晴れる日もある

 

 

 

 

 

 朔也は意外と凝り性かもしれない。
 あるいは、実は人に何かをするのが好きな性分。
 その相手は誰でもいいという訳ではない…と嬉しいのだが。
 自分が特別であるかもしれない密かな喜びに内心浮き立ちつつ、男は、食後のデザートとして出された小さな器に目を輝かせた。
 発端は、先日軽い気持ちで口にした一つのリクエスト。
 以前熱を出して寝込んだ時に作ってもらった焼き菓子がとても美味しく、嬉しかったので、よければまた作ってほしい。
 軽い気持ちといっても、手間や諸々を軽んじている訳ではない。
 あくまで、負担にならないよう気を付けてのことだ。
 気が向かなければ、あるいは面倒ならばいいんだ、と、そういう意味を込めてのものだ。
 とはいえその一方で、作ってくれたら嬉しい。
 自分の為に時間を裂いてもらえたら幸いだ。
 そうも思っていた。
 それから一週間と少し経った今日、想像以上に素晴らしい食後のデザートが出された。

「口に合わなかったら、残していい」

 いつも以上にかたい声がして、スプーンが置かれる。
 それだけ、渾身の作なのだろう。
 見た目からもうかがえた。
 楕円形の、白い陶器の中には、黄金色のプリンのようなものが八分目まで、そしてその上に薄く、カラメルソースがかかっていた。

「これは、何かな?」
「カラメルソースをかけた、パンナコッタ」

 男は頷き、慎重に容器を持ち上げた。目の高さに近付けて、じっくりと眺める。

「もしかしてこのソースも、手作りかい?」

 朔也は、恐る恐るといった様子で頷いた。
 テーブルに戻し、男は心底感心した顔付きで朔也を見た。
 容器は、製菓雑貨を扱う店で買い揃えたそうだ。
 本に載っていた見本の写真が綺麗だったので、出来るだけその通り作りたかったと言った。
 わざわざカラメルソースまで手作りして、そこまで時間をかけて、作ってくれたのか。
 朔也は意外と凝り性かもしれない。
 頭の中でほのかに思い浮かべていたものは、現実となると、予想していたものよりずっと心を震わせた。

「口に合わなかったら、残していい」

 朔也は唸るように言った。
 味見はしたが、自分ではよくわからなかったと付け加える。
 それを聞いて男は、そういえば以前作ってくれた焼き菓子にも、甘過ぎると眉をひそめたなと、思い出す。
 彼はあまり甘い物は好きではないようだ。
 ならば尚のこと、この手作りの品は貴重だ。
 男は首を振った。

「わざわざありがとう。いただくよ」

 スプーンを持つ手が震えそうになる。
 男はありがたく、口に運んだ。
 舌の上でとろける絶妙な甘さにはっと目を見開く。
 スプーンを置いて朔也に笑いかける。

「ありがとう、最高に美味いよ」

 甘さが丁度好みだった。

 男は甘いものが好きだった。
 といって一度に二つも三つも量を食べるのではなく、一つがせいぜいだが、しっかりと甘みのある一つのものをじっくり味わって食べるのが好きだった。

 男はまたスプーンを取り、ひと口ずつ美味いと絶賛しながら口に運んだ。
 その様子をしばらく眺めた後、朔也は口を開いた。

「鷹久の笑った顔、綺麗だ」

 優しい。
 男は手を止めた。
 そして曖昧な顔で笑いかけた。
 男は自分の顔が好きではなかった。
 知っているのだ。
 笑顔の裏側で全てを見下している。
 表面上は笑いながら腹の中で舌を出している。
 そんな時の顔が、どれほどのものか。
 だから男は、自分の顔など好きではなかった。
 けれど朔也の前では、本当に優しく、ただ穏やかに笑いたいと思っている。
 心のままに笑いかけたい。
 朔也がいつも言ってくれるように優しい人間として笑いかけたいと思っている。
 朔也へ向ける笑顔が一つ増える度、本当にそのようになってゆく気がするのだ。
 それは全て。

「君がこんなに美味しいものを、作ってくれたからだよ」

 全て朔也のお陰に他ならない。

「本当にありがとう」

 男は笑顔を向けた。
 すると朔也は幾分強張った目付きになった。
 戸惑うようなその表情をしばし眺め、ああ、照れているのだと男は理解した。
 ぎこちない素振りを内心愛でながら、男は残り半分を口に運んだ。
 そしてついに至福の時が終わる。

「ああ、食べちゃったよ……」

 つい無意識にそんな事を口走る。
 途端に朔也は口元を手で押さえ、俯いた。そしてもう片方の手で、まだひと匙も手をつけていなかった自分の器を男に差し出す。

「ああいや、そういうつもりじゃないんだ」

 男は慌てて断った。
 しかし朔也は首を振り、俯いたまま立ち上がった。
 つられて男は目を上げた。

「どうした?」
「トイレ」
「どこか具合でも悪いのかい?」
「違う」

 しっとりと濡れた目が男に注がれる。

「鷹久が美味そうに食べるの見てたら、したくなったから」

 だから、トイレで。
 男は目を閉じ、困ったように笑った。

「じゃあ二つ目は後にして、まずは君からいただこうか」

 冷蔵庫に収め、おいで、と手を伸ばす。
 朔也はしばし迷った後、少し歩きにくそうに足を踏み出した。
 男は腰を抱き寄せ、優しく口付けた。

「少し、甘い」

 抗議めいた声に男は口端を緩めた。

「君はとても甘いよ」

 朔也は、微かに眉を寄せた。

 

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