晴れる日もある

 

 

 

 

 

 食後のコーヒーを前に、朔也は神妙な顔で座っていた。
 どこか具合でも悪いのだろうかと、向かいに座った男はそれとなく様子を見守った。
 今日は、いつも彼にばかりご馳走になるので、男が料理を振る舞った。
 付き合いを始める際聞いた限りでは、彼は特に好き嫌いやアレルギーの類はないとのことだったが、それでも多少なりと好みはあるだろう。
 しかし食事の最中、特に目立った異変はなかった。
 ように思う。
 彼はなにしろ必要な言葉さえも抑えてしまうので、表情や目付きの変化ではかるしかない。それさえも微小だが、わからないということもない。
 読み取れたものからは、辛うじて、そう悪くはない方だというのはわかった。
 食が進まないということもなかった。
 むしろ、朔也にしては珍しく、よく手を動かしていた。
 悪くないどころか、美味しい方だったかもしれない。
 魚介類をたっぷり使ったパエリア、多少自信はあったので、あからさまに顔には出さなかったが、心の中で喜んだ。
 食後のデザート…これは男自身が食べたかったからだが、それも、残さずに平らげた。
 そして現在、朔也は何かを思い悩む風の顔付きで、テーブルを見つめていた。コーヒーにも手を付けず、いつものように行儀よく背筋を伸ばして座っている。
 また、何か言いたいことを溜め込んでいるのだろか。
 あるいは、いつかのように、思いがけない贈り物を渡す機会に躊躇しているのだろうか。
 しかしこの部屋に来た時は手ぶらだった。ポケットに収まる小さなものなのだろうか。
 男はひと口ずつコーヒーを啜りながら様子を見守る。
 好みの、ミルクをたっぷりいれたコーヒーを前に朔也は黙って座っている。
 ある時ちらりと、何か言いたげに目線が向けられた。
 男はそれを、会話のきっかけにした。
 当たり障りのない、日常や学校でのことならば、彼は言葉少なにではあるが答えることはした。
 頷いたり、首を振ったり、ひと言ずつ口にする。
 言いたくないことは言わなくていいと最初に取り決めをしているので、聞ける範囲も限られているが、ぽつりぽつりと語られることでわかった彼の世界は、狭いながらもそう寂しいものではないようだった。
 彼の通う聖エルミン学園は、自由な校風で知られている。
 そのせいか『変わり者』が多い。
 朔也のクラスは特に『選りすぐり』が集まっているようで、彼らのことを話す際彼には珍しく表情が多彩になる。
 少し前にやってきた転校生は、口数も少なくいつもしかめっ面をしているので、女子からも男子からも距離を置かれているとか――。
 クラスでもとりわけ賑やかな二人の男子がおり、度々隣からも注意されることがあるとか――。
 かと思えば学年一位の優秀な生徒と同じクラスであるとか――。
 ある生徒につけられた愛称を口にした時などは、余程恥ずかしかったのだろう、滅多に見られない赤面を目にして、驚くと同時に男は笑いを抑えるのに苦労した。
 確かに、男子のあだ名で『サクちゃん』は、呼ばれるのも、自分で口に出すのも、少々どころではなく恥ずかしいものだろう。
 肩の震えを必死にこらえる。
 腹を立てたような、傷付いたような顔をされ、男は慌てて宥めた。
 もう、いいと、朔也は断ち切る冷たさで打ち切った。
 失敗は痛かったが、その一方で、そうやってクラスで誰かに気にかけてもらえている、放っておかれないことに、安心もした。
 たとえその時の朔也が、以前男が見たような虚偽の仮面であったとしても、誰かと接することはその偽りにヒビを入れる結果に繋がる…いつか本物に通じる、きっかけになるからだ。
 幼稚なわがままを言えば、それをする、できるのは自分だけであってほしい、彼は自分だけに愛されていればいい――そう思うのだが、他方、万人に広く愛されてほしいとも思ってしまう。
 世の中は敵や無関心人間だけではない。ちゃんと見て、愛してくれる人もいるということを、知ってもらいたいからだ。
 この世界は、苦痛ばかりではないはずだ。
 男は、差し障りのないこと、学校での生活や授業で困っていることはないかと尋ねた。
 特にと、彼は小さく首を振った。
 件の愛称も、恥ずかしさはあるものの本当に嫌悪しているという訳ではないようだった。
 言葉にこそしなかったが、悪い気はしないと言っているように見え、男はほっと胸を撫で下ろす。
 それらの話を聞いて、自身の学生生活を懐かしく思い出すことはない。むしろ正反対だが、男は、朔也とこうして話す時間を楽しく思っていた。
 話の合間にもうひと口コーヒーを啜る。
 そこでまた、朔也から、何かを訴えかける目線を寄こされる。
 その後に小さなため息がなかったら、まだわからなかったかもしれない。
 唐突に男は答えに行き着いた。
 保管してある場所を思い出しながら立ち上がる。
 それも朔也にとって『言いたくないこと』には間違いないだろうが、心配する方の身にもなってほしい。
 まあ気持ちはわかる。まったく世話の焼ける、可愛らしい子。
 男はまず、戸棚の引き出しをあたった。
 一段目にはなかった。
 次を開ける。
 思い当たる節はあった。今日は、朔也にしては珍しくよく食べていた。
 男は、引き出しの三段目に見付けた胃薬の小瓶と一杯の水を朔也に差し出した。

「それを二錠飲んで、楽な姿勢をしていなさい」

 傍に立ってそう言うと、やや置いて、朔也はどうしても、と口を開いた。

「どうしても、手が、止まらなかったから」

 だから自分の許容範囲も忘れて、食べ過ぎてしまった。
 なんて褒め言葉。
 男は頬を緩めた。

「ありがとう、とても嬉しいよ」

 恥ずかしさに顔を伏せたままの朔也に礼を言う。
 作った甲斐があった。
 次はどんなものを作って彼の腹を苦しくさせようか、意欲が湧いてくる。
 彼の作る料理を食べるのも幸せだが、彼に食べてもらう料理を作るのも、また幸せだった。
 朔也は二錠の胃薬を水で流し込み、申し訳なさそうにコップを手渡した。
 こんな笑ってしまう失敗さえ、極上の幸せだと、男は微笑んだ。

 

目次