晴れる日もある

 

 

 

 

 

 街のいたる所で、赤や金の木の実や松ぼっくりが飾られた浮かれ気味のモミの木が、いやでも目につくようになった季節。
 そのさなかで、男は思い悩む。
 儀礼的なあるいは下世話なご機嫌取りではなく、純粋に喜んでもらいたい、と、そんな気持ちで贈り物を選ぶ。何を贈ろうか思い悩む。そんなこと、生まれて初めてかもしれない。
 何を贈れば、嬉しいだろうか。
 笑ってしまうこの難問につまずいてからというもの、日常がスムーズに送れなくなってしまった。
 ようやく名前を教えてもらえた彼の、朔也の、好みもまだほとんど知らない。
 やや強引にこのマンションに住まわせた、そんな力尽くの真似をしておきながらそれきり尻込みしてしまっている。
 彼がどこかへ行ってしまってはいないか心配で、きちんと食事をとっているか心配で、三日にあげず通っては、ともに夕食を取ることもあるが、これまでとさして変わりない会話のない時間を繰り返している――情けないことをしている自覚はある。
 ただ、まだ、彼が自分の傍にいてくれることが嬉しくて、それを喜ぶ方が強く、浮かれているせいで、冷静に対処できないでいる。
 彼が、いわゆる普通の子と違うのは、とっくに承知していた。
 人にはおいそれと言えないことをしてきたことも。
 全て承知の上だ。
 それでも、男は、朔也に傍にいてほしいと強く願った。
 その人の事を考えると、身がよじれるほど苦しくなる。息も出来ないほど胸が熱くなる。
 傍にいればそれらがもっと強くなり、瞬きひとつさえ惜しくなる。
 それでも、それだから、朔也と共に過ごしたい。
 願いは叶い、ほぼ毎日のように、毎晩、彼の顔を見る。
 そしてようやく、ひと月と少々が経過した。
 それでまだ、好みどころか普段の生活もろくに知らない。
 学生だから、学校に通っているのはわかる。自分もかつて通っていたところ。
 聖エルミン学園。
 そこで彼はどんな学生生活を送っているのか。
 男は、ほぼ全くといっていいほど、知らないでいた。
 そんな状態で、一体何を贈れば、彼を喜ばせることができるか。
 ほんとうに難問だった。
 聞いたとして、望む答えは返ってこない…そんな予感がひしひしとあった。
 彼の雰囲気がそう思わせる。
 だから男は、昨日と同じく今日もまた、車に乗り込んだところで動きを止め、長いこと思考の堂々巡りに陥るのだ。
 何日も繰り返して、ある時唐突に閃いた。

 

 

 

 男が選んだのはマフラーだった。
 自分の部屋に招き、控えめなカラーの包装紙とリボン、平たい箱に詰められたそれを朔也に手渡す。
 しばらくの間、朔也は箱を手にしたまま訝しげに男を見ていた。
 君に贈り物があるんだ、と男が切り出し、実際に品物を取り出した時から、朔也の表情はずっとそれだった。
 伺うような、探るような目付きで、男の顔を凝視している。
 促されてようやく、朔也はリボンを解き始めた。
 中身を見ても、朔也の表情に変化は見られなかった。
 ようやく口を開く。

「なんでこんな事をする?」

 出てきた言葉は、いつか聞いたもの。
 自分への贈り物だと、わからないはずがない。
 けれど彼は、わからないのだろう。
 彼の普通でない部分をまた見せつけられ、男はいささか面食らう。
 巧妙に押し隠す。
 人の好意に不慣れで、とても怖がりな朔也。
 気を取り直す。
 彼に歩み寄る。
 気持ちも、身体も。
 男は箱からマフラーを取り出し、ゆるく首に巻いてやった。

「この前会った時」にっこりと笑いかける「君の襟元が少し寒そうに見えてね。それで、似合いそうなマフラーをプレゼントしたくなったんだ」

 柔らかい織物の肌触りに首を竦め、朔也は幾分強張った顔付きになった。
 右手が恐々とマフラーに触れる。
 全身を眺めて男は言う。

「想像した通り、君には明るい色が似合うね」

 贈り物を貰っても、褒められても、朔也の表情は一向に強張りから抜け出すことはなかった。
 相変わらずの眼差しで男を見ている。
 しばらくして朔也は言った。

「俺は、何をすればいい?」

 かたい、乾いた声。
 贈り物と引き換えに身体を要求されていると、そう解釈したのだろう。
 男はかすかな目眩を感じた。顔に出そうになるのを慌てて引き止め、できるだけ穏やかに首を振る。

「そんな事はしなくていい。そんな事を望んでいるわけじゃない。本当にただ、君の襟元を飾りたいと思っただけだ」

 真意を推し量る目付きで朔也は男の顔を見続けた。
 くじけそうになる心を奮い立たせ、男は続けた。

「君はただ、人に何かしてもらった時に言う言葉を口にすれば、いいだけだよ」

 私がほしいのは、それだけだ。男は言った。
 すると朔也の眼差しがいっそう険しくなった。
 たったそれだけでいいのかと、そんなはずがないと、疑心暗鬼に陥っているようだった。
 自分ごときに、誰も贈り物などしない。
 したいはずがない
 そう言っているのが、ありありと伺えた。
 彼の世界は、そういうものだったのだ。
 少なからずショックを受ける。
 あまりの隔たりに男は息苦しくなった。
 かける言葉が何も浮かんでこない。
 沈黙が、耳を圧し潰そうとする。
 不意に低い声がした。

「あんた、おかしい」
「朔也」

 男は小さく息を飲む。

「こんな、頭のいかれた汚い子供に、なんでこんな事をする?」

 男は、朔也の動きを注意深く見守った。
 案の定、次の瞬間には殴りかかってきた。
 彼の豹変を目にするのはこれで二度目だ。
 向かってくる拳をかわし、掴んで引き止める。
 睨みつけてくる目には激しい怒りが滾っていた。
 否、怖がっていた。怯えているのだ。
 胸がずきりと痛む。

「落ち着きなさい、朔也」

 男はなんとかなだめようと、声をかけた。
 掴んだ腕を背中に押し付け、背後からがっちり抱きとめる。
 彼を本気で屈服させたい訳ではないから関節に負担がかからぬよう手加減する。
 一度目と同じく、動きを封じられた朔也はそれ以上暴れることはないものの、全身で拒絶を示し呼吸を荒げた。
 もう一度声をかける。
 早まったのだと、男は悟った。
 彼との間には、まだ無いのだ。
 まだこういった、気軽に物を贈り合うといった親しさを表す関係は築けてはいなかったのだ。
 考えれば当然のことと納得出来た。
 自分たちは、金のやり取りから始めたのだ。
 金を渡す代わりに、身体を自由にしていい。
 そんな始まりだったのだ。
 だから彼が今も、この時間がその延長であると考えても、何もおかしいことはないのだ。
 むしろおかしいのは自分の方だ。男は目を瞑った。
 何を、恋人気取りでいるのか。
 彼と接する難しさを改めて思い知る。
 それでも、男の朔也に対する想いは揺るがなかった。全て承知の上だ。驚くことがあっても、変わりはない。
 不意に朔也の膝から力が抜けた。
 男は慌てて抱きとめる腕に力を込め、ゆっくり床に座らせた。
 正面に回ってしゃがみ込む。

「あんた、おかしい」

 目を見合わせず、朔也は言った。
 こんな、頭のいかれた汚い子供に。
 か細い声が、胸を抉るようで、男はいたたまれなかった。

「混乱させて、済まなかった」

 朔也は、瞬きひとつの反応もしなかった。
 構わず男は続けた。

「そのマフラーは、本当にただ君に貰ってほしくて買った物だ。私が、君を好きだという証だ。それと引き換えに、何かを要求するつもりはまったくない。わかってくれるかい?」

 頷いたのか、ただ俯いただけか、判別しづらい動きを朔也はした。
 それから立ち上がり、帰りたがる素振りを見せた。
 引き止めようとして、男は言葉を飲み込んだ。
 黙って後に続き、彼の部屋まで送る。
 すぐ横に男がいるのも見えない様子で、朔也は少し曇った目付きのまま歩き続けた。
 別れ際男が声をかけても、かすかに首を傾けるくらいの反応しかしなかった。
 扉は閉まり、少し置いて鍵をかける音が静かにした。
 男は疲れたように息を吐いた。
 重い足取りで自分の部屋に戻り、酒を煽る。
 何から考えてよいやらわからなかった。
 贈り物を渡す直前まで、少なからず、浮かれていた。
 やめよう。
 何軒も店をまわって、自分でもおかしくなるほど真剣に吟味した。
 考えるのはもうやめよう。
 今日はもう寝てしまおう。
 明日に引きずることの無いよう。
 半ば無理やりに断ち切って空のグラスを置いた時、チャイムが鳴った。
 出てみると朔也がいた。
 マフラーをして立っていた。
 驚き、何も言えないでいる男の目をまっすぐ見て、朔也は囁くように言った。

「ありがとう」

 その眼差しは、曇りがなく、刺すようなひたむきさに満ちていた。

「気に入ってもらえて、嬉しいよ」

 男は自然と浮かぶ笑みに頬を緩めた。
 先程までの重苦しい気持ちが、嘘のように消え去っていく。
 たったのひと言でこうも…随分単純だと、男は心の中で笑った。
 でも嬉しいのだ。
 彼の言葉。
 彼の態度。
 ここまで、礼のひと言を伝えにきてくれたこと。
 眼差しも何もかも、嬉しくてたまらない。
 用は済んだと、朔也は向きを変えた。

「送ろう」

 再び、並んで歩き出す。
 彼の部屋の前まで来た時、男は口を開いた。

「もしよければ、そのマフラーをして、一緒に初もうでに行かないかい?」

 朔也は頷いた。
 今度の反応は、はっきりそうと分かるものだった。

「前日になったら、連絡するよ」

 おやすみと告げ、扉の向こうに消える朔也を見送る。
 鍵をかける音がしても、ため息は出なかった。
 散々な、強烈な夜だった。
 今日はもう寝てしまおう。
 軽い足取りで部屋に戻り、嬉しさの余韻に浸る。

 

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