ベーカリーで売っているもので、ほんのり甘みが広がり後味はさっぱりしているのが気に入っている。

「今日の、予定だが」
「ああ、うん」

 二杯目を注いでいると、男が口を開いた。僚はいくらか身を乗り出した。
 今日は午後に映画を見に行く計画をしており、予定自体は週の半ばに届いた男からのお誘いメールで決まっていた。出発前の再確認だ。
 神取はメールで簡易に伝えた内容の詳細を説明し、同意を求めた。
 了解だと僚は頷く。昼は軽く外でとり、その後映画館へ…何も問題はない。
 うわー、今日は映画館でデートだと、はしゃいだ声を出す。

「楽しい内容だといいのだが」

 きっと楽しいに決まっている、信頼を寄せる僚に微笑し、神取はその陰からこっそり様子をうかがった。
「映画見るのは好きだけど、映画館てあまり行った事ないんだ」
 クラスメイトに誘われて行ったくらいで、数えると三回くらいだと、僚は言った。
 映画自体は嫌いではなく、大勢で一緒に見る映画館に対しても拒絶反応はないようだが、どこか歯切れの悪さを感じ取り、神取は観察を続けた。複雑さを慮って深く追及はせず、今日の予定を話し合う。

「指定席のチケットなので、余裕を持っていけるよ」
「ここ出るの、何時くらい?」

 神取は壁の時計を見やり、十一時まではのんびり出来ると答えた。

「ランチの後に映画を見よう」
「わかった。夜は?」

 作るならちゃんと用意していると、僚はレシピ帳の入った斜め掛けを指差した。

「さすが君だね。ではそれは次の機会に頼んでいいかな」
「うん、来週でも」

 いつでも言ってくれと僚は自信たっぷりに頷いた。彼の手料理にすっかり魅了された神取は、今からもう待ち遠しいと次の約束に思いをはせる。
 今にも喉が鳴りそうなのをどうにか堪えて神取は、今夜は、映画館にほど近いレストランに予約を入れてあると説明した。以前も行った事のある、パエリアの美味い店だと告げると、僚は嬉しそうに目を輝かせた。
 素直で可愛らしい彼の反応に、今夜あの店を選んでよかったと自身も嬉しくなる。

「では出発の時間まで、自由にのんびり過ごしてくれたまえ」

 承知したと僚は最後のひと口を頬張った。しかし、男の言うようにのんびりは難しいだろうなと噛みしめながら考える。映画を見に行く事、今夜のメニュー、あれもこれも今から待ち遠しく心が弾み、もううきうきと落ち着かない。これでは出かける前に疲れてしまいそうだと、冗談交じりにそっと笑う。

 

 

 

 映画鑑賞の後、神取は近くのカフェに僚を案内し、喉を潤しながら感想を言い合った。僚の止まらぬお喋りに少々圧倒されるが、込み上げる感情のまま素直に表現する様は見ていて気持ちよく、神取は熱心に耳を傾けた。
 クライマックスのアクションで、涙が出るほど笑ったと僚は目尻を擦った。

「あそこは実にスカッとしたね」
「そうそう、またさ、表情が最高だった」

 目の動きもたまらなかったと、身振り手振りを加え、僚は言葉を紡ぎ続けた。どこがどんな風に面白かったか、どこに注目したか、僚は一つひとつ述べた。神取は応えながら、自分と同じところ、異なる部分の見方に感心した。時間はあっという間に過ぎ、予約した店に向かう。
 ディナーの間も、主な話題は映画の感想であった。
 やっぱり大きなスクリーンで見るのは気持ちいい、誘ってくれてありがとうと、僚は何度も繰り返した。興奮冷めやらぬ面持ちでするすると言葉を綴る彼に、誘って良かったと神取は喜んだ。
 そんな、満面の笑み以外の表情は用意していないと思わせるほどにこにこし通しだった僚だが、ある瞬間はっと目を見開き、テーブルの上を見回した。
 頼んだものがまだ出ていないのかと神取も同じように目を向けた。

「いや……鷹久、ワインは?」

 言い終えて僚は、わかったとばかりに口を噤んだ。今日は車で来ているからとの男の説明に、そうだったと察しの悪い自分に苦笑いする。

「家でゆっくり飲むよ。気を使ってくれてありがとう」
「いやあ……鷹久、酒と煙草ないとこう、手が震えちゃうと思ってさ」

 そう言って僚は、見るからに苛々している人を全身で表現した。指先で忙しなくテーブルを叩き、息を荒げ、ぎょろぎょろと目玉を動かす。

「こんな感じにさ」
「まいったな」中々の演技に肩を震わす「そこまでひどくはないよ」
「そうだっけ」

 とぼける僚にますます笑いが込み上げる。
 色とりどりのご馳走を前に、二人は声を合わせて笑った。

 

 

 

 店を出ると町はすっかり夜の装いに変わっていた。風がひやりと冷たい。
 車に乗り込んだところで僚は口を開いた。
 いつも買い物するスーパーに寄ってほしいとの彼の希望に、神取は喜んでと車を走らせた。

「よかった、遠回りだと悪いから」
「いいや、すぐだよ」

 言葉通り、さほどかからず到着した。道が空いているお陰でもあった。

「ありがとう。すぐに買ってくるから、鷹久はラジオでも聞いて待ってて。何か必要なもの、ある?」

 あるなら一緒に買ってくると僚はシートベルトを外した。

「ああ……いや、特にはないな」
「野菜売り場って、こう入ってこう行くんだよね」

 順路を指でひょいひょいとなぞり、僚は確認した。

「そう、その突き当りだ」
「わかった、じゃ、すぐ戻るね」

 言うが早いか車を飛び出す僚の背中を見送りながら神取は、今の時間、会計が混んでいなければいいがと願った。
 ラジオから紡がれるお喋りは賑やかゆえにどこか物足りなく感じる時間の中、入り口を眺めて過ごす。どうやら道路同様空いていたようで、間もなく僚は姿を現した。
 お待たせ、ありがとうと乗り込んでくる僚を迎え、何を買ったのかと神取は顔を向けた。

「鷹久くんのワインのおつまみです。何が出来るかは後のお楽しみ」

 弾む声でそう語る僚に目を見開き、神取は袋の中身を凝視した。うっすら透けて見えるのは、それほど大きくない塊と、青いものだ。野菜売り場で一体何を購入したのだろうか。
 さて何が出来上がるのだろうと神取は楽しく思案しながらマンションに帰り、ソファーで完成を待った。キッチンが気になって仕方なく、そわそわと落ち着きがなくなる。
 間もなく、声がした。

「気に入るといいんだけどな」

 彼の作ったものならなんでも美味いと感じる舌を持っている、自信をもってそう言えると心の中で唱えながら、神取は提供された皿に目を向けた。
 無地の白い丸皿に、生ハムで何かを巻いたものが綺麗に並んでいた。巻いてある乳白色の塊はチーズで、大葉がちょこっと覗いているのが小憎らしい。色の対比も中々考えられている。

「……食べるのがもったいないな」
「でも食べろ」

 僚は笑いながら言った。今日は、映画のチケット代や夕食など色々世話になった。そのせめてものお礼に作ったものだ。

「食べてもらわないと困る」
「もちろん、ありがたくいただくよ」

 どういうわけか喉につかえる言葉を何とか紡ぎ出し、神取は立ち上がった。心持弾む足取りで、ワインの用意に取り掛かる。

 

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