Dominance&Submission

鏡越しの

 

 

 

 

 

 白いカップに静かにコーヒーが注がれるのを、桜井僚はじっと見つめていた。それから目を移し、ポットを手にする男を見上げる。

「ありがとう」

 神取鷹久はちらと目配せし、笑顔の少年に口端を軽く緩めた。次いで自分のカップにコーヒーを満たす。
 朝食の支度がすべて整い、二人は息を合わせていただきますと頭を下げた。
 言い終わった瞬間、僚はもう堪えきれぬといった様子で顔一杯に笑みを浮かべた。
 神取にはそれが、どれから食べようかと迷う笑いに見えた。あるいは、とりわけ好きだというフルーツ以外にも好物があったか。

「あ、うん。あの」

 すると僚は照れたように口篭もった。やがて喋り出す。
 好物ももちろんそうだが、こうして誰かと向かい合って食事をするのは久しぶりなので、自分でもおかしいとは思うが、ついはしゃいだ気持ちになってしまったのだと僚は説明した。

「おや、君もそうだったのか。実は私もなんだ」
「え、そう…いつもと変わらない……うん」
「そりゃあね、いい歳の大人がはしゃいだら気色悪いだろう」
「そん――そんな事ないよ、そんな風に思わないよ。嬉しいものは嬉しいんだから、いいんだよ」

 少しむきになって否定する僚にそうかと安心して、神取は素直に感情を告げた。

「俺こそ、鷹久と同じ気持ちで良かった」

 ほっとしたとますます笑みを深める少年に、神取も笑顔で返した。その裏で、久しぶりという言葉に引っ掛かりを感じていた。家族は、という疑問が生じたのだ。
 名前と年齢と、どこに住んでいるか。それくらいしか知らないのだ。あまり自分の話をしたがらない。家族に触れたがらない。
 だが今はそれで充分だ、彼の人となりはよく知っている。名前を聞く前から、それだけはよくわかった。
 だから今はこれで充分だ。

「それとね」

 僚はお喋りを続けた。朝食の豪華なメニューについてだ。十代の、食べ盛りの男子にはどれくらいの量が適切かいくらか悩んだので、手放しに褒めちぎってもらえるのは気分が良かった。

「鷹久もそうだからわかってもらえると嬉しいんだけど、自分一人だと手抜きになるというかあまり見た目は気にしないからさ」

 そういったところも含めて、この朝食の華やかさはたまらなく嬉しいと僚は言った。
 確かに一人ではとにかく食べるだけになって、見た目は二の次であった。よくわかると神取は神妙な顔で頷いた。
 やがて会話は、昨夜約束した今日の外出に移った。
 男が切り出したもので、頼んでいた時計の修理が終わったので取りに行きがてら、小物を二、三買おうと思っているのだがよければ一緒に行かないかと持ち掛けられた。
 二つ返事で了承した瞬間の、自分でもおかしいほどはしゃいだ気持ちがふっと脳裏を過ぎり、僚は唇を引き結んだ。恥ずかしくて、何ともいたたまれない気分に見舞われる。

「何か予定があったかい」

 表情が不自然に歪んでしまったのだろう、心配そうに男が言ってきた。
 僚は慌てて首を振り、窓の外へと目を移した。

「え、ないよ。今日は天気でよかったね。そんなに寒くなさそうだし」
「そうだね。出かけるにはもってこいだ」

 男も同じように顔を向けた。僚は目の端で様子を伺い、急いで焦りを飲み込んだ。

 

 

 

「忘れ物はないかい」

 顔を向けてくる男にはいと返事の後、桜井僚は鞄の財布やポケットを探り、大丈夫と返した。

「では行こうか」

 顔を正面に戻し、神取鷹久はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 半地下になったマンションの駐車場を出て、静かに車が走り出す。
 ゆっくり加速する車の中、僚は助手席の窓から空を見上げた。夏とは青の色が違うなあとぼんやり眺める。すっかり高くなり、まるで幅広の筆で軽く撫でたような薄い雲が連なって、青空を彩っていた。
 大通りに出て、車は比較的スムーズに進んだ。目的地まで、半時間ほどだ。思えば昼間にこうして並んで座った事がない。いつも夕暮れから夜にかけてで、明るい日の光の下で男の横顔を眺めた事はなかった。
 新鮮な、どこかそわそわする気分を味わっていると、車は信号で止まり、男が顔を向けて訪ねてきた。
 ふとした疑問が、猛烈な勢いで湧いてきた。僚は口を開いた。
 訊いたのは、どんな曲が好みなのかという事だった。

「そうだね……一番を挙げるのは難しいが」

 男はまず、演奏するならどれが好きかをいくつか並べた。弾くならあの曲、聞くならこの曲。ピアノならあれ、チェロならこれ。
 その時々の気分によって、弾きたい曲が変わる。
 目的地に到着するまで、楽しいお喋りは続いた。
 時計店の裏手側にあるパーキングに車を止め、歩いて店を目指す。
 時計は古いもので、定期的にメンテナンスに出しているのだそうだ。正確性にはやや欠けるが、愛着があり手放す事は考えていないと神取の言葉に、僚は誰かの形見の品だろうかと推測を過ぎらせた。聞くのはためらわれた。自分同様、彼も家族の話をしたがらない。同じ匂いを感じていたので、聞く事は避けていた。自分が話したくないからというのが一番の理由だ。

「幸い、それほど複雑なつくりでもないそうで、これからも定期的に修理すればまだまだ使えるそうだ」
「そう、よかった」

 もし誰かから譲り受けた大事な物なら、使えなくなってしまうのは悲しい事だ。時計として元のまま使い続ける事が出来ると聞いて、僚は喜んだ。
 修理の済んだ懐中時計を、神取はさっそく胸ポケットに収めた。
 店内の、置時計のコーナーで適当に目覚まし時計の類を眺めていた僚は、呼ばれて振り返り、そういえばしばらくこの姿を見ていなかったと思い出した。

「何か買う物は見つかったかい」
「うん、今は特に」

 アパートで使っているものは、今のところなんの不具合もない。特に不満はない。それよりも、男の胸元の装いに目が釘付けになる。
 修学旅行に出かける前、もう少し前だろうか。何か物足りないと感じていたのは、これだったのだ。

「似合うかい」
「すごく、うん、いい」

 唸りに近い声で力一杯称賛してくれる僚に、神取は微苦笑した。どれだけ真剣なのかがよく伝わってきて、心があたたかくなる。

「ありがとう」

 

 

 

 次に向かったのは、時計店から少し歩いた先にある紳士服や靴、小物を扱う店だった。手袋を探したいのだと男は言った。
 どんなにうっかりしていても決して足を踏み入れないだろう高級な雰囲気を纏っていたが、男と一緒だと不思議と気負わずに進み入る事が出来た。
 気後れしてしまいそうな空気も、男に引っ張られる形で自然と背筋は伸び、緊張も抱かない。
 堂々としているが、決して偉ぶらない。柔らかな言葉で店の人間とやり取りする男を傍で見て、これが本物かあ、などと少しぽーっとしてしまう。
 高揚がいくらか鎮まってくると、店内を見渡す余裕が出てきた。すぐに探してくるからと店の奥の方へ行く男をしばし見送り、僚は入り口付近の、二、三のマネキンが纏う秋冬の装いに目を移した。
 どの組み合わせも、大人の男の匂いを綺麗に纏い、美しさを放っていた。今の自分にはまだまだ遠いが、マフラーや手袋といったものなら少しは参考になるだろう。横から見ていたのを、僚は正面に回り込んだ。
 そこで、真ん中のマネキンがしているマフラーに目が引き寄せられた。
 少し斜め上を向いて立つマネキンの首にふわりと緩く巻かれているチャコールグレーのマフラー。
 今すぐ欲しい、これでなくては、というほど強い願望ではなかったが、ありふれた無地のマフラーに、強烈に引き寄せられた。生地が良さそうに見えたのか。暖かそうに感じたか。何がそんなに気になるのだろうかと眺めつつ考え込んでいると、男が声をかけてきた。

「これが、気に入ったのかい」
「うん」

 軽く振り返って目を戻し、気楽にそうだと答える。

「そっちは良いの見つかった?」
「ああ、探していた通りのものがあったよ」

 この店は祖父の頃から贔屓にしていて、よく探し物が見つかるので季節ごとに訪れているのだと男は説明した。

「よかった」

 ありがとうと返し、神取はマネキンの前にある低い棚を見やった。少し斜め上を見やる彼がしているマフラーの色違いが、数種類置かれていた。
 ベージュ、黒、チャコールグレーそしてチェック。

「色はこういうのが好み?」
「そうだね、こういうのって、結構どういうコートでも合わせやすいからさ」

 制服でも。
 それに今持っているのがベージュなので、それもあってチャコールグレーの方に目が行ったのだと僚は付け加えた。

「なるほど」

 神取はチャコールグレーのマフラーを手に取ると、僚の首元に当ててみた。

「ああ、確かに」

 正面で穏やかに笑う男に少しはにかみ、僚は首を竦めた。その時、頬にふっとマフラーの生地が触れた。思っていた以上に柔らかく、とても肌触りが良かった。

「だろ。買ってくれ」

 思うより先に言葉が飛び出す。こんな砕けた言い方は失礼かと思いつつ、男なら受け止めてくれるだろうと希望を込めてふざける。

「承知した」

 男は笑顔で頷くと、すぐに店員を呼びプレゼント用の包装を頼んだ。
 唖然としていた僚は、我に返るやすぐに男の腕を掴み引き止めた。小声で謝り、冗談だからと続ける。

「この色は好きじゃないかな」
「いや色が好きなのはほんとだけど、そうじゃなくて」
「良かった。この色、よく似合うよ」

 改めて確認する声音で、男はもう一度マフラーを首元に添えた。冗談半分であるのはわかっていたが、欲しいものは欲しいと思った時に買うのが一番だと、少々強引に押し通す。傍に控える店員にも同意を求めて、更に押す。

「ええ、とてもよくお似合いですよ」

 質の良い素材を使い、織り方にもひと工夫なされているので軽くあたたかいのだと店員の説明を、僚は凍った笑顔で聞いていた。似合うよと言った男の声と笑顔が、胸に刻み込まれる。もう何も言えない。
 店を出る時にマフラーの入った小さな紙袋を手渡され、僚は恐縮して受け取った。悪いと思う気持ちと、純粋な喜びが、交互に襲ってくる。
 ランチを予約した店に向かう車中、僚は膝に乗せた紙袋に目を落とした。何と言ったらいいかと切り出し、謝罪する。

「本当にちょっと…冗談のつもりで」

 それでふざけたにしては悪質だと思うと僚は反省する。

「そんなに気に病む事はないさ。昨日の詫び賃として、貰ってくれ」
「……え」

 僚は顔を向けた。
 昨夜、無理な飲酒で散々な目にあわせてしまったお詫びの代わりだと男は言った。

「いや、あれは」

 僚は顔をしかめた。
 昨夜の事は、自分にも責任がある。自分の方こそ騒がせてしまった詫びをするべきだ。付き合うと申し出たのは自分の方だし、許容量を把握していなかった自分が悪く、男に一切非はないのだ。だのに手間を取らせ、心配をかけて、振り回してしまった。

「ではその分は、今日買い物に付き合ってくれた事で済んだ」

 それでどうか収めてほしいとの男の言葉に、僚はますます複雑な顔になった。

「君の気に入る品が見つかって、嬉しく思っているが、君はどうだい」
「うん、そりゃ嬉しい。近い内買おうかと思ってたから、丁度よく見つかって嬉しいは嬉しい」

 けれど。
 紙袋の中をそっと覗く。綺麗な小箱に収まり、きちっとリボンのかけられたマフラーを膝に置き、僚は困り果てた。

「あの……こういうの下品だけどさ、結構な値段した」

 すぐに値札を見る癖がついている。高級店に置いてある質の良いマフラーに相応しい値段がついていた。気付いたのは、男に買ってくれと冗談をいった後だ。

「ではそれだけ、大事にしてもらえるね」
「するよ、もちろん」

 真剣なあまり怒っているのと変わらぬ声音に、神取はふと笑った。

「あ…ごめん」
「いや。とにかく昨夜は、自分が迂闊なせいで君に要らぬ苦しさを味わわせてしまった。どうにかしてその詫びをしたいと思っていたところに、丁度よくその、マフラーが見つかった」

 だからどうか一つ、収めてほしい。
 納得してもらいたくて言葉を重ねる。

「これは内緒の話だがね」

 ちらりと目を向け、神取は続けた。悪友のはとこの話だ。あれは調子が良くて、いつも冗談半分にあれ買ってくれこれ買ってくれとたかってきたものだ。もちろん、全てお断りだ。それでも懲りずに言ってきて、中々大変だった。

「本人には絶対に内緒だよ」
「……うん」
「大学時代にも、知り合った中に一人乗せるのが上手い奴がいてね。私に限らず、手あたり次第に声をかけていたよ」

 そういった訳で、多少の事ではびくともしない砦を築くようになったが、今日は特別だった。

「人に何かをねだられてこんなに嬉しかったのは、初めてだよ」

 しみじみと笑う男を見て、ようやく僚は顔付きを和らげた。不思議と気持ちがいっぺんに軽くなった。

「マフラー、大事にする。本当にありがとう」

 肩の力が抜けた柔らかな声を耳にして、神取もまた微笑んだ。

 

 

 

 食事の最中、僚は何度も紙袋に目を向けては男を見やり、たまらなくなるような笑顔を見せた。
 自分の身体に寄り添わせるように紙袋を置き、それに向かって優しい眼差しを向ける、思わず嫉妬してしまいそうだ。直後同じそれ以上に甘い微笑みを向けられ、向かい合って座っているのに彼の隣にいるように感じられ、寄り添っているように思え、男は身体の芯にまで沁み込んでくる幸いにうっとりと頬を緩めた。
 こんなに喜んでもらえるなら毎日でも贈り物をしたいと、あれこれ思い浮かべる。が、理由があっても受け取りを渋る頑固な彼に、何もない日の贈り物を渡す、納得させるのはまず不可能だろう。
 ああすれば、こうすればと、馬鹿な考えを頭に巡らせながら、神取はフォークを口に運んだ。
 直後、何度目かわからない目配せがあり、花が咲くような極上の笑顔が向けられた。
 何度見てもいいものだと、しみじみ噛みしめる。

 

 

 

「洗面所借りるね」
「どうぞ」

 外出の後、僚は手洗いとうがいを欠かさなかった。
 一人暮らしでは、頼れるのは自分だけである。だから出来るだけ体調を崩さぬよう、予防の為だ。
 しっかりしていると感心すると同時に、まだ親に甘えたい年令だろうに、どうして彼は離れる選択をしたのだろうかと、神取は想像をめぐらす。無論聞く事はしない。彼が話したいと思う時がくるまで、しっかり心にしまっておいた。
 神取は羽織っていたコートをクローゼットに収めると、彼を見倣い遅れて洗面所に向かう。
 ちょうど済んだところで、僚は譲る形で一歩脇に退いた。
 じゃぶじゃぶと手を洗い、がらがらと口をゆすぐ。

「これで完璧」

 直接ではなく鏡の中の男に向かって、僚は笑顔を見せた。

「そうだね」

 神取も同じく反射で微笑し、それから本人に顔を向けた。ふと見ると、唇に水玉が一粒乗っかっていた。
 したいと思った時には、もう唇に触れていた。

「!…」

 僚は小さく目を見開いたが、男の手にゆっくり頭を撫でられ、すぐに力を抜いた。反射的に上げた手を背中に回し抱きしめる。

「んっ、あ……」

 息継ぎにもれた僚の淡い声が、男の唇をくすぐった。
 舌を舐め合うだけでは我慢できなくなり、神取は口付けたまま僚の肩を撫でさすった。腕から背中へと手のひらを滑らせ、何度もまさぐる。

「んん……」

 弱い箇所をたどる指先の感触に僚はびくびくと震えを放った。大好きな手で触られると、どうしても声が出てしまう。抑えきれない。しかし、自分だけ早々に追いつめられるのは何だか悔しかった。同じだけ引っ張り込んでやると躍起になって、男の下部に触れる。
 瞬間吐息が乱れ、僚は喉が引き攣るほどの興奮を覚えた。
 触れたそこはすでに硬く、輪郭を確かめるように手を動かすと、男もあわせて動いた。
 僚はぎこちなく目を上げて視線を絡ませた。

「さ…触ってもいい?」
「……ぜひ頼む」

 低い囁きにまた喉が引き攣った。ごくりと唾を飲み込み、僚は片手でベルトを緩め、下着の奥に手を潜り込ませた。

「……熱い。すごく」

 神取は口端でほんの僅かに笑うと、素直に白状した。君がようやくマフラーを受け取ってくれた時から、あの瞬間から、君に触れたくてしようがなかったのだ…と、包み隠さず告げる。

「っ……」

 自分も同じ、男と同じだった事が無性に嬉しくなり、僚は手を動かしながら唇を重ね合わせた。舌を絡め、夢中になって吸う。
 手の中の硬い雄の徴に脳天がじんじんと痺れ、まだろくに触られてもいないのに後孔が疼いてたまらなくなる。早く、後ろに早く入れてもらいたい。
 気持ちが焦れて、僚はもじもじと膝をすり合わせた。

「寒くはない?」
「……へいき」

 男の問いに小刻みに頷く。むしろ熱いくらいだ。身体中がかっかと燃えて、耳朶が少し痛い。

「う……」

 男の手がジーンズのホックを緩める。ファスナーが下げられ、そのままぐるりと後ろに回され奥に潜り込んできた。
 僚はわずかに息を詰めた。
 直接尻を撫でられ、どうしてか恥ずかしくなる。

「鏡の方を向いて」

 手を離すのが名残惜しいと目で語る僚に微笑し、神取は軽く肩に触れた。
 僚は頷き、向かい合っていたのを並んで立つ位置に変え、少し屈むようにして肩越しに男を見やった。
 直後、中指が後孔に触れてきた。
 ひくりと硬直する少年の頬に軽く口付け、神取はゆっくり指先を埋め込んだ。根元まで進め、ねっとり包み込んでくる内襞を味わう。

「熱くて、柔らかいね」

 小さく開いた唇から、は、と息をもらし、僚はまつげを震わせた。ほんのりと朱に染まった頬が何とも言えず可愛らしい。
 指はすぐに三本に増やされ、強引に開かれる少しぞっとした感触に僚は小さく呻きをもらした。

「つらい?」
「だいじょうぶ…だいじょうぶだから……」

 早く、入れて。
 痛くても構わないから、すぐに馴染むから、早く男が欲しい。
 もうしばらく指で慣らされ、柔らかくほぐれたところで引き抜かれる。薄れてゆく甘い疼きを追いかけるように、僚は半ば無意識に腰を蠢かせた。

「んっ……」

 背骨を覆うように手のひらがあてられ、直後熱いものが小さな口に触れてきた。それはゆっくり中へと進み、ぴりぴりとしたむず痒さを伴って奥まで埋まっていった。

「んうぅ!」

 神取は力強く腰を進めた。抗議めいた高い悲鳴が僚の口から放たれる。悪いとは思いつつも、我慢が利かなかった。

「へいき……」

 思わず上げてしまった呻きをかき消すように僚は首を振り、洗面台の縁に掴まって呼吸を合わせた。
 以前はどんな体位でも嬲られた。磔にされたまま、片足を吊られたまま、関節が軋むほど大きく足を開かされたまま。だからいくらか耐性はあるつもりだ。どうすればつらくないかわかっている。
 頭を過ぎるそれらより大人しい姿勢だが、沸き起こる感情はまるで違っていた。こんな風に男にせっかちに求められる、欲しがってもらえるのが、たまらなく嬉しかった。
 狭い口を一杯に拡げられて下半身が軋み、重い痛みが底を這っているが、身の内の奥の方では、深くまで入り込んだ男のものが熱くのたうち、痛みをかき消す。鈍い痛みを覆って、震えが走るような快感にすり替えてゆく。

「きついね……済まない」
「……いい」

 気持ちいい。
 洗面台を掴んだまま顔を上げ、僚は鏡越しにそっと笑った。

「そうだね、いい顔をしている」

 耳元の声に僚ははっと目を見開いた。たちまち恥ずかしくなり俯く。
 神取はふと笑い、後ろから腕を回し抱きすくめると、片手でそっと顎を掴み上向かせた。

「鏡を見て。ほら、自分の顔をよく見て」
「やだ……やだよ」

 僚は何とかして手から逃れようと首を振った。男は笑みを深めた。しつこく追う事はせず、手を離し抱きしめた。

「どうして」

 だって…分かりきっている答えにまた笑う。
 神取は深くまで押し込んだ腰をしゃくり上げるように動かし、絡み付いてくる内襞を先端で擦り抉った。

「ん、んっ……奥、あ、あぁ、気持ちいい」
「ここがいいんだね」
「うん……うん」

 僚は片手を洗面台の縁に、もう一方の手を抱きしめてくる男の腕にかけると、後ろからのゆっくりとした動きに合わせて腰をくねらせた。
 神取は同じ動きを繰り返しながら鏡を見やった。
 少し眉根を寄せ、小さく開いた口から絶えず忙しない吐息をもらして喘いでいる少年の姿が、そこにあった。そんな彼を、自分はいやらしい目で見つめている。嗚呼まったくいやらしい。

「鏡を見て、僚。ほら」
「……やだ」
「見えるかい。私は、君のその顔が好きなんだ。少し困った顔で、気持ちよさそうに蕩けてる君を見るのが好きだよ」

 耳元に口を寄せ、言い終わりに軽く接吻する。
 ぞくっと走る快感に僚は小さく身震いを放ち、それからゆっくり、ぎくしゃくと目を上げた。
 何がどんな風に映っているか予測はついていた。だから見たくなかった。けれど、一度鏡を見てしまうともう目が離せなかった。
 自分の、いやらしく緩んだ顔の横に、支配者の貌がある。自分を抱いて、気持ちよさそうにしている男の表情に目が釘付けになる。

「……あっ」

 身体の芯にずきりと疼きが走った。かつて自分の身体で遊んだ男たちも同様の顔をしていた。あの頃は、込み上げてくる吐き気を堪えるのに必死だった。必死に抑え込んで、自分も感じているふりをして、べらべらと嘘を吐き出していた。
 でも嗚呼今は。
 力強いが決して乱暴にはしない腕にしっかりと抱きしめられ、一番深いとこを熱いもので責められている。先端が抉ってくる度、首の後ろにぞっとするほどの愉悦が駆け抜け、抑えきれず口から甘ったるい声を零してしまう。
 興奮に顔を赤くさせて、甘えるように喘いでいる鏡の中の自分が恥ずかしくて、余計顔は赤くなり、感度も鋭くなる。
 せめて鏡を見なければこの恥ずかしさも少しは薄まるだろうが、見えない糸がぴんと張っているかのように少しもずらす事が出来なかった。

「あ、あぁ…やっ…ん、う……いい」

 男の動きは少しずつ速まっていった。
 やや癖のある黒髪が、突き込みに合わせて小さく揺れる。
 絶え間なく送り込まれる痺れるような快感にすっかり足の力は萎え、しっかり回された男の腕がなかったらとっくに床に崩れていた事だろう。
 僚は、洗面台と、男の腕にしがみ付く事で、どうにか立ったままの姿勢を保っていた。
 喘ぎ、よがって、何度も唾を飲み込む。身体の奥の方でもやもやと渦巻いていた曖昧なものが、急速に膨れ上がり目前に迫る。内股に引き攣るような痛みを覚え、僚は半ば無意識に自身のそれへと手を伸ばした。
 それを、男は寸前で阻んだ。

「や、あ……」

 抗議の声を上げ、僚は腰を揺すった。まさか取り上げられるなんて思ってもいなかったから、余計にもどかしさが募った。

「や…やだ」

 戸惑いながら男を見やると、愉しげに笑っている貌と目が合った。

「あぅ! んんん……!」

 大きく捏ねるように抉られ、僚は喉を晒して喘いだ。

「て……手、放して」

 封じられた右手に目を落とし、男を見上げ、僚は頼んだ。

「いきたい?」
「……ん」

 小さくわななきながら頷く。鏡には映っていないが、下腹で自分のものがびくびくのたうっているのが感じ取れた。

「後ろだけでいけたら、ご褒美を上げるよ」

 ゆっくり腰を前後させながら神取は言った。
 君の好きなところを全部触って、うんと気持ち良くしてあげる。とびきりの快感をあげる。
 囁く吐息で耳朶をくすぐると、僚は泣きそうに顔を歪めてぶるぶると震えた。可愛らしい反応がたまらなくて、腕に捕まえた身体を抱き直し奥の方をじっくり捏ねる。

「ああ、ああだめ……お、く…だめ!」

 僚は何度も首を振りたくリぐずった。
 涙交じりの声を聞きながら、神取は弾むように腰を打ち付けた。ひたひたと尻を打つ音と粘膜を捏ねる淫靡な音とが耳をかすめる。奥を突く度僚の口から、高くて甘いよがり声が絶えずもれた。
 やだ、いや、いきたい。
 掴まれた腕を何とかして振りほどこうと、僚は抵抗した。しかし全力ではなかった。制限され追いつめられて、息もままならない状況に酔っているのだ。
 彼はこうして苛められるのが実のところ好きなのだ。
 本人は無意識のようだが、支配者を煽るのが本当に上手い。素質がある。行き過ぎた痛みは好まないが、その一歩手前のところでこうして遊ぶのが好きなのだ。

「ほら、僚……このままいってごらん」
「だめ……むり」
「だめじゃない……ほら」
「あ、あ、あぁ……たかひさ」

 すすり泣くようにしゃくり上げ、僚は後ろから送り込まれる絶える事のない快感に喉を晒して鳴いた。
 昨日はあんなに触ってくれたのに。
 嫌だって言っても許してくれず、泣いてしまうほど苛めたのに。
 嗚呼どうして駄目なの。
 鏡越しに恨めしそうに見つめてくる少年と視線を絡ませ、神取はゆっくりと口端を持ち上げた。

「いけたら触ってあげるよ。どこに触ってほしいかな」

 耳。背中。乳首それとも…耳元で一つひとつ囁く。

「あぁっ……!」

 中をひたすら抉られているだけなのに、実際触られているようで、言われる度その箇所がぴりぴりと痺れた。僚はひっひっと喉を引き攣らせた。
 思い出したように身体がぶるりと震える度、痙攣めいた締め付けが内部まで響く。絞るように絡み付いてくる内襞の熱さに神取は深く浸った。

「見てごらん…いい顔をしてる」
「いや…やだ」
「見るんだ、ほら」
 その顔、好きだよ

 ごく、ごく小さな囁きと共に耳朶に接吻され、じいんと沁み込んでくる心地良さに僚はうっとりと目を潤ませた。
 陶酔しきった表情で唇を震わせる。

「あ、あ……変態」
「そうだね……でも違うよ」

 優しく受け止め、飲み込む男に、僚は眉根から力を抜いた。
 鏡の中で支配者と目を合わせる。痴態を晒す様に薄く笑っている。その横で、淫らに悶え喘いでいる自分。なんていやらしいんだろう。なんて。嗚呼なんて。
 胸が痛いほど疼いた。

「さあほら、僚……いくところを見せてごらん」
「んんっ!」

 男の責めが激しくなる。始めは口を噤んで耐えていた僚だが、何度も何度も、嫌というほど最奥を突かれ、とうとう耐え切れなくなって息を吐き出す。一度開いてしまうともう声を抑えられなかった。
 狙いを定めて抉ってくる男の硬いものに翻弄され、官能がどこまでも膨れ上がってゆく。
 いやだ、怖い。
 甘いよがり声に時々呟きが混じる。その度神取は頬を撫で、大丈夫だと囁いた。身体の芯までじっくり沁み込むように抱いて、快感だけを与えた。

「大丈夫、ほら……君も私もここにいる」
「ああ…たかひさ、おねが……もっとぎゅってして……」
「いい子だ……好きだよ、僚」

 甘いおねだりに応え、神取は腕を絡めた。泣きそうに顔を歪ませながらも、僚は唇に微笑を浮かべ、何度も好きと繰り返した。
 高い喘ぎが不意に低い呻きに変わる。それまで緩慢に身悶えていた身体を突っ張らせ、僚はきつく仰け反った。
 絶頂が目前に迫ったのを感じ取った神取は、より激しく熱を打ち込み、高みへと追いつめた。

「ほら…見せてごらん」
「だめ――鷹久、だめ!」
「見せて」
「あううぅ――!」

 ひときわ大きく身体をわななかせ、しばしの硬直の後、僚は一気に脱力した。それぞれに掴まっていた腕をだらりと下ろし、全身で息をつく。眦に溜まっていた涙が零れ、頬を伝った。
 神取はそれを軽く吸ってやると、身体を繋げたまま静かに床に這わせた。
 両手をつき、がっくりうなだれて息を継いでいた僚は、腰に回されていた腕が解かれるのと同時に男を振り返った。少し重たく感じる腕を伸ばして抱き付き、接吻する。

「ん、んっ……」

 神取は優しく髪を撫でながらそっと舌を絡めた。達したばかりで過敏になった身体にはそれさえも強烈なのか、僚は鼻にかかった甘い声で鳴き、びくびくと痙攣めいた動きを見せた。合わせて内部がきゅうきゅうと締め付けてくる。まるで飲み込むような動きに煽られ、神取は口付けたまま腰の動きを再開させた。

「だめ――だめぇ!」

 唇を振りほどいて叫ぶ僚を背後から抱きしめ、神取は二度三度強く腰を突き込んだ。

「いや、あっ…くるし……!」

 きつい突き上げに詰まった声をもらし、僚は手を突っ張らせた。神取はその手を掴んで引き寄せ、指先に口付けた。ん、と淡い吐息が零れる。そんな微かな息遣いさえ、気持ちを昂らせた。
 神取は掴んだ手を彼の下部へ向け、一緒に握り込んだ。

「あ、やっ……」

 待ち望んでいた接触に、僚はうろたえた声を上げた。触られてやっと、自分のそこがはしたなく涎を垂らしていた事に気付く。男の手が動く度、なんとも卑猥な音が耳に響いた。
 振り払うように僚は喉を震わせた。

「あぁ……やだ……」
「嫌かい?」
「いや、ああっ……」

 僚はまた首を振った。その割には、手にしたものを自ら扱いている。早く出したくてたまらないと腰をうねらせ、快感に深く溺れていた。

「あ、あぁ…きもちい……おく、もっと……」
「ああ……あげるよ」

 背に覆いかぶさるようにして抱きしめ、深く押し込んだものでぐりぐりと抉る。

「やああぁ、ああ――!」

 僚は絶叫に近い声を上げ、全身で悦んだ。
 脳天が真っ白に痺れるほどの愉悦に神取は笑みを浮かべ、服の奥に手を潜り込ませて胸の一点を指先に摘まんだ。
 短い叫びと共に内部が締まる。きゅうっと絞り込み、ふっと緩んではまたぴったりと吸い付いてくる。
 反応に引き込まれ、神取は執拗に乳首を責めた。

「ああだめ、気持ちいい……ああたかひさ、たかひさ」

 涙交じりの甘い声で縋られ、無我夢中で貪る。
 彼を追いつめているようで、自分が追いつめられていた。すっかり飲み込まれていた。

「あ、い…いく……もう、も…いく!」

 首を振りたくリながら僚は泣き叫んだ。
 神取は這っていた身体を抱き起すと自分にもたれさせ、下から腰を使って何度も突き込んだ。すぐ傍にある首筋に吸い付き、耳朶を舐め、両手で身体中をまさぐる。

「ああぁっ……ああああぁ!」

 頭を擦り付けるようにして大きく仰け反り、僚は全身を何度も引き攣らせた。それに合わせて、きつく勃ち上がったものの先端から白いものを噴き上げる。

「くっ……」

 内部は痛いほど締まり、思わず男は声をもらした。最奥に一撃をくれ、そこで熱いものを吐き出す。

「あ、あ……」

 感じ取り、僚はおののいたような声をもらした。怯えた響きを聞き取り、神取は宥めるように髪を撫でた。頬に手のひらを当て、反対側には唇を寄せる。
 二人はしばし絶頂の余韻に酔い痴れた。荒い呼吸はやがて収まり、部屋はまた甘い喘ぎで満たされていった。

 

 

 

 こんなに柔らかくてなめらかな手触りのマフラーは初めてかもしれない。向かい合った鏡に映る姿を右からも左からも確かめ、僚はにんまりと口端を持ち上げた。
 実に良い色、実に良い手触り。顔がにやけて元に戻らない。
 ああ、嬉しいな。明日から毎日このマフラーをしていこう。いや、それではすぐに汚れて駄目になってしまう。しかし毎日でも使いたい。
 大事に、大事に。
 名残惜しい気持ちをどうにか飲み込み、僚はマフラーをほどいた。丁寧に折り畳み、両手に挟んで手触りを楽しむ。

「!…」

 と、そこでようやく、斜め後ろからの視線に気付いた。
 いつからそこにいたのか、面白そうに笑って男が立っていた。

「始めからだ」
「……うそ」

 一瞬にして頬が熱くなる。目の端に、絵に描いたように赤い顔をしている自分が鏡に映っているのが見えた。
 それを見てますます恥ずかしさが込み上げる。

「たとえ君でも、君を独り占めするのは癪に障るからね」

 だからこっそり後ろから見ていたとの男の言葉に、僚は呼吸もままならなくなる。

「よく似合っていたよ。どこから見ても、完璧だった」

 純粋な誉め言葉だが、今の僚には聞くだけの余裕がなかった。
 腹の虫が鳴ったのを聞かれるくらい、いやそれ以上に恥ずかしかった。
 一人だからと、好きなだけ気を抜いていた顔を見られたかと思うとどうしてよいやら…僚は忙しなく目を泳がせた。
 神取は軽く肩を震わせると、恥ずかしさからかどこかふてくされた顔になった僚に歩み寄り、頬に触れた。
 やや抵抗があったが気にせず自分の方に向けさせ、口付ける。
 始めは口を噤んで拒んでいた僚だが、すぐに力を抜いて応えた。
 やがてどちらからともなく、楽しげな笑い声がもれる。

 

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