晴れる日もある

 

 

 

 

 

 未だうっすら残る火傷の跡を避けて、男は朔也の背中にキスを繰り返した。
 唇が触れる度朔也は微かに吐息を震わせ、背後の男に甘える仕草で身悶えた。
 手を伸ばし、かたく張り詰めた男のものに手のひらをこすり付ける。

「……朔也」

 男の声と、わずかに震えた手中の怒漲にうっすら笑って、朔也は振り返りキスを求めた。
 男は深く口付け、扱く手に合わせて腰を揺すった。
 先走りの熱いものが手指を濡らすのに、朔也はまた口端を緩めた。
 この時の笑っている顔は、男は嫌いではなかった。
 抱き合う時に見せる彼の表情は、どちらかと言えば好きだった。
 いや、大好きだった。
 全てが素直に表されている。
 深い快感を悦ぶ顔、行き過ぎた快楽に苦しみ歪んだ顔、達した後のとろけきった顔。
 どれもが、普段はかたい無表情の殻に覆われた下にあるもの。
 でも男は、どちらの、どの時の朔也も好きだった。
 特に目が好きだった。
 自己抑制の幕を下ろして深く、暗く沈んでも、隠しきれない願望を必死に湛えているあの目が、大好きだった。
 時に神経を逆撫でされ苛々するのだが、それでも、それだからこそ、どうしようもなく惹かれるのだ。
 どうせ駄目だと諦めながらも捨てきれないものをしっかり握って、強く胸に迫ってくるあの、目。

「っ……鷹久」

 詰まった声で名を呼ばれ、男は全身をわななかせた。
 きつく抱いていた腕をほどき、顔を見下ろす。
 零れそうなほど涙を溜めて、朔也は見下ろす目をまっすぐ見据えた。
 そしてもう一度名を口にする。
 自分の奥深くに入り込み、内部を抉って快感を送り込んでくる男の名を、口にする。
 切なく濡れた響きに男は目を眩ませた。
 もう、いく…朔也の唇がそう綴る。
 官能をかきむしる声が、目が、男を一気に限界に引き上げる。
 突如激しさを増した男の動きに高い悲鳴で応え、朔也は大きく仰け反った。

「ああ……たかひ、さ……」

 必死さに満ちた朔也の声を聞きながら、男は一番深いところへ熱を吐き出した。
 男を抱き返し、朔也は声もなくびくびくと震えを放った。
 それから熱が完全に鎮まるまで、互いに抱き合ったままでいた。

 

 

 

 朔也がシャワーを浴びて戻ると、男は、ソファーに座りウイスキーをロックで愉しんでいた。
  朔也はわずかに顔を伏せ、ソファーのずっと後方で、なるべく身を小さくして座り込んだ。
 男はその行動に呆気に取られた。
 彼は、酒飲みが嫌いなのだろうか。
 いつも朔也の部屋を訪ねるばかりで、その時はアルコールを口にしないから、これまで気付かなかった。
 さり気なく尋ねる。

「違う。俺が傍にいると、酒がまずくなるから」

 朔也は淡々と答え、父親といた時そうしたように、抱えた膝を引き寄せた。
 そんな事はないと男は言いたかったが、口は開くものの言葉は出なかった。
 頭の中は思考がぐるぐると駆け巡るが、まとまったものは何一つ掴めなかった。
 一体、誰がそんな事を彼に言ったのだろうか。
 男は本当に、朔也について何も知らない。
 彼をここに引き取る際、それまで彼の面倒を見ていた親戚と会話する機会があったが、情けない事に深くまで聞く事が出来なかった。
 男は怖かったのだ。
 関わりを持ち、好意を寄せた相手が、どれほどひどい人生を送ってきたか知るのが、怖かったのだ。
 だから、彼の両親は既に亡くなっていること、一時期、児童養護施設にいたこと…それくらいしか、情報を得なかった。
 それ以上は怖くて聞けず、当たり障りのない会話でごまかした。
 本当は、知っておかなければいけないだろうに。
 一体誰が彼をそんな惨めさに追いやったのか。
 酒に酔うのとは全く別の息苦しさが、男の胸を締め上げる。
 何と言ってよいやら分からない。
 朔也はしっかりと膝を抱え、小さく縮こまって座っていた。
 以前に誰かが、彼に、お前はそうしていろと言ったのだ。
 お前が傍にいると酒がまずくなるから、と。
 半ば無意識に男は首を振った。
 朔也は、何の表情も浮かべていなかった。
 少し俯けた顔、目は、まっすぐ床を向いていた。
 目には何の感情も浮かんでいないようだった。
 ただじっと小さく縮こまって、身動きもせず、座っている。
 そんな姿を見せられ、男はいたたまれない思いでいっぱいになる。
 隣に来てほしいと言えば、恐らく、彼は逆らわず来るだろう。
 嗚呼しかし、そんな風にする彼を見たい訳ではないのだ。
 そんな風に距離を縮めたって、嬉しさなど微塵もない。
 男は正面に顔を戻した。
 深くうなだれ、思案する。
 何も浮かばない。
 苦悩の末声を絞り出す。

「そんな事はない……そんな事はないんだよ、朔也」

 言葉は虚しく響くだけだった。
 それからしばらく、男はグラスを手にうなだれたまま座っていた。
 思考は半ば麻痺して、時間の感覚を失っていた。
 どれくらい経ったか。
 ある時、肩に何かふわっと軽いものが触れた気がした。
 驚いて小さく振り返ると、すぐ傍に朔也が立っていた。
 相変わらず無表情で考えが掴めない。
 男が戸惑っていると、朔也は男のすぐ足元に膝を抱えて座り込んだ。
 男はその行動に泣きそうな顔で笑った。
 ソファーに座ってほしかったが、下手に喋るとこの空気がたちまち壊れてしまいそうに思えた。
 彼の苦しみや葛藤がどれほどのものか、ここまで来るのにどれだけ戦ったか…想像を超えたものに男は身震いを放った。
 手を伸ばせばすぐ届くところにある少し癖のある黒髪を、撫ででやりたい欲求にかられる。
 男は辛うじてそれをこらえた。
 彼がここまで来てくれたことが、自分の言葉を受け入れてくれたことが、胸が高鳴るほど嬉しかった。
 男は心の中で呼びかけ、恐る恐るグラスを傾けた。
 喉の奥に流れていった酒は、事の他美味かった。

 

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