晴れる日もある

 

 

 

 

 

 電話して、何時頃行くと連絡を入れたが、ついてみると家主は不在だった。
 チャイムを鳴らしても応答はなく、仕方なく合鍵で入ってみれば、今の今までいた気配はあるがトイレにも浴室にも姿はなかった。
 仕方なくリビングで待つ事にする。
 リビングのテーブルには、今までいた痕跡がより濃厚だった。
 ノートが一冊、開いたまま置かれている。
 予習でもしていたのだろうか。
 何気なく見やるとどうやらそうではなく、ノートは、家主が作成した料理のレシピ帳だった。
 椅子に腰かけ、じっくりと目を通す。
 開かれたページにあったのは、二人分のオムレツの作り方。
 上半分に材料各々の分量、下半分に行程。
 きちっきちっとした、やや硬い筆跡で丁寧に記されている。
 つい笑みが浮かぶ。
 右上には日付も書かれており、一番新しい、三週間前、確かにオムレツを振る舞われた事を思い出す。
 自分好みの絶妙な半熟具合を、絶賛した。
 その時の作成者の顔も思い出し、また頬が緩む。
 まるで信じられないものを見るような目で硬直し、そして随分経ってからぎこちなくありがとうと呟いた。
 およそ照れやはにかみからは程遠いが、間違いなく喜んでいた。
 以前は、出会って間もない頃は、ただ顔を強張らせるだけで言葉の一つもなかった。
 少しずつ、本当にごくわずかずつ、じれったい程にそれでも確実に距離は縮まっている。
 嬉しくて、悲しい事。
 身体はお互いとっくに深い部分まで知り得ているが、下ろされた抑制の幕の内側に中々踏み込めない。
 悲しい事に、よくわかっている。
 同じだから、よくわかる。
 ノートをめくる。
 もう一ページ。
 そこでふと、角を小さく折り曲げてあるページがいくつかある事に気付く。
 探してみると、初めに見たオムレツを含めて、ある共通点がおぼろげに浮かび上がった。
 まさか、と印のあるページを次々巡る。
 まさか。
 思い上がっていいのだろうか。
 ノートの後ろの方、最新の印は、先日体調を崩した際作ってもらった、シナモンと蜂蜜の香り豊かな焼き菓子のレシピにつけられていた。
 そう――印がつけられているのは、自分が殊更に絶賛したもの、好物ばかりだった。
 思い上がっていいのだろうか。
 その時玄関先で音がした。
 家主が帰ってきたのだろう。
 足早にリビングにやってきた彼におかえりと言う間もなく、手元のノートをひったくられる。

「……朔也?」

 朔也はノートを背中に隠すと、強張った顔で唇を引き結び後ずさった。
 もう片方の手には、近所のストアの買い物袋が下げられていた。
 半透明のビニール袋の中には、パック入りの卵が二つとじゃがいもらしきもの。
 開かれていたノートに書かれていたのはオムレツの作り方。
 恐らく、電話を受けた後、何を作るかここで思案し、やっと決定した後、足りない材料を買う為に家を出たのだろう。
 そして、それと入れ違いになった。
 朔也はもう一歩後ずさり、しきりに瞬きを繰り返した。
 目はよそに逸らしている。

「勝手に見て、悪かった」

 心から詫びる。
 すると朔也はより険しい顔付きになり、どうにかそうとわかる程度のささやかさで首を振った。

「前に鷹久が……美味いって言った、から」
「ありがとう」

 椅子から立ち上がり、様子を伺いつつ歩み寄る。
 好意を寄せる相手に、その好意を見せる事さえひどく怖がる朔也をこれ以上怖がらせないよう、静かに頬へ手を差し伸べる。
 怖さや怯えは、彼の幼少期の環境に起因する。
 まだ知らぬ恐ろしいものに胸が痛むのをどうにか堪え、笑顔で告げる。

「とても嬉しいよ」

 触れてきた手のひらにおっかなびっくり頬をすりよせ、朔也は軽く目を伏せた。

「すぐ作る」

 しかしすぐに顔を背け、さっさとキッチンへと向かう。
 その背中にありがとうと投げかける。返事はない。
 触れていた時間はほんの五秒もない。
 それでも充分、胸はぽかぽかとあたたかい。
 好物の書き記されたノートは確かにあるのだ。

 

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