十二年前

 

 

 

 

 

 自分の意志でそこに立っているように見えたから、始めは迷子だと気付かなかった。

 

 見た目五、六歳くらいの男の子が、妹と思しきよちよち歩きの子と手を繋ぎ、祭りの見物客の列から外れた通りに立ち尽くしている。
 まっすぐ前を見据えた眼差しはわずかも逸れない。もうすぐ見物客の列から待ち人が来るんだ、と言わんばかりだ。
 そのせいで、二人が迷子だという事に始めは気付かなかった。
 大分経ってから、彼らがまだ小さな子供である事に思い至る。
 いつもなら子供になど見向きもしないが、何故かこの時は放っておけず、傍に近付いて声をかけた。

「迷子なの?」

 尋ねると、男の子の方は前を向いたままうんと頷いた。妹は、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。親を捜しているのか、じっと見物客の列を見つめたままこちらを見ようともしない。

「じゃあ、交番に行こう。お父さんとお母さん、きっと待ってるよ」

 手を差し伸べる。

「知らないひとに、ついていっちゃいけないって、お母さんが言ってたの。ごめんなさい」

 しっかりした言葉でそう答え、子供はぺこりと頭を下げた。
 こんなに小さいのに、きちんと話せる彼に素直に驚く。わがままで無知だから子供は大の苦手だったが、この子には少し違った感情を抱いた。

「じゃあ、名前を言うよ。僕は神取鷹久。君は?」

 ここにいても遭遇出来る可能性は低い。どうやったら彼に受け入れてもらえるかと、まず名前を告げてみた。

「みかみまことです。いもうとの、きりこ」

 答えて、子供は初めてこちらを向いた。
 その瞬間、衝撃に似た何かが全身を駆け抜けた。
 子供の瞳は作り物みたいに綺麗すぎて気味悪かったけど、彼の場合はまるで違う…作り物には決して有り得ない、強烈な光が宿っていた。
 美しさに思わず見惚れて、子供の目線にしゃがみ込む。
 まことの影にかくれて、きりこが恐る恐る見てくる。親とはぐれてよほど心細いのか、中々泣き止もうとしない。
 何か持ってないかと服のポケットを探ったが、あげられそうなものは何も出てこなかった。咄嗟にそう思い付く事自体、自分でも不思議だったが、何故かこの子らは放っておけなかった。

「ああ、そうだ」

 通りに並んだ屋台が目に入る。
 二人を連れて、綿あめの出店に向かった。
 名前を名乗ったのが功を奏したのか、まことはすんなりと手を握ってくれた。小さな手は随分と熱く、奇妙なほど柔らかかった。子供の手というのは大抵そういうものなのだろうか。
 想いの他強い力で、まことは手を握ってくる。なんだかむず痒い、不思議な嬉しさがあった。

「はい、これをあげるよ」

 買った綿菓子を一本ずつ手渡す。

「ありがとうございます」

 顔を輝かせ、まことは丁寧に礼を言った。それからきりこに顔を向け、一緒にお礼を言うんだよ、と自分の真似をさせた。真物と一緒になって、きりこがたどたどしく頭を下げる。
 まことの嬉々とした瞳が、真っ直ぐ向けられる。
 受け止めた途端、いいようのない不快感が心の中を渦巻いた。
 自分自身不可解な変化に眉をひそめる。
 ふいとまことから目を逸らし、考え込む。
 何が癇に障るというのか。
 確かに子供は嫌いだが、この二人には別に嫌な思いはしない。
 それとも、どこかで無理をしているのだろうか
 答えは出ない。
 再び二人を見下ろした。一心不乱に綿菓子を口に運ぶきりこの面倒を見ながら、まことも嬉しそうに食べている。ふと視線に気付いて、まことが顔を上げる。
 そこで唐突に答えを知った。
 途端に逃げ出したい衝動にかられる。

 まっすぐに見つめる彼の視線がたまらなく恐ろしくて

 まるで心の奥底まで覗かれているような、逃れようのない大きな何かに晒されているようだった。

 ただの子供だというのに……

 足が竦んで動けない。自分の領域を侵されているような不安と焦燥感が募る。
 そして何より恐い、ただひたすらに。

 この子供は―――

 一刻も早く立ち去りたかった。二人が綿菓子を食べ終わるまで待ってから、なるべく目を見ないようにして交番へ向かった。
 遠くからでもひと目で両親と分かる二人が、不安も露わに外を伺っていた。
 気付いた途端、まず母親が駆け出した。
 手を振り払うようにして、きりこが泣きながら走り出す。するとまことも手を振りほどき、きりこを追って走って行った。
 両親は何度も頭を下げた。

「当然の事をしたまでですから……」

 ぎこちない笑顔で応える。
 頼むからもう解放してくれと、心の中で何度も叫ぶ。
 まことは何度も、おにいちゃんありがとう、と言った。
 息苦しいほどの圧迫感。
 今の自分なら、簡単に潰されてしまうだろう。
 こんな空虚な存在など、ひとたまりもない。

 無限の愛に育まれる子供たちの前では、自分など――

 

 

 

 身の内に「疑問を持つ子」が生じたのは、そのすぐ後だった。

 

目次